中華統一
紀元前244年(始皇3年)、趙(ちょう)国が2つの戦いを秦(しん)国に対して仕掛けたが、秦国はこれを退けた上、趙国の大将軍だった李牧(りぼく)と龐煖(ほうけん)を失った上、趙国が元々戦っていた匈奴(きょうど)を秦国が手中に収めたことで、趙国は次第に追いつめられることとなったが、秦の侵攻に対し趙は何だかんだかなり粘っていた。
ところが紀元前234年(始皇13年)、秦が韓(かん)国を滅ぼしたのを皮切りに、春秋戦国時代末期の勢力図が次第に変化し始めた。韓は7大国の中では小国であったが、情報戦を主軸に戦わないことで生き延びていた。しかし秦が韓を攻略したことで情報戦にも強くなったため、李牧を失い情報戦が弱まって尚も武力で最後まで戦い抜いた趙も、紀元前228年(始皇19年)についに滅亡した。
ところが趙が滅亡した同年、7大国の中で最大の勢力を誇っていた楚(そ)国で大事件が起こった。当時の楚王・哀王(あいおう)を負芻(ふすう)の狂信者が倒し、負芻が楚王に即位した。しかし負芻は狂信者による支持で玉座を奪ったことからも分かる通り、為政者として問題があったため、楚の国力が著しく低下することとなるが、秦国の侵攻は歯止めが利かず、楚は戦わなければ生き残れない窮地に立たされていた。
そんな中、紀元前225年(始皇22年)、秦国は20万の兵をもって楚国に侵攻したが、楚の将軍・項燕(こうえん)は秦の大将軍・昌平君(しょうへいくん)が秦国の亡き国王の娘と楚国の亡き国王の間に生まれた子であったことを明かした。
「昌平君様! 貴方は元々我ら楚の国王となるべき御方です! どうか我らを導き中華統一を果たしましょうぞ!」
「承知した! これより昌平君は秦を捨て楚で中華統一を果たす! 秦国で私より強い軍師も将軍も居ないのだから、項燕と手を組めば中華統一RTAも完成する!」
こうして昌平君は楚国に寝返り、項燕とともに秦国20万の兵を打ち倒し、楚国の中華統一が始まるものと誰もが確信していた。
だが、それを阻む最強の人物もまた秦国に居た。
「昌平君! お前を倒して中華統一を果たす!」
李信(りしん)は若さ故の武勇により昌平君を圧倒し、
「昌平君の軍略を全て把握している俺なら余裕で勝てる!」
蒙恬(もうてん)は昌平君を上回る軍師の才能で知略のアドバンテージを覆し、
「誰が相手であっても俺の槍でイチコロだ!」
王賁(おうほん)は最も多くの楚兵を打ち倒し、
「昌平君、お前を救い出す!」
そして昌平君の親友だった蒙武(もうぶ)が昌平君を倒した。
「そうはならんやろ!?」
項燕もこの状況にはツッコミを入れざるを得なかったが、彼もまた戦いの渦中にいるため、昌平君の敗北により自らの敗北を認めるしかなかった。
こうして昌平君による中華統一RTAは失敗に終わり、結果的に秦国が中華統一を果たすこととなった。
エアプ『キングダム』 @soccya
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色づくスカイグレー/@soccya
★0 エッセイ・ノンフィクション 完結済 1話
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