君とアニミズム

道草

第1話

 君の指先にはきっと、文学の女神さまがいるんだね。

 そう言って僕が君の白い細い手を指差すと、君はその手をぱたぱた振って「何それ」と笑いました。多分その笑顔にも、何かの神さまが潜んでいるのではないでしょうか。君の笑顔は綺麗です。

 君の書く小説は、なんだかどこか遠くの国のお話のようです。それでいて身近なようです。

 その言葉たちは、どこから生まれてくるのだろう。

「頭のね……ここらへん」

 君はそう言って自分の頭に人差し指をつんと立てました。「ここからぽこぽこ出てくるの」君はそう言って笑います。ぽこぽこ。

あるいは、胸の奥辺りから流れ出てくるのかも。君の心から指先へ言葉が流れていって、文学の女神さまがそれを物語にするのかも。

「んー、どうかな」

 君は胸に手を当てて、しばらく目をつむりました。僕も自分の胸に手を当ててみます。

 君はどんな音がしただろう。


     *


 君の真似をして、あるいは胸の鼓動を意識して、僕も文章を紡いでみました。それでもできあがるのは、いつでも、やっぱりただの文章であって、物語ではありません。どうしたら君のような物語を書けるのでしょうか。

 心から言葉が生まれる瞬間を、僕は知りたい。指先を物語が流れていく感覚を、僕は知りたい。

 それでも僕の胸と指先は、きっと空っぽなんだ。

 そんなことないよ、と君は言ってくれます。

「身を任せればいいよ。力を抜いてさ」

 それでも僕からは、何の言葉も出てこないよ。僕の心は乾いているのかもしれないね。

「文学の女神さまはね、きっと、昔からたくさんいるんだよ。小説が好きな人の指先とか、心とかにいるんだよ。だから君のどこかにも、きっと女神さまがいるの」

 女神さまがたくさんいるだなんて、少し不思議だね。

 僕は思わず笑ってしまいます。

「だって、人もたくさんいるじゃん。小説もそう。神様だってたくさんいるよ」

 僕からも言葉が生まれてきて、本当にそれが物語になっていくのでしょうか。

 僕は自分の心を探ってみましたが、そこには何もありませんでした。指先も、固く冷え切っていました。


     *


 何も書けないまま、大人になっていくのかな。そのうち、小説が書けなかったことさえも忘れてしまうのかな。君と違って、僕は文学に愛されてないから。

「大切なことはね」

 君は言います。まるで女神さまのような笑顔で。

「君が愛するかどうか、ということ」

 僕はこの言葉を、なくさないように空っぽの心にしまいました。

 何も書けなくても、大人になっても、君のことは忘れたくないな、と思いました。


     *


 君がいなくなってから、僕は書くことをやめてしまいました。

 君の輪郭を見失わないように。

 忘れないように。

 あの日の鼓動を、指先の冷えを、君の言葉を。


     *


 僕の心にはきっと、君がいるんだ。君は、神さまなんだ。

 心にしまいこんだ言葉からは、君の鼓動を感じました。君の体温を感じました。微笑む君の顔が見えました。

 それらは喉を通り越して、僕の目から止めどもなく流れ出しました。ぽたぽたとノートの罫線の上に落ちて、青く蒼く滲みました。


 僕の言葉で、紡がれるそれは、僕と君の物語。

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君とアニミズム 道草 @michi-bun

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