(無)詠唱魔法の使い手

エウレーカ

第一話

「はあ、はあ」

 村から数キロ離れたさき、背丈の低い草木が生えている土の上を一人と一匹が追いかけっこをしていた。年のほど十歳の少年が息を上げながら、なかなか縮まらないイノシシとの距離に焦りを覚えているようで

「はあ。あと、すこし、なのに」

もはや息にしか聞こえない声で叫ぶ。それでも走りつづけていると少年が立ちどまり、イノシシに手の平を向ける。

「もうムリ! 水の精霊に命令す! 求めに応えよと!」

そう叫び、手の平の前に水色の円形が現れたかと思えば、円形のいちばん外側に書いてある文字列が回りはじめ、すぐさま

ボンッ!

水の塊が飛びだし、前を走っていたイノシシの体をお尻から頭まで貫く。そうしてイノシシは前にふっとび、横たわったまま動かなくなった。

「見たことか! 気もちいい!」

笑顔の少年は両手を空へ突きあげる。しばらくそのままの姿勢で肩を上げ下げしていたところに

「なんだあ、アレキ。おまえ、結局魔法使ってんじゃあねえか」

農民と同じ服装で歩いてきたのは広がった肩幅や背丈、盛りあがった筋肉が威圧感を感じさせる男。特に目を引くのが右腕全体に見えるヤケドで、尋常ならざる事情があったのだといやでも思わされる。服装からはただのガタイのいい農民としか見えないが、砦で二番目に偉い兵士と言ってもよく、アレキと呼ばれる少年をかわいがっている兵士である。

「クリンプス。ムリだよ。言われたとおりやってみたけど、そもそも風の魔法が苦手だし、やる意味あるの?」

アレキはクリンプスを見るなり、眉間にしわを寄せて弱音を吐く。すると、クリンプスはふむと顎下のひげをしごきはじめる。

「お前は水の魔法に特化しているからな。あのイノシシのように人一人くらいたやすく殺せる。だが」

ひげに当てていた手を目の前に差しだし、親指と人差指だけをぴんと立てる。

「それゆえに、二つの弱みがある。まづ、ほかの属性が軒並みダメ」

「それくらい、自分でも分かってるよ」

アレキが眉間にしわを寄せたまま言う。

「だから、俺は水を極めてクリンプスみたいな兵士になるんだ」

「それが二つめだ。お前は威力に頼りすぎている。実際、さっきの魔法を威力そのまま速さそのままに撃てるか?」

「うっ」

クリンプスの言葉に、いかにも決まりが悪そうに顔をうつむける。

「だから、風魔法の練度、そして持久力を高めようと追いかけっこをやらせたんだが」

「……」

返事がなくなるほどの落ちこみを見せるアレキに

「なあに。落ちこむこたあねえ。お前はまだまだ伸びるんだ。いづれ俺をも超える存在になれる」

そう楽しげに言うと、アレキは上げた顔をほころばして

「ほんと? それならもっとがんばる!」

クリンプスの言うことを素直に受けいれたようだった。

「そこでだ!」

大声に肩をびくっと震わせたアレキはじっとクリンプスの目を見ている。

「俺についてこい」

そう言うと、背中を向けたきりアレキを見ることなく歩きだす。歩きだすのを見てからしばらくぼうっと背中を見ていたが、目の焦点が定まると遅れまいと駆けだした。


 風にそよぐ草木を横目に丘の砦が堅くたたずんでいた。

 さきほどの場所から百メートルほどさきに行ったところにある石造りの砦は周りよりも小高い丘にあった。一方面側に川が流れ、その川から枝分かれした一本の川が正面扉の反対方面川にさらに流れている。

 塀の中の、さらに奥まった場所にそびえる建物。そのなかで談笑する兵士たちの姿は戦場を離れれば一人の人間であった。アレキはそれを輝いた目で眺めつつ、クリンプスの背中についていく。

「みんな革の鎧なんだ」

「魔法の前で鉄の塊なんか着ててもうっとうしいからな。少しでも動きやすい装備のほうがいい」

「たしかに。クリンプスだって言われなきゃ農民と思うもん」

「さすがに戦場じゃあ鎧をちゃんと着るさ。さあ、ここだ」

急に立ちどまったものだから、アレキはぶつかりそうになった。クリンプスを避けるように顔を横に出すと、ほかの部屋となんら変わらない木製の扉が見える。

「ここって?」

「兵士長の部屋だ」

「兵士長……」

ごくりと生唾を飲む。兵士長というこの砦の指揮者がどんな人物か、アレキには恐ろしいものに思えた。

「ははは。そう緊張するな」

そう言って扉をあけるのを、すぐそばで見守っている。

「兵士長。クリンプスがくだんの子を連れてまいりました」

「おお。その子がお前の言う……」

クリンプスよりおそらく十いくつ上の、白髪の目立つ男性が立ちあがって近づいてきた。村の老人たちを思わされる風貌で、とても今日見てきた兵士たちの長に見えない。その人物は腰をかがめて

「私はザムドーク。よく聞いているよ。魔法の扱いが上手な子だと」

やさしく語りかけてきた。

「あ、は、はい。えっと、そうです……」

「はっはっ。活発で朗らかだと聞いていたが、どうして、しおらしい子じゃないか」

「緊張が解れたんでしょう。あのむさくるしいやつらの長と思うと、そりゃあそうだ」

「そいつらの筆頭がなにを言うか」

ザムドークは体勢を戻すと、執務用の机らしきところに行き、一枚の封筒を手に取る。

「それより、できているぞ」

「ありがとうございます。ムリを言ったようで」

クリンプスが笑みを浮かべるなり、今度は頭を下げると

「そうだな。その子には立派になってぜひともここで腕を振るってもらおうか」

「ほら。アレキ」

クリンプスが背中をやさしく押しだす。

「転入の願い出だ。兵士長に推薦してもらった」

「っ! それって」

わけが分からずに目を見ひらきつつも、アレキはザムドークの前まで歩き、見あげると

「ほら。手を出して」

両手でたしかに受けとる。その瞬間

「……!」

顔をしわで覆うほどの笑顔になり声を上げずただ封筒を眺める。ザムドークもクリンプスもほほえましそうにアレキをしばらく見守る。

「それで、いつ行くの?」

「五日後に村を出る。それまでに準備を済ませよう。親に説明したり入学の準備したり、色々あるぞ」

「じゃあ、さっそく支度しようよ!」

そう言ってクリンプスに駆けよると、腕を引っぱり、連れていこうとする。

「分かった分かった。兵士長、しばらくアレキの面倒を――」

「構わん。お前がやれ」

「ありがとうございます」

「ありがとうございます」

アレキがクリンプスに倣い、ザムドークに向きなおる。

「はっはっは。よくできた子じゃないか。むこうでもがんばるんだぞ」

「はい!」

「では失礼します」

二人が去った部屋で、ザムドークはそっと椅子に座り

「詠唱者――まさかこの国に二人も、同時期に生まれるとはな」


 案内人の男性が部屋を出ていくのを見おくると

「広い部屋……」

感じいった顔で内装を眺める。

 三面の壁に一面のガラス張り。本棚や絵画など、いかにもこの部屋のために誂えたような飾りが散りばめてあり

(落ちつかない)

部屋の中央にある向かいあったソファーの片方に座りつつ、アレキはそわそわしていた。

 この国唯一の魔法学園であるここは先代から今代にかけて敷地や人員がの規模が大きくなった。今は休戦中であるが、いつ始まるかも分からない隣国との戦争に備えるため、各地の貴族のみならず、農民からも適性者を搔きあつめているからで、来るものは基本的に拒まない。

(クリンプスにはそう聞いたけど)

面談に備えてあつらえた正装にたるみを見つけると、裾をくいっと伸ばす。そうしているうちに、静かな部屋に

ギイイ

扉の音と

「担当のカミッロです。よろしく」

制服を着た男子生徒の声が響く。アレキは目を奪われた。だれもかれもが惚れてしまいそうになるほどの美男子。金髪の髪に金色の瞳が日の光を受けているためか、きらめいて見える。その人はアレキの向かいに座ると

「ザムドーク兵士長の推薦と聞いています。その年で魔法を扱えるのですか。すばらしいですね」

声変わりの済んだ、けれどそこまで低く感じない声。その声と金色の瞳とに笑みを含んでいる。

「ありがとうございます。簡単な魔法しか使えないですが」

「いいえ、充分すぎる。読み書きはだれから?」

「読み書きはできません」

カミッロの表情が固まった。

(もしかして、読み書きできないと入れない?)

入学できず追いかえされる未来を思いえがいて体の底から冷える心地がした。数秒ののち、カミッロはようやく言葉をしぼりだし

「ええと。魔法は使えるんですよね?」

「はい。属性は偏ってますけど」

「読み書きはできますよね?」

「いえ、全然……」

カミッロは顔を下に向け、考える素振りを見せてから、なにかに気づいたかのように目を見ひらき

「もしかして、詠唱ですか⁉」

「は、はい」

前のめりに言うものだから、のけぞって裏返った声を出す。カミッロは

「んんっ」

と恥ずかしげに咳ばらいしてソファーに座りなおすと

「詠唱……あの人と同じか」

ぶつぶつと独りごとを言う。

「読み書きができないと、入学できませんか?」

「っああ。ええと。どこから説明すればいいか」

カミッロの声に困惑の色が混ざったそのとき

「それは私から!」

扉をバンッと開けてそう言ったのはアレキと同じほどの背丈の女子生徒。満面の笑みでソファーに歩みよると、カミッロの隣に座り

「話は聞いていた。君も私と同じようだね」

真っ赤な瞳が、肩の上でふさふさとした髪の毛を揺らすほどの勢いで近づいてくる。

「おなじ……?」

「そう! 君って、魔法は詠唱で使うんでしょ? だから私と同じ。でも、私たち以外は文字を使わないと魔法を使えないんだよね」

「主席! 面談の邪魔をしないでください!」

主席と呼ばれたその女子はソファーに座りなおすと、しかめっ面を見せ

「主席じゃなくてフィロメーナ! 何回も言ってるでしょ?」

「ええ、分かりました。では部屋を出てください」

「いやです」

カミッロが額を押さえてうつむく。

「ええと、アレキくん!」

「は、はい」

「こんな狭いところで喋ってないでさ、実技試験ってことで、私と手合せしようよ!」

「勝手なことをされると困ります! 第一、あなたに勝てるわけないのですから、試験にすらなりません」

アレキは顔をぴくりと動かすと、目の前のやりとりに割りこんで

「いいですよ」

「ほんと⁉」「正気か?」

二者二様の反応が現れる。

(勝たなきゃ入学できない。絶対勝ってやる)

アレキは背筋を伸ばし、フィロメーナと視線を交えた。


 案内してもらった演習場は手軽な造りだった。内外との仕切りには石がアレキの胸あたりの高さで積んであるだけで、地面もなにかを敷いてあるわけでもなく、ただ土が広がるのみ。第一演習場という古くからある学園の敷地で、二人の人物が差しむかいに立っていた。

 かたや制服姿の女子生徒。かたや面談の姿のままの少年。

「アレキくん! 本当に大丈夫かい?」

外から心配そうな声を投げるカミッロに

「はい。あの人に勝って、合格してみせます」

「いや、合格はもう――」

「いいぞ! その意気でかかってこい!」

カミッロの声はフィロメーナの大声が掻きけした。

 アレキがよしと胸を一回叩いたところで

「そうそう! ケガしないように風魔法で防御しといて。私も気をつけるけど、もしものためにね」

「ああ、そう、ですねー」

(どうしよ。クリンプスが言ってた気がするけど、忘れた)

アレキが言いよどむのを見て

「ああ、風魔法ダメなのね」

フィロメーナは顎に手をやって黙った。かと思うと、目尻にしわを寄せ口角をぐいっとあげる。

「それじゃあ、死なないほどの威力で攻撃するから、使えるようになろうか!」

「ん?」

言っている意味が分からなく聞きかえそうとして

「ほら、始めるよ! どんっ」

フィロメーナの放った火の玉が体の横をかすり、いやでも言葉がひっこんだ。

(無詠唱⁉)

アレキは大股で二、三歩後ずさり、次の攻撃に備える。

(とりあえず防御壁か)

「風の精霊に――」

「それは遅いよ、どんっ!」

風の防御壁を展開しようと文言を唱えはじめたところで、フィロメーナがさきほどと同じ火の玉を顔に放ってきたため詠唱が途ぎれる。目の前に来た攻撃をすれすれで左によけ、横目で相手の位置をおさえると

(展開の時間を作ろう)

「火の精霊に命令す――」

「だから、遅いって」

左手を向けると同時に詠唱すると、フィロメーナが一瞬でアレキの懐にまで入り、拳で顎を狙ってくるのをかろうじて手の平で受ける。そうして、目を離さないように後ずされば

「君は風魔法が苦手以前に、詠唱者として致命的すぎる」

攻撃の姿勢を崩して話しだすのをアレキはなおも警戒しつつ

「なにがですか」

「その文言、どっかで聞いたことある。物語だっけ」

「はい。小さいころ、村長が読んでくれた本のなかに出てきた魔法使いです」

「ああ、それ読んだことあるかも。憧れるのは分かるけど、戦闘じゃ致命的だね。そこでだ。君には私の魔法がどう見えるかな?」

アレキは警戒を解いて考える素振りを見せる。

「無詠唱、ですか? たぶん」

「違うよ。私はどんっとか、短い言葉をきっかけに魔法を放ってるんだ」

「そういえば」

直前の言葉を思いだし、アレキは首を大きく縦に振る。

「もちろん、欠点はある。詠唱は長ければ長いほど、威力や速さのある、そして正確な位置に飛ぶ魔法になるんだ。どんっと言ったところで、たいした魔法じゃない」

(たいした……?)

火の玉がえぐった地面を見て疑問に感じる。

「さあここで、君の話をしよう!」

フィロメーナが人差指を立てて

「そもそも、一対一の果しあいでそんな決まり文句は要らないし、威力よりも瞬発力なわけだ。ここまで聞いて君はどうする?」

その指をアレキに向ける。

(たしかに、このままじゃこの人に勝てない。魔法の練度も圧倒的の差。威力より瞬発力……それなら)

アレキは思いたったように顔をぱっと上げると、右足を地面に叩きつけだす。

(意識しろ。足に感覚を集中させるんだ)

そうしているうちに、体内の魔力が一か所に集まるのを感じる。これ以上ないくらい溜まったところで

(今だ!)

そう思った瞬間、地面に着いた右足が地面をえぐり、アレキの体が前へ吹きとんでいくことで、二人の距離が一気に縮まる。フィロメーナも予想外だったようで、防御壁を展開するも肩と肩とがぶつかり、尻もちをつく。弾きかえされたアレキは地面に叩きつけられ

「グエッ」

と声帯が潰れたのかと心配になる声を上げる。

(痛い。痛いけど、できたんだ)

痛みに耐えながらも喜びを噛みしめているところに

「いやー……まさか無詠唱かあ。これはまったく思ってもみなかった」

フィロメーナが尻もちをついたまま、さきほどの笑みを消してアレキを見やる。

「がんばらなきゃいけない理由ができたなあ!」

立ちあがると、伸びをしながら近づき

「ほら。立てる?」

手を差しのべてきた。

「ありがとうございます」

「なに。いいもの見せてもらったしね。ただ……」

フィロメーナをじっと見ていると、朗らかな口調で

「私、攻撃されたままなの気に食わないんだよね。てことで、お返し」

そう言って、フィロメーナの勢いある拳が顎を思いきり揺らせば、アレキは言葉を発することなく空を仰ぐ体勢になる。

(理不尽すぎる)

それを最後に意識を手放す。

「あちゃあ」

「なにやっているんですか!」

さきほどまで傍観していたカミッロも演習場に入り、声を荒げる。

「ほら、運びますよ!」

「分かりましたよー」

そう言うと、二人がかりでアレキの両肩を持ち、演習場をあとにした。


「……ここって」

目を覚ましたアレキは見慣れない場所にいた。面談をした部屋とも教室とも思えず、見まわしていると

「起きたかい?」

入ってきたのはフィロメーナ。さきほどとなんら変わりない服装で近くまで歩いきて、赤い目でじっと見てくる。なにも言わないものだから目線をそらしながら

「そういえば、僕は入学できるんですか?」

「そのことだけど、そもそもアレキくん、君は合格だよ」

「……そうなんですか?」

アレキがいぶかしげに見ると、笑顔で

「そうだよ。そもそも、推薦をもらった段階で合格したようなもんだし、本気で試験がしたかったわけじゃないよ。興味本位かな」

「そう、ですか」

アレキは手の平を見つめる。

(そっかあ、受かってたのかあ)

一人、喜びをじっくりと噛みしめていた。それを微笑ましそうに見つめていたフィロメーナが

「でさ、君って在学中はどこに住むか聞いてるの?」

と聞くと、目を見ひらき

「そうだ、今日中にあいさつしにいかないと! すみません。失礼します!」

「まあ待ちなよ」

勢いよく立ったところ、フィロメーナが止めてきた。

「君の寄宿先はもしかして、トレモンティ家じゃないかい?」

「そうですよ。宮廷の貴族だから失礼のないように、と口うるさく言われてるから、早めに行かなくちゃ」

「ふっふ……」

フィロメーナが目を閉じて溜めるように笑う。

(まさか)

アレキの予想は当たっていた。

「あらためて自己紹介をしようか」

椅子からそっと立って手の平を胸にあてる。

「フィロメーナ=ディ=トレモンティ。今後アレキくんのお世話になるトレモンティ家の長女です。お見知りおきを」

口調も振舞いも笑顔も、さきほどまでの陽気な少女とはまったくもって違い、貴族の令嬢という肩書に劣らない淑やかさを醸しだしている。

「魔法の鍛錬など、私がしっかりと面倒を見てあげますからね」

「ははは……」

演習場での最後の記憶を思いだして乾いた笑いが止まらなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

(無)詠唱魔法の使い手 エウレーカ @Miyto_2357

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る