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6


ヨハンは教会の孤児院で育った。

まだ歯も生えていない赤ん坊のころ道に捨てられていたのだ。


生活苦で生まれた子供を手放すことはよくある時代だった。

街の裏通りにはそういう子供達が多くいる。


「持ってきたぞ、みんなでな。」


ヨハンが干菓子の紙包みを取り出すと、近くにいた3.4人の子供達がそれを取り合った。


「にいちゃんもう無いのか?」

「ああ、また持ってくるからな。」


一緒に歩いていたもう一人が尋ねた。

「お前 いつもこんな事してるのか?」

「うん、もしかしたら俺もあの仲間になっていたかも知れないんだ。

いやその前に 死んでいたかもな。」


実際 まだ乳しか飲めない赤ん坊が捨てられていた場合 、助かることは少なかった。

運良く誰かに拾われても 保護してくれる施設が殆んどない。


薄い粥や牛乳をスプーンで与えても、吐いたり体を壊したりして痩せ細ってしまう。

粉ミルクなどない時代、普通の孤児院ではどうしようもなかった。


「俺は運が良かったんだ 。

見つけてくれた人がとても親切で、わざわざ 教会がやっている国で一番評判の良い施設まで連れてきてくれた。

それでも身元のはっきりしない子供なんて 普通断られるのに、その人が自分が保証人になるからと言って 頼み込んでくれたんだ。」


「ふうん たまたま拾っただけの見ず知らずの子供にな…

いい人だな。」


(なぜかそれきり一度も会いにきてくれることは無かったが 住所は分かっているんだ、成人したらお礼に行かなくてはな。)


教会の施設でも生後数ヶ月に満たない赤ん坊が預けられると忙しくなる。

乳母を給金で雇うほどの余裕は無かった。


シスター達が信者のつてを頼りに乳母になってくれる人を探す。

わざわざ 自分の子供を抱えてきて 2人分の乳を飲ませてくれる母親もいる。

子供が亡くなってしまったのに まだ母乳だけは出るからと 自分の子供の代わりに乳を与えてくれる母親もいた。


ヨハンはそういう多くの善意の中で育った。



孤児院を挟んで シスター達のいる修道院と反対側に教会の大神殿が建っている。


神殿の敷地はとても広い。

立ち入ってはいけないと言われていても 子供達は 石積みの塀を乗り越えて遊びに行っていた。

男の子の遊びは大抵チャンバラごっこ。

みんな帝国軍の騎士団に憧れていたから


でも実際は夢のまた夢だった。



そんな時、ヨハンは彼女に出会った。

神殿の中庭で振り返った少女は この世のものとも思えないほど清らかで美しかった。


「こんにちは、私の名前はレティシア。あなたのお名前は?」

「ぼ、僕はヨハン、あ、あの...」


何を話そうか

手に持っていた木の棒をぎゅっと握りしめた。

「あ、あの僕は将来帝国軍の騎士になりたいんだ。」


少女はにっこり笑った。

「ヨハン、大丈夫あなたはきっと立派な騎士様になりますよ。

幸せになって下さい。」


ヨハンはこの言葉が忘れられなくなった。

そしてこの金髪の美しい少女の事も忘れられなくなった。



7


少女がヨハンに言った予言のような言葉は だんだん現実味を帯びてきた。

ヨハンは孤児院出身の者はもちろん、一般の市民でさえなかなか入れない帝国陸軍に入隊することができたのだ。


(ちゃんと学校で勉強させて貰えたし

神殿の護衛兵の人たちから剣術も教えて貰えたからなあ)


それでも軍隊の中で騎士となり馬に乗れる者はわずかだ。

多くは歩兵のまま戦地を転々として 退職していく。



8


『軍隊内では身分の貴賤はない。皆平等である』


それはあくまでも建前だった。


100人近く入隊した者のうち ヨハン達平民出身は10人だった。

それが一つの班に集められ、他の貴族出身の者達とは明らかに差別された。

日常の訓練が終わると 道具の片付けや運搬をさせられる。雑用係だ。


厩舎の掃除もそうだった。

馬の手入れは 各自馬の持ち主が行うが、馬糞の始末や古い敷きワラの交換などはヨハン達の仕事だった。


「でもさ、オレ馬小屋の掃除は嫌いじゃないんだ。」

肉屋の息子のブッチャーが言った。

「憧れの軍馬に触れる機会なんてないもんな。」

そう言って馬の脇腹に顔をゴシゴシ擦りつけた。


「触りすぎて蹴られるなよー、ははは。」

「オレもいくら雑用を押し付けられたって、ここを辞める気は無いよ。」

「うん帝国陸軍だもんな、一般市民からしたら超エリートだぜ。」

「うちの母ちゃんなんか 近所中に言いふらしちまって恥ずかしくて。」

「うちも両親が大喜びだった。」

「あっごめんよ。」


みんなは俺とテオの方を見た。


「気にすんなよ。それに 俺にだって喜んでくれた人はいるんだ。」

「聖女様だろ。」

テオがニヤニヤして言った。


「こいつ小さい時から 聖女様に夢中だったんだぜ。」

「うるさいな 憧れていただけだ。神聖な雲の上の人なんだぞ。」


その憧れの聖女様は 昨年 国の第二皇子と婚約した。


「ますます雲の上だよなあ。」

(そう言えば 近ごろ身体の具合がすぐれないとお聞きしたが 大丈夫かな。)


「おい 見ろよ。」

テオが脇腹をこづいた。


「貴族の坊ちゃん達のお出かけか。」

「あの格好じゃ 女の子たちと繁華街に遊びに行くんだろうな。」


厩舎で馬糞まみれになって働いているヨハン達の横を 流行の洋服を着こなした若者の集団が談笑しながら通り過ぎて行く。

ヨハン達には一瞥しただけで 無視して出て行った。


「ちくしょう 今に見ていろ。」



9


今年は雨が少ない。

中央広場の噴水が止まった。

ヨハン達の風呂の回数も減らされた。

厩舎の掃除の後、身体を拭いただけでは匂いが残るのでこれは辛い。


そんなある日、突然 師団長から呼び出しがあった。

俺たち10人に内密に神殿に集まってくれ、と伝令があったそうだ。


神殿? 神殿が軍隊に何の用だ?


神殿ならヨハンはよく知っている。

最近 大神官が代わったのだ。


前の大神官は大柄で恰幅もよく 、神官というより軍人ではないかと思う程がっしりした人だったが、新しい大神官は線が細く神経質そうだった。


ヨハンはこの神官には思い出がある。


孤児院の近くの家が火災になった時 、燃え盛る家に一人で飛び込んで 逃げ遅れた老人を救い出したのだ。


『英雄だ』

人々は騒ぎ立てたが それをひけらかすことは無かった。

むしろ騒がれるのが迷惑な様子で、淡々と仕事をこなしていた。


そんな人だから新しい大神官に選ばれたのだろう。

もう50歳を超えているはずなのに若く見えた。


「大神官様がお呼びです。」


ヨハン達は神殿の最上階にある 普段立ち入ることのできない一番奥の部屋に通された。



10


そこには大神官とその弟子数人がいた。


顔見知りのヨハンが部屋に入るなり

「お前か」

と小さくつぶやいた。


「聖女が神託を授かった。

聖女の夢枕に神が立たれたのだ。

昨今の日照りは北の森に幽閉されている魔女の呪いゆえ、

だから この魔女を速やかに討伐せよとな。」


(そう言えば街でもそんな噂を聞いたことがあるが...)


「お前達が選ばれた。民のために戦ってくれるな。」

ヨハン達は考えがついていかず、顔を見合わせてキョロキョロしていた。


「この話は皇帝陛下にも申し上げてある。

陛下も国民を憂いていてな、勇者達にはこれを授けると。」


弟子が二人がかりで大きな箱を抱えてきた。

その中には人数分 10振の立派な剣が入っていた。


「ヨハンにはこれを委ねる。」

重厚な箱が開かれた。

数々の宝石で彩られた年代物の剣が入っている。


「聖剣だ!」

(国宝じゃないか⁉︎)


「最後、魔女にとどめを刺す時に使え。」

妖しく光るその剣は かつて魔女狩りに使われていた。

魔女は火炙りにして灰にしなければ死なない。しかし聖剣には聖なる力が宿っている。

切りつければそこから魔力が流れ出し 魔力を奪う。

魔力を全て奪われた魔女は生きていけない。


その美しい装飾が施された剣を一目見た時、

ヨハンは妙な嫌悪感を抱いた。


少しだけ話し合いの時間をもらった。


「おい 皇帝に選ばれたんだぜ、俺たち。」

「何でだ? 平民出身だと、市民の痛みが分かるっていうことか?」


「でも行き先はあの魔獣の森だ。生きて帰ってこられないっていう。」

「魔獣なら訓練で何度か倒しただろ。それに 帰ってきたら英雄だぜ!」

「国民を救った英雄だ!」


「そうだ 皇帝陛下も期待しているんだ。やってやろうぜ!」


『若気の至り』と言えばそれまでだが、ヨハン達はなんの裏付けも無く 英雄になれるという期待だけで無謀な仕事を引き受けてしまった。

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