第5話 WEC 第2戦 イモラ
スーパーGTのレースを終えて、翌日にはヨーロッパ行きの飛行機に朱里は飛び乗っていた。手配はマネージャーの福島凛が全て行ってくれていた。ビジネスクラスは快適だ。レース疲れもあって、ぐっすり眠ることができた。ロシア上空を飛ぶことができないので、時間はかかるが寝ている分にはあまり関係ない。起きたら、ヨーロッパアルプスが見えていた。ある意味絶景である。ブリュッセルで1泊し、そこからは鉄道でケルンに入る。ケルンはベルギー国境に近いので、特急で1時間ほどだ。車窓からはヨーロッパの田舎の風景が広がっている。朱里が大好きな風景だ。
ケルンのTMR-E本部では1泊しただけで、翌日にはイタリアに旅立った。またもや飛行機だが、今回はヨーロッパ圏内なので比較的小さい飛行機で1時間もたたないうちにミラノ空港に着いた。国際線より低い高度で飛ぶので、ヨーロッパアルプスが眼下に大きく見えた。朱里はアルプスが歓迎してくれているように感じた。
イモラはミラノから200kmほどだ。チームのクルマが迎えにきてくれていた。監督の小田や平田はスーパーGTを走っていないので、先行してイモラに入っている。
水曜日の夕方、やっとチームメートに会うことができた。
「イモラにようこそ。朱里にとっては初めてだよな」
と監督の小田が声をかけてくれた。
「はい、イタリアも初めてです」
「そうか、いつもはモンツァでやるんだけど改修中なので、今年はイモラになってしまった」
「イモラって、アイルトン・セナが亡くなったサーキットですよね」
「そうだよ。今から30年前のことだ。タンブレロコーナーでコースアウトしてマシンはメチャクチャだった。それからコースが改修されてシケインがつくられたけどね」
「難しいコースなんですね」
「古いコースだからね。なんと言っても狭い。2台並ぶのがやっと、抜くのは難しい。それに縁石のでこぼこがひどい。コースをはみだすと底をすってしまう。それとコースが全体的にバンピーだ。いたるところではねる。ある意味、ルマンやスパより難しいかもしれない」
「そうですか。でも、私にはどこも同じです」
「そうだな。どこも初めてだからな。これも経験だ。まぁ、無理しないでペースを守って走ればいいよ」
「はい、がんばります」
木曜日、フリー走行。スタートからタンブレロコーナーまでゆるい右コーナー、そしてタンブレロのシケイン。短いストレートの後にヴィルヌーブコーナー。ここで有名なジル・ヴィルヌーブが事故を起こしている。その後、ヘアピンのトサコーナー。左へのターンで上っている。ゆるい右コーナーからビラテッラといわれる高速左コーナー、その後に減速が必要な右の第12コーナー、ショートストレートの後にアルクといわれる右左のシケイン。そこから下りが続き、左90度のコーナーが2つ続く。通称リバッツァと言われる最終コーナーである。小田が言うように、路面はバンピーだ。カタールと比べると終始はねている感じがする。それに縁石がかまぼこに見える。GT3のマシンは底を気にせず乗り上げているが、ハイパーカーは底をすってしまうので、無理はできない。トラックリミットを守る走りをしないとマシンにダメージを与えかねない。それと道幅が狭いので、GT3マシンを抜く時には気を使う。下手にコーナーで抜くと、接触しかねない。ストレートで抜くのが鉄則だ。
土曜日、予選。ニックと小田の出番だ。私はフリー走行の時間にペースを守る走りを練習しただけだった。1号車はハイパーポールに進んだが、予選は6位に終わった。地元F社が速い。3車が上位を占めた。自分たちの名前がついているサーキットで無様な姿は見せられないのだろう。とTV解説者が言っている。
この日、パドックに人だかりができていた。マネージャーの凛の聞くと
「イタリアの英雄がいるみたいですよ」
と言う。
「イタリアの英雄って?」
「V.ルッシですよ。知りませんか? MotoGPのレジェンドですよ」
「聞いたことある。MOTEGIでも走っていたわ」
「そう、今は二輪のチームのオーナーと、GT3のBMのマシンに乗っているんです」
「エーそうなの? ゼッケンは何番?」
「バイクの時と同じ46番。抜く時は気をつけてね。F車を抜くより声援がうるさいかもしれないよ」
「そうだね。同じスティントにならないことを祈るわ」
日曜日、決勝開始。1号車のスタートドライバーはニック。2号車はフレッドだ。魔物はすぐにやってきた。最初のシケイン、タンブレロコーナーで13位を走っていた15号車がクラッシュ。3台を巻き込んでの大事故となった。すぐにセーフティカー(SC)導入となった。事故処理が終わったと思ったら、別のマシンがコースアウト。今度はフルコースイエロー(FCY)がでた。全車80km規制である。
1時間経過。1号車は他のマシンよりも遅いピットインをしてガソリン補給。ドライバー交代はなし。ニックが続けてステアリングを握る。全車がピットインを終えるとニックは3位に上がっていた。スムーズなピット作業の結果である。
2時間経過。2回目のピットイン。ドライバーは朱里に替わる。エースの小田にラストを任せる作戦だ。
2時間50分経過。雨がぱらついてきた。でも、コースがぬれるほどではない。朱里はピットインをする。順位は一時6位に落ちてしまったが、他のマシンのピットインも終わると3位にもどっていた。
3時間25分経過。FCYが出る。他のマシンがコースアウトしている。朱里は前のDP社のマシンに0.5秒差まで近づいていた。トサコーナーでは小雨が降っている。慎重なドライヴィングが要求される。
3時間30分経過。FCY解除。朱里は下りのリヴァツァでDP社のインに入った。最終コーナー前に出たのは朱里だった。FCYの中、朱里は頭の中で抜くシミュレーションをしていた。そのとおりにうまくいった。耐久レースでコース上で抜くのは珍しいことである。朱里は今までのがまんのドライヴィングから抜け出せて、心の中でガッツポーズをやっていた。
3時間40分経過。ピットイン。ドライバーは小田に替わる。ピットにもどった朱里はピットクルーから肩をたたかれたりして、祝福を受けていた。WECにでて最高の喜びだった。でも、この頃から雨がひどくなってきた。トサコーナーだけでなく、全コースが濡れてきている。コースアウトするマシンが多くなって、SCが出された。
3時間54分経過。SC解除。小田はトサコーナーでF社のマシンに抜かれるだけでなく、GT3車両にも抜かれる。スリックタイヤでは危なくて仕方がない。すぐにピットインしてウェットタイヤに換えた。
4時間5分経過。他のマシンもピットインし、ウェットタイヤに換える。早めに換えた1号車がトップにでる。
5時間経過。雨がやみ、レコードラインは乾いてきた。小田はスリックタイヤに換える。
5時間30分経過。他のマシンもスリックタイヤに換えたので、小田はトップに返り咲く。このあたりからDP社の6号車がせまってきた。第1戦の優勝車だ。周回ごとにタイム差がなくなり、0.5秒差まで近づかれてしまった。だが、小田は燃費との戦いを強いられていた。引き離したくてもアクセルを必要以上に開けることはできない。
5時間45分経過。DP社の6号車にペナルティが課さられた。FCY中の規定違反で5分間のピットストップである。だが、DP社の無線には
「No. 1 may run out of gas . Never give up . 」
(1号車はガス欠になる可能性がある。あきらめるな)
とメッセージが入っている。小田はまさに自分との戦いに必死だった。
6時間経過。205周目に入った。最後まで走りきれば1号車の優勝だ。ピットにいるクルーやニック・朱里は固唾をのんでモニターを見つめている。2号車は後ろのF車に抜かれて5位に落ちてしまった。最終コーナー、1号車がトップで抜ける。ピットクルーの何人かがコースサイドのネットに張り付いて見つめている。チェッカーが振られる。クルーは大騒ぎだ。1戦目のカタールで惨敗したのを忘れさせる勝利だった。朱里にとっては昨年の富士以来のWECでの優勝だが、あの時はトップのマシンのトラブルで棚ぼたの勝利だった。でも今回は真の勝利。それも自分が勝利に貢献したのは間違いない。うれしさは人一倍だった。
表彰台で中央に立つ。日本国歌がながれ、優勝したことを実感する。優勝トロフィーが重い。
通算ポイントは
1位 DP社 ゼッケン6 56P
2位 T社 ゼッケン1 40P
3位 DP社 ゼッケン5 39P
4位 DP社 ゼッケン25 27P
5位 F社 ゼッケン50 25P
6位 F社 ゼッケン83 22P
7位 T社 ゼッケン2 16P
となった。マニュファクチャーポイントでもDP社に続いての2位。今回は優勝できたが、苦しい戦いが続くことは目に見えている。
朱里の次のレースは2週間後のスーパーGT。その前にスパでの練習がまっている。ケルンの本部で祝勝会はあったが、すぐにレースモードに切り替わった朱里であった。
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