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51


次の日、クレアの機嫌はようやくなおった。

朝食が済んだら、薬草畑に案内してくれると言う。


「どうじゃー、これが結界だ。」

「何も見えないが。」

「見えたら結界にはならんだろ、分かっておらぬな人間は。

いいから、こっち来てみ。」


クレアの近くまで歩み寄ったが、何も違和感はない。

クレアは家の方へ戻って行った。


「ほれ、こっち来てみろ。」


何だろうと思って戻ろうとすると、ガンッと何かにぶつかった。

目の前には何もない。


(え、え?)


ゆっくり手を前に出すと何かに当たる。

透明な板があるようだ。


「どうじゃ、凄いだろう。」

クレアはいつの間にか隣に来ていた。


「普通の者は中からは出られるが、外からは入れんようになっている。」

クレアは自由に出入りできるのか。


透明な板はずっと続いていた。


「これは凄いな。」

「どうじゃー、魔女の結界だ。

結界を張れるのはな、魔女でも数少ないんだぞ。

わしはその一人じゃ。」


俺はその透明な板を叩いてみた。


「コンコン」

寮のドアをノックしているような音がする。

「ふーん」


「ドンドンドン」

今度は拳で、力一杯叩いた。


「こらやめろ、壊れるだろ!」

あっ、クレアは慌てて口を押さえた。


「ふふん、それでな、もっとこっち、もっと下におりてくるんじゃ。」


クレアの後をついて坂道を下ると、フッと家が消えた。

洗濯物の干し台も、俺の作ったベンチも全て消え、坂道は行き止まり、モミの木の下は低木の林になった。


「魔法かあ、おまえ凄いんだな。」



52


クレアは上機嫌だった。


「こっちこっち、わしが作った薬草畑だ。」

畑一面に薬草やハーブが植えられている。

トリカブトやジギタリスの妖しい花。


クレアはポピーの畑に飛び込んだ。

「これはもう収穫できるぞ。」


ゆらゆらとゆれる色とりどりのポピーの花に囲まれて、小さな魔女は鼻歌を歌いながら、その丸い実を摘み取っていく。


クレアは花畑の真ん中から、満面の笑みをこちらに向けた。


(妖精だ!)

あ、いや何ー


俺ははっと気づいて、クレアの姿をしげしげと見つめた。そして

「俺も手伝うよ。」

と言って、ポピー畑の中に入っていった。



53


「これはな、痛み止めに使うんだ。」

カゴに入ったポピーの実をつまみ上げて、クレアは言った。


「あとこの辺りの木の下には、キノコも生えている。それからー

あーっ

こ、これはグリフォンの爪だ! 奇跡だ!


これは凄いんだぞ、いろんな薬の原料だ。

もの凄く珍しくて貴重なんじゃ!」


そう言って、ドッジボールくらいの大きさの爪を拾って抱えた。


「おーっ、こっちにも見つけた。

信じられん、奇跡じゃ、奇跡じゃ。」


俺はその爪をじっと見た。

「おまえな、奇跡が庭先に2つも落ちていると思うか?」


「これは俺が切り落としたものだ。

グリフォンに連れ去られそうになった時、空中で2本爪を切り落として、逃れたんだ。」


「ほおー」

クレアは驚いたように俺の顔を見た。


「どうだ、凄いだろう。」


けれども魔女はすぐにニヤニヤしながらこう言った。

「しかし人間よ、グリフォンから逃れても、運良く木に引っかかったから助かったんだぞ。

そのまま、まっ逆さまに地面に墜落していたら、ペチャンコのおだぶつだ。

ふっふっ 浅はかよのう。」


俺は腹が立って、クレアからグリフォンの爪を取り上げると、それを坂の下に向かって思い切り放り投げた。


「ほら、取ってこい。」

「あー、何をする。

貴重なんだぞ、貴重なんだぞ。」


魔女は子犬のように坂道を駆け下りていった。

俺はクックッと笑いながら眺めていた。


このままここにいたら、もう帰れなくなりそうだ。

足も治ったことだし、明日の朝ここを出発しよう。



54


大きな麻の合切袋は、クレアがやたらに薬品を詰め込んだおかげで、背負うとサンタクロースのようになった。


坂道を下りはじめ、家が消える手前で振り返る。


「また来るからなー」

そう言って手を振ると、家の中から

「もう来るなー」

と声だけ聞こえてきた。


(まったく、ひねくれ者が。)


もう少し坂を下れば魔女の家は消える。

おとぎ話の世界には戻れない。


やがてモミの木の下には、深い緑以外何も見えなくなった。



55


乗り合い馬車を乗り継いで帝国軍司令本部に着いた。


「第4騎士団のヨハンさんですね。

休職の理由は魔獣討伐時の負傷のため。

では労災補償が認定されると思いますので、こちらに治療していただいた病院の名前をお書き下さい。」


「山奥の魔女の隠れ家のような所で世話になっていたので名前などありません。」

「それでは、大体のご住所と、治療師さんのお名前を...」

「もう結構です。金の事など何でもいい。」


そう言い残すと、また大きな麻袋を担いで兵舎の寮に帰った。 


本部とは大違いだった。

寮の仲間たちは皆で出迎えてくれた。


生きてたのかー、

元気そうじゃないか、

手紙だけよこして、後は連絡がないもんだから皆んな心配してたんだぞ。


「山の中に隠れ住んでいる魔女に助けられたんだ。」

「親切なバアさんに、拾われて良かったな。」


バアさん?

よし、とりあえずバアさんにしておこう。


「あーこれ、みやげに貰った。」

そう言って、袋の中身をバラバラとテーブルの上に広げた。


「魔女の作った薬か? 大丈夫か?」

そうだろうと思った。

俺は腕に包帯を巻いているひとりを指さした。


「おい、君その傷は?」

「これか?

もう1週間以上前のものなんだが、傷口から悪いものが入ったらしくて、この通りさ。」


傷口の周りは、グズグズして赤黒く腫れていた。


「もっと酷くなったら、聖女様に診てもらおうかと、」

「聖女様は親切だけど、お忙しいからな。」

俺はその傷口に薬を塗った。


皆んなでのぞき込んでいると、やがて腫れがスウッと引いてきた。

グズグズしていた傷口が乾いて、かさぶたのようになった。


「す、すげー! 魔法か?」

「魔女の薬すげー!」

「普段支給される薬よりずっといいや。」

「聖女様のお手を煩わせる程のことでなければ、これで十分だろう?」


皆んな大喜びして、袋の中身は全て無くなった。



56


やっぱり仲間はいい。

夜は誰かが酒を買ってきて、帰還祝いをしてくれた。


俺は魔女の隠れ家のことを聞かれたが、適当にごまかした。

みんな魔女といえば、老婆だと思い込んでいるから、あまり追及してこなかった。


そのうちテオが言い出した。


近ごろ辺境を襲っていたクロコッタの群れが姿を見せない。

一体、何処へ行ってしまったのだろう。


俺はクレアが言っていた事を思い出した。


「クロコッタはもともと群れで暮らしていない。

群れているのは、誰かに操られているからなんだ。」


皆驚いて、俺の方を見た。


「魔女が言っていた。

操っているのは、恐らく隣国だと。

でも無理な使い方をしていると、魔力の質がすぐに悪くなる。

人間で言えば、ストレスで早く老け込んで、使い物にならなくなるそうだ。」


「新しい魔獣の調達が追いつかなくなった訳か。」



57


次の日からクレアのことが、頭から離れなくなった。

恋しいとか愛しいとは少し違う。

心配で心配で仕方がないのだ。


帰還してからは、魔獣討伐が少なくなった代わりに、割と単純な仕事が割り当てられた。

都内の巡回や、下級貴族の護衛、

ドロボウを追いかけたり、迷子を送りとどけたり、猫を探したり。


なんだ、これは⁉︎

「いいじゃない、平和なんだから。」


定刻通り仕事を終え、寮に帰ってくつろいでいる仲間たちにテオは言った。


「よく考えろよ。

のんびりしていていいのか?


上層部は何でオレ達に簡単な仕事ばかりさせていると思う?

オレ達がいなくなっても、すぐに代わりの者が見つかる仕事だからだ。


今キナ臭くなっている隣国との戦争になったら、オレ達をまっ先に危険な前線に送り込むためだ。


法律に詳しい貴族の息子が死ぬと、賠償金とかうるさいけれど、平民のオレ達が死んでも、見舞い金を支払えばいいだけだからな。」


テオは吐き捨てるように言った。


「今度は人間相手だ、やみくもに襲って来る魔獣達とは勝手が違う。

オレは使い捨ての駒になるのはもうごめんだぜ!」

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