北の魔女クレア

@komugiinu

1ー5

1


フロイス帝国の夏


日射しはジリジリと照りつける。

今日も雨は降らない。

土地は乾ききっていた。


その真中に設えた大きな祭壇の前で 聖女レティシアは必死に祈りを捧げていた。

顔からも首からも汗をしたたらせて。


「神よどうか恵みの雨を どうか民をお助け下さい。」

聖女はその緑色の瞳で空を見上げた。


雲ひとつない。


「ああ 私にはもう雲を呼び起こす力も残されていないのですね。

それでも雨を降らせなければ...」


聖女はふらふらと立ち上がり、 うつろな目で天を仰いだ。


「雨を降らせなければ、このままでは北の魔女様、あなたのお命が危ないのです...」


聖女はそのまま祭壇の前に崩れ落ちた。



2


大理石でできた真白なエントランス


玄関を入ると、その右側に小さな飾り棚が備えつけられていた。

その上の壁には、椅子に座った初老の紳士と

その両脇に立つ2人の女性の肖像画が掛かっている。


飾り棚にはこの場所にちょっと不似合いな2匹の猫のおもちゃが飾られていた。

白と黒の猫は背中を丸めて仲良さそうに眠っている。


「おはよう」


膝まである銀色の髪の魔女はそう言うと、猫の横に庭から摘んできた小さな白い花を飾った。

その後でブツブツとこう付け加えた。

「今日こそはあの憎たらしい看守に勝てますように...」


「おはようございます。グレイシア様」

メイド姿の女が後ろから声をかけると魔女は振り向いた。

深い海のようなブルーの瞳


「ご用は何ですか?」

「ああ もうすぐ看守のセバスチャンが帝都から

帰ってくるはずだから 、後でわしの部屋にお茶を運んできてくれ。」



3


「...今日も勝てぬかー」

ブルーの瞳の美しい女は、顔をひどくゆがませている。

「ワハハ ほいフラッシュ、また私の勝ちですな。」

2人は魔女の私室で、向かい合ってポーカーをしていた。

執事服を着た初老の男は ジャラジャラとコインを自分の方に引き寄せる。


「うぬう看守、おぬし魔女をペテンにかけよってー」

「ははは ご冗談を、あなた様は何年たっても腹芸が苦手なようで、

魔女様の顔を見ていれば 手持ちのカードなど手に取るように分かりますからなあ。」

「も、もう一回じゃ もう一回!」

「もうおしまいです!あなたが勝つまで続けていたら、いつまで経っても話ができませんでしょう。」

「うう..くやしい....」



4


魔女の私室はその性格のせいか 結構ゴチャゴチャしていた。

「300年分の宝物じゃ捨てられん」

壁には古い武器や魔獣の毛皮や斧を持った骸骨まで飾られている。


魔法の本が積み上げられた古い机に片肘をついて魔女は尋ねた。

「それで、帝都の様子はどうだったんじゃ?」


「南部の方は日照りがひどいようで、」

「日照り?」

「ここにこもっておりますと関係ありませんからなあ

今年は極端に雨が少ないのです。

麦も実らず死者も出ているという話です。」

「ほう、気の毒にな。」


「それについて ちょっと嫌な噂が流れていましてね、なに、市民の間で噂になっているだけなのですが...

この日照りはあなた様のせいだと。」


「え? わしか?」

「はい 魔獣の森に長く閉じ込められた北の魔女の呪いで 今年は雨が降らない。

魔女様が国民を飢えさせているのだと。」


「え? 全然知らんぞ。だいたい日照りの事も初めて聞いた。」


「それでこちらはもっと悪質ですな。」

看守は持ってきた新聞を差し出した。

タブロイド版でゴシップ記事が中心の、市民の娯楽用の新聞だ。


「おおー 大神官が引退したか、あのジジイ、ついにもうろくしたのか。」

「いや見ていただきたいのは、もっと後ろの方です。」


「うん? 何『歴代悪女』?

おー 何とわしが1位じゃないか!」

「喜ぶことではございません! まったく。

内容もそれは酷いものです。」


『北の魔女は 宮殿を爆破し 皇帝を負傷させた罪で 現在 北の魔の森に幽閉されている。

この魔女は 前皇帝の事故死にも深く関わっていると思われる』


「ちょっと待て、違うぞ あれは向こうが悪いんだ!」

「まあ 少し落ち着いて続きをお読みください。」


「魔女は その妖しい美しさと魅了の魔法で 前皇帝を籠絡し、魂を抜き 操り人形にして国を滅ぼそうとした...」

魔女は震えながら そこで読むのをやめた。


「セ、セバスチャン...」

「何でございましょう」

「籠絡って何だ?」

「はあ? うーん、魔女様には一生関係のない言葉でしょうなあ。ははは」


「あと『魅了の魔法』とかも知らんぞ。セバスチャン おぬし使えるか?

それなら...」

「そんなもん知らんでよろしい!」


魔女はチェッと言ってまた新聞を読み始めた。


「おお 横に似顔絵が載っておる。」

そこには縮れた黒髪で目がつり上がり口が裂けた中年の女、民衆のイメージ通りの悪女が描かれていた。


「こっ、これでは全くの別人じゃないか!

これはわしではない!

待てよ、いやこれはどこかでー 見たようなー あーうん 西の魔女じゃ! あの女じゃ!

化粧落とした時の あの強欲ババアにそっくりじゃー はっはー」


(するとあのババアが魅了の魔法を使うのか?

看守が教えてくれぬのなら、何だ 西の魔女に習えばいいんじゃ)


「ね、酷い書かれ方でしょう?」

「え、あー うんそうだな。」

「新聞社に 文句を言いに行きますか?」

「うんにゃ、全く気にならん。これが商売なんだから放っとけ。」


「で、最後にやっぱり書いてありますね

雨が降らないのは 北の魔女の呪いと。」


「聖女様が あちこち熱心に祈祷に行っているようですが 降ってもにわか雨程度、焼け石に水でして...

魔女様もおできになるでしょう 雨を降らせる事など」


「ああうんうんその程度ならーって 、わしはやらんぞ雨乞いなど!」


「行きたくても、わしは囚人だからここから出られんもーん。」

「魔女様はいっつもそう言って、18年もここに居座ってるじゃないですか!

新聞社へのクレームでも、にわか雨の雨乞いでも 何でもいいからさっさと出て行ってください。」

「し、囚人を追い払おうとする看守がどこにいる⁉︎」

「その看守と一緒に茶を飲んで トランプしている囚人も珍しいですな。

あんた、ただの引きこもりですがな!」

「な、何をー!」



「うーん、のう、セバスチャン、

魔女が新聞社にクレームつけに行っても 誰が取り合ってくれる?

雨乞いの祈祷をしますって言っても 誰が信用してくれる?

何をやっても怪しまれるだけじゃ


もうごめんだ 人間と関わるのは

おぬしの気持ちはありがたいが、わしはもう結界の外へ出る気持は無いんだ。」


魔女は部屋のある3階の窓から庭を眺めた。

庭師たちが花壇の手入れをしている。

魔女が窓から手を振ると、彼らもにっこり笑って手を振り返した。


「ここはずーっと昔のままじゃあ」



5


北の魔の森


薄暗く鬱蒼とした森の中に

オオカミを一回り大きくしたような魔獣、ガルムの死体がゴロゴロと転がっている。


「ヨ、ヨハン大丈夫か? お前すごいな。」

「え?」

黒髪に赤ワイン色の瞳をした若者が振り返った。


持っている剣は血だらけで 自分も魔獣の返り血を大量に浴びていたが、爽やかに笑っている。


「な、こいつは人間じゃないって言っただろ。」

尻もちをついている茶髪の若者がそう言った。


この男だけではない、ヨハンという青年以外の

9人は全員その場に座り込んでいた。


「何だテオ、お前まで腰が抜けたのか?」

「冗談じゃない、マジ死ぬかと思った。」

ヨハンはケロッとして笑っていた。

「この森の魔獣は中型位だから、倒せないことはないだろう。」

「それにしたって 1頭や2頭ならともかく...」


彼らのまわりには 無数の死骸が横たわっている。


「お前この森の魔獣 みんな殺しちゃったんじやないのか?」

「まさか、でももう鳴き声もしないから、ここからは手ぶらでも歩けるかもな。」


ヨハンは歩き出した。

「魔女の結界はもう近いはずだ。」

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