第15話『ひととき』


 瞬間、真夜中に落ちた星々の如く、煌々なる煌めきが昼中の空を包んだ。


 次に視界が開けた時に黒竜が見たのは、宙に止まる人影だった。



 その人影は両腕に魔王を抱き抱え、抱かれた魔王も驚きに目を見開いているようだ。


 翼はある。だがその翼を羽撃かせる様子もなく、ただ宙に止まり続けるその異様な人影。その顔つきには、さきほどまで相手をしていた少年の面影が残っていた。


 しかし、その上半身が剥き出しになった姿はとても真っ当な人には見えず。背中には漆黒の翼が生え、上半身には肌の半分の面積を埋めるほどの黒の文様が左右対称に描かれている。それはまるで人と言うよりも、



「悪魔の力か」


「……ああ。そうらしい」



 結論を口にする黒竜に、ユーシャはなんとも曖昧な答えを返す。


 ただわからない。なぜ真っ当な人間だったはずの少年が悪魔の身体を手にしているのか。どのような魔法・恩恵を用いても、種族が変わることなどあり得るはずがないのだから。



「……小僧」



 一方魔王も、自分の体を抱くユーシャの身に起きた変化に驚きの視線を送る。


 だがユーシャは、



「大丈夫だ」



 と、握られた右手をさらに強く握り返す。


 その声はいつものユーシャと同じもので。強く握られたその手の熱さは、魔王の知る数少ない人間の体温と同じだった。


 だから、



「ああ」



 魔王も同じく、その手を握り返す。


 一度握ったこの手を、二度と離すまいと。



「それでだ、少年。その状態で、まだ私と戦えるのか?」


「ああ、十分だ」


「そうか。……ならば存分に試させてもらおう」



 黒竜があぎとを開く。


 それだけで、一帯の魔力がざわめくのを感じる。


 『竜の吐息ブレス』。この世界の最高火力と目される神話の一撃。


 溜めチャージなど必要ない。文字通りただ息を吸うように、それは完了するのだから。


 カッ─────


 ただ一瞬で、それは放たれた。


 黒竜の名の通り、黒い光が光線となって顎より放たれた。向かうのは、竜と比べれば小さな少年のもと。



「【姫】を守護まもることこそが勇者の役目。ただそれだけだ────」



 ユーシャは空いた左腕を前に突き出す。


 たったそれだけで、世界が揺れる。


 さきほどとは比べ物にならない光が天を覆い、目を持つ者全てがその目を閉ざす。









 どれほど経ったのか。たった数秒のようにも感じられるし、数時間は経ったようにも感じられる瞬きの後。


 いつの間にか立ち昇っていた大きな土煙が晴れていき、その中にいくつかの人影が見てとれた。


 土煙の中を現れたのは十数人の教員を引き連れた学長と──。




 何かを守るようにその小さな両手を広げ膝をつく、魔王の姿。




「何をしておるか、ルークスリア・ディアボロス」


「っ…………、っ…………」



 息も絶え絶えに、やってきた人間を威嚇するように瞳を光らせる。鎖に繋がれようと魔王としての矜持は健在なのだと言わんばかりに。


 ただ、その後ろに横たわっているのが人間の少年でなければ、だが。



「…………っ」


「なに……?」



 何かを呟いた魔王に、学長が耳をそばたてる。



「此奴に指一本でも触れてみろ。貴様のその生い先短い喉笛を噛み切ってやる……ッ」



 傍から見ればそれはただの子供の癇癪のようにさえ見えるのだろう。


 だがそこに居合わせた者がそんなことを思えるはずもない。それほどまでに、その呟きに宿った気迫と殺意は、本物だったのだから。



「……其方そなたの処遇は既に決定事項じゃ。魔王である其方は聖剣によって焼かれ、二度とこの世に現れんよう魂から滅却される。無論其方を手助けした其処そこな少年も同罪じゃ。聖剣による裁きはないにせよ、死罪と同等の──いやそれ以上の裁きが降されることじゃろう」


「……そのようなこと、わたしがさせると思うか」


「其方が今更何かを陳情できるような立場であると?」


「陳情だと? 笑わせるなっ……、我は魔王であるぞッ。貴様らの法など関係ない。この人間に手を出すのなら、周りの人間を一人でも多く道連れにして死んでやる。我を──魔王を甘く見ぬことだ──ッ」


「ふむ……」



 学長は少し熟考するようにその長すぎる髭を数度撫でると──、


 ───ポポン!



「合格じゃ!」



 と、さっきまでなかったはずのクラッカーを鳴らしてそう宣言する。



「……………………は?」



 魔王のその反応は後ろの教員たちも同様で、皆一様にどよめきが起こる。



「うむうむ。其方がここへ捕らえられて二十余年。ようやっと、その言葉が聴けたのう」



 しかし周りの動揺を他所に、学長は一人納得したように何度も首を縦に振る。



「で、あるならばルークスリア。其方、我が校の生徒になるのじゃ」


「は……『はぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!?!?』」



 その言葉に、魔王も含めた教師陣一同が叫び声を上げる。



「何をとち狂っているのですか学長!」「よりにもよって悪魔の……それも魔王を生徒にだなんて!」「ついにボケたか」「学長の座を私に譲れ〜〜!!」


「あ〜もう、うるさいのう……。これは何もわしの一存で決めたことではない。これは全ての始まり……『勇者姫』との契約なのじゃ」


「……なんだと」



 勇者姫のワードを聞いてまたも魔王は目つきを尖らせるが、学長は構わず話を続ける。



「ふぅむ……。彼奴あやつはな、ルークスリア。共である其方と敵対することを最後まで苦心しておった。そりゃもちろん彼奴のことじゃ。そんな様子はおくびにも出さなんだが、彼奴を知る者ならば誰もが感じておったことじゃよ。だからこそ、彼奴は討伐ではなく封印という手段を選んだのじゃ」


「…………」


「そしてわしに言った。もし其方が望むのなら、他の生徒と共にここで学ばせてやってほしいと」



 何故そんなことを。

 そう思う反面、しかし魔王にもわかっていた。



「……アイツらしい、甘い考えだ」


「……そうじゃな」



 そこでようやく、魔王から殺気が抜ける。



「しかし、この少年は彼奴以上を目指した。学園という名の箱庭で世界を知って欲しいと願った彼奴よりも、鎖などに縛られず本当の世界と自由を知って欲しいとこの少年は願ったのじゃ」


「……ふ。この小僧に、それほどの大層な考えがあったとは思えんが」



 ふと魔王は、ユーシャを見る。


 ぼろぼろの体で意識なく横たわる少年は。しかしその右手だけは未だ魔王の服の裾を掴んで離さない。


 そんな彼の右手を、魔王はそっと握りしめる。


 塔に封印された当初こそやってきていた多くの配下たち。この学長ジジイや勇者姫のような人間の友人知人。


 その誰もが魔王を見放し諦めた。


 これは運命なのだと。仕方ないことなのだと。



 だが。

 だがこの右手は──ユーシャだけは諦めずにいた。いてくれた。


 たった数日。塔に幽閉されてから二十と余年。魔界を旅立って数年。この世に生を受けてから数百年。それと比べれば取るに足らない時間だけれども。



 それでも、魔王が何かを思い出すには十分過ぎたらしい。


 周りの教員が対策やら今後の協議やらと騒いでいる。


 だがそんな喧騒など気にならない。


 今は少しだけ、束の間の自由を謳歌したい。


 そう、ほんの少し、新たな友人と共に芝生に寝転ぶくらいは。



「あ、あーー! キシガミくん! こんな怪我して!! わ、わ、! この人が魔王!?!?」



 強く握られた右手は離れない。


 片方が振り解いたとしても、もう片方がさらに強く握りしめるのだから。



 だからこそ、二人は昼前の暖かな日差しの下、たおやかに寝息を立てる。



 これまでの数百年など気にならない、たった数分かもしれないこの時間を満喫するように。



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