第拾話・紅縁

 倭人街にて、戒厳令がしかれていた。

 つまりは、有事には法を無視して軍の力を辞さないというわけである。そのさなか、三鈴は古びた小屋に一人で佇む。

「佐山さん、おたくの店では菌だらけの菓子を売っているのかね?」

 戦場に赴くギョヌ達を父娘で見送った直後、数件先の住人に詰め寄られる。

「みんな言ってるぞ!娘っこが肺患いであちこちにばい菌をばら蒔いてるぞって」

 三鈴が結核に罹患しているのは、今や父とギョヌ、そして阿波野しか知らぬはず。どこで聞き付けてきたのか…。

「確かに娘は病ですけど、そこまで悪くありませんよ。それになるべく商品に触れんように仕事をさせているんだが…」

「それでも気分の良いものじゃねえだろ!」

「……」

「だいたい、野放しにせんで座敷牢なり病院なりで隔離すべきだろうが。わしらにまでうつったらどう落とし前つけてくれる?とにかく、何とか対処してくれ!」

 普段は威勢良く、何かしら怒鳴り返す父も、何も言えなかった。彼らの言うことは悔しいが正論である。

「もう、いいよお父ちゃん」

 その場に硬直する父の腕を三鈴は引く。

「ご迷惑になってすみません、何とかしますから…」

 軽く頭を下げ、そのまま父の腕を引きながら三鈴はその場を後にした。


 …そうだよね。もう、ダメかな。

「ね、お父ちゃん。私ね」

 歩きながら父に提案する。

 そして。





「ギョヌ、そんな事をしてもみぃちゃんは治せんぞ」

「…黙れ」

 阿波野が横でたしなめても聞かず。ギョヌは一心不乱に骸となった妹の胸を、刃先でぐりぐりと掘り続ける。

 肺を、健康な女の肺を、あの娘のものと取り替えるんだ。それできっと…。

「ギョヌ!」

 いつしか自室に匿った父が、顔をひきつらせて立っていた。

「お前は実の妹に、何ということを!」

「実の娘とやらに試し腹を行ったのはどこの誰です?」

 刀を握りしめる血まみれの手を止め、虚ろに父を見る息子。ひらすらに、無の表情だ。

「この地の因習とは言え、父上がまさかそのような行いをしておられたとは、まさに心外だ」

 私は…心から貴方を軽蔑します。蔑むように哀れむように、ギョヌは言い放つ。

「ギョヌ、違う。私はそのような事をした覚えはない…」

「信じぬ」

「本当だ。指一本触れた事など」

「信じられぬ、何も信じぬ!」

 実際に父は無実であった。実の娘を抱くどころか、この地の悪習を何より嫌っていたのだ。

「私に触るな!!」

 潔白を訴える父に右腕を掴まれるが、素早く払いのけ、今や肉塊と化した妹をそのままに、ギョヌは足早に去っていく。続いて、ヨンミと相討ちとなった友を背負い、阿波野がふらふらと歩きだした。

 屋敷の正門付近まで歩みを進めると、ペチ、ペチと、鈍い音が聞こえる。見ると、ギョヌの異母弟である、まだ十の歳にも満たないウソクが例の『裏拍手』でギョヌ達を見送っている。

 いつもはケラケラと笑いながらその禁忌の拍手をする彼だが、今は何故か真顔である。只、一直線に兄を見据えて立っているのみ。

「ウソク…」

 ギョヌはおもむろに歩み寄る。

 この弟には恨みなど何もなかった。彼も父のエゴと、ギョヌ自身が表に立てるように犠牲となった一人である。自我を持てず、無意識に兄を蔑むように仕向けられた、可哀想な子供。

「ウソクや。正しい拍手は、こうだ」

 ギョヌは弟の裏手合わせされた手を取る。その不自然にひっくり返された手を正しく戻し、手のひら同士を合わせる。

 パン、パンと、それを叩く音は、これ迄の鈍い音から軽快なものへと変わった。

「そう。それが本当の拍手だ。せめて最後くらいは、この兄を普通に見送ってくれ」

 ウソクの小さな頭を撫でた。

 その傍らにて、無言で二人を眺める阿波野がいる。

(そういや、俺の後にもお袋は幾度かやや子を宿したな。本当は俺にも弟や妹がいたはず。ま、結果的には生まれなくて良かったんだが。

 上の子供の犠牲になるためだけに生まれる子供程不憫なもんはないーー。)




「まるで『おじろく・おばさ』だな」

「何だそれは」

「日本の田舎の一部にある悪習さ。まさか似たような案件がここにもあるとはね」

 ギョヌの妹弟も、彼が安泰の日々を送るために呪術で操られた犠牲者である。

 幸せというものは、誰かしらの不幸の上に成り立つもの。哀しい事実ではあるかも知れぬ。

 とは言え、こうなってしまった以上、最早後戻りは出来ない。

 東学党の騒動も一段落し。ギョヌの実家ではヨンミの弔いの儀が行われていたようだが、ギョヌが顔を出すことはなかった。その前に、父の使いを通じて「来ることならず」と伝えられたのである。

 朝鮮と日本の討伐隊が、すっかり荒れ果てた町や村々の後始末に追われる最中に、現場から少し離れた場所にて二人は再び顔を合わせていた。

「それにしても、唯一の友達と呼べるまっつんが死んじまった今や…もう帰国する理由なんかねえな俺も」

「私もこの朝鮮にいる理由などもうない。しかし、まだやることがある」

「何だよ。お前はさっさとみぃちゃん連れて日本行けばいいだろ」

「それが出来ればとうに行ってる。…病だ。先に彼女の病を消してやらねば」

「どうやって?薬なんかどこにもねえぞ」

 訝しげな表情を浮かべる阿波野をよそに、ギョヌは空を見詰める。その表情は虚無のようで、しかしやや赤みを帯びた眼には、底知れぬ鋭さ・ともすると狂気すら漂ってるかに見えて。

「呪術、だ。アレに頼むしか最早なかろう」

「…はぁ?」

 此度の反乱分子である民衆、それに応戦した日本軍に清軍、そして朝鮮兵の骸が転がる土壌にて、からすが数羽群がっている。片付けに追われた兵がシッシッと追い払うもキリがなく、他の骸に移る。

「まぁ。まずは仏さんらを片してからだな」

 取り敢えず軽くあしらう阿波野。しかしいい加減に呆れていた。

 …こいつはたまに非現実的な話をするし。呪術?有り得ねえだろそんなもん。

 そして後より、身をもってその驚異を知ることとなる。





「こら!子供は寄るんじゃない。病気がうつったらどうする」

「何でだよ、少しくらい話させてくれてもいいだろ!」

 町外れにある人っ気のない、辺りは延びきった雑草だらけの小さな小屋にて。威勢のよい坊主頭の少年と、彼より年少であろうおかっぱの少女がそこに近付こうとした途端、見張りの憲兵に足止めを喰らっていた。

「お願い、憲兵さん。三分だけでいいの…」

 少女が懇願するも、その若い憲兵は頑なに聞き入れようとしない。

「だめだ、俺が上からどやされちまうんだ!」

 押し問答の止まらぬ中、後ろの鉄格子の窓より女の声が聞こえてきた。

「憲兵さん、少しだけお願いします…」

 声の主が顔を出すと、二人の子供が憲兵を押しのけ駆け寄っていく。

「三鈴姉ちゃん!」

「はぁ、知らんぞもう…」

 子供達に迫力負けした大人である憲兵は、その場で一つため息をついた。


「お姉ちゃん、かわいそうに…」

「本とお菓子もってきたよ」

 柵越しに少年から差し入れを手渡され、ゆっくりと受けとる三鈴。その手は以前のような血色感はなく、青白い血管が浮き出る程になっていた。

「鉄っくんもユキちゃんも、ありがとね。もしかしたら私、ここを出られなくなるかもしれない…」

 笑顔にも力がない。あの乳白色の肌はどこへやら、手肌同様に青白い。

「だからね、これはうちの父ちゃんにも言ってるけど、もしあの人と行き逢う事があったら、取り敢えず私はここにいると伝えて欲しいの」

「あの人って、あの朝鮮人のかっこいい男の人…?」

「うん。もし私に会いに来て、家にいないと戸惑うで…ゲ、ゲフッ」

 語尾をつける前に咳こんでしまう。明らかに病状は進行しているのだ。

「うん、わかった…わかったから早く良くなりなよ!」

 それ以上は子供達も何も言えなかった。

 去っていく二人をしばし見つめ、そしてまた、強い咳を一つ。ぼたりと紅いものが、薄汚れた床に落ちる。

 口の中が鉄さびの味で充満する。ああこれが、喀血かっけつというもの。兄が死ぬまで苦しめられた症状。

 こんな姿、見られたくないけど。それでもあの人は鍵を抉じ開けてでも来てくれるのかな。嬉しいのか嬉しくないのか、もうわからない。

「ぐ…ゲボッ!」

 絶え間無く出る、咳と血。若さゆえに進行が早いのか、はたまた何かの呪いか…。

「うぅ、苦しいよ。父ちゃん…。若、さま…」

 このまま苦しいだけなら、早く死ねたら良いのに。




「ご無理を言いなさるな。たかだか女人一人を生き長らえさせるか為に。どれだけ金を積んで頼まれても、病までは治せませぬ」

「わかっている」

 かの祈祷師の館に再びギョヌは足を運んでいた。

 これまでと違うのは、外で阿波野を用心棒として待たせている事。更に彼が訪れた際に民衆が数人おり、何かしらの願掛けをしていた事。

「今日伺ったのは、私の命の事だ」

 そこで事情と依頼の内容を話し、そして。


 後日、彼は三鈴の元を訪ねた。

 憔悴し、またしても店を休業している父親に居場所を聞くと、真っ先に件の小屋へ。

「役所から派遣された憲兵が見張ってるから気をつけなされ。まぁ、あんたなら大丈夫そうだが…」

 案の定。

 先日の者とはもう少し年を重ねた男が小屋の前に立ちはだかった。

「朝鮮の者か?お前達余所者を通すわけには…ッ!」

 有無を言わさず当て身を喰らわし、鍵の束を奪う。木造の引戸に付けられた、半分錆び付いた南京錠にぴたりと当てはまるものを差し込み。

「トッキ?」

 カラカラと引戸を横に開けながら呼び掛けると、返事が小さく聞こえた。


「若様…外に、憲兵の人が」

「気にしなくて良い。暫く目覚めんだろう」

「また力ずくで…。若様は意外と力任せな所があるからなぁ。そこの、鉄格子すらぶち抜きそうなくらいに」

 冗談を言って笑いあい、とにかく戦場から無事で帰ってくれて良かったと三鈴は安堵する。

 その一方でギョヌは、部屋を見渡し眉をひそめる。お世辞にも、病人に良き環境とは言えない。日当たりが悪いせいか、所々にカビが生えた壁を見て、いたたまれなくなる。

「トッキ…ここを出よう。自分の家がだめなら私の家がある。少なくともこのような場所より身体に良いはずだ」

「でも、」

「私の元で養生してもう少し持ち直したら、今度こそ日本へ帰ろう。無論、お前の父上も一緒に」

「若様、これを」

 小さな額縁に入った写真を差し出す。以前写真屋で撮影した、二人で並んで写るそれであるが。

 ギョヌの隣で笑う三鈴の胸には、紅い染みが歪に広まる。

 尚且、ギョヌには首の斜め上から下に、紅く光るものがはしっていた。

「ああ…こんなに」

「ご存知でしたよね。同じ写真を持ってるし」

 顔を見合わせる。無論、写真屋の悪戯等ではない。

「これは決して良い暗示じゃありませんよね?私達は、どうなるんでしょう…」

 そのまま泣き出す三鈴を、ギョヌは優しく胸元に寄せた。

「ああ、私も怖い。でもそこまで案ずるな。私達は、それでも一緒にいられるはずだ」

「…嘘っ」

「嘘ではない。私達は縁で繋がっている。切っても切れぬものだから」



 ━━━━━

 …そう、その様に願掛けしたのだから。

『この娘の命が尽きれば、貴方の命も縮む。その逆も然りです。それで良いのですね?』

 祈祷師の言葉が頭を過る。もう後戻りは出来ない。

 それで良い。

『何を話してきたんだ?あと、例の残党がまた襲いかかってきたから応戦しておいた』

 館の前にて待機していた阿波野の周りには、先ほど館にいた民衆が数人横たわっていた。

『付き合わせてすまんな。まじないだよ。私とトッキが離れずにいられる術さ』

 満足そうに笑みを浮かべるギョヌであるが…。

『お、おう…。でもその顔、何か気味悪いな』

『何故だ?』

 その帰りの道で、再びギョヌの父の使いに声をかけられた。

 今度は弟のウソクが変死をしたとの事。

 奇妙な事に、手のひら合わせをした状態のまま、寝具で息絶えていたようだった。






 第拾話・終







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桜兎(さくらうさぎ)・明治悲運奇譚 瑠花 @aitomi

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