3-12 マヤイ・ユチルス

 修行としてモンスターと戦うのは朝昼晩の1日3回、それ以外は修行場内で自由に過ごす決まりとなっている。

 自由といえば聞こえはいいが、外には出られないし、中に何か面白い場所があるわけでもない。用意された個室でぼーっと待機するだけの時間が続く。

 ジョーマーサが話し相手としてはいるが、モンスターに手も足もでなかった関係で、落ち込んでいる状態だ。


 ほとんど沈黙したまま夜になってしまった。元々昼時から薄暗い部屋だったが、日が落ちると余計に暗くなる。


「そろそろ腹が減ったじゃろ。ワシが用意するぞ」


 個室にショシウが入ってきた。廊下の天井には光が灯されていて、それが室内に入る。


「まぁ、本当ですか?」


「1人2500エソじゃ」


 ショシウは当然かのような顔で催促する。呪文に限らず、ここでは事あるごとに金銭を取るらしい。


「たっか……」


 割高な値段設定、他に食べるものがないからといって……酷い、酷すぎる。

 食事に2500エソは記念日で奮発した際とか、もっと特別な状況じゃないとまず出せない。


「大丈夫ですか? 難しければわたくしがお支払いしますが」


 ジョーマーサは眉を落として俺に尋ねた。


「そういう問題じゃ……ないんだよな。あんまりジョーマーサの財力に頼りたくない。あくまでプレイヤーとして稼いだお金だけでやりくりしたいんだよ」


 俺はジョーマーサに甘えていた、甘えすぎていた。衣食住を提供してもらっていてはただの道楽である。この修行は……ちゃんと自分の力でやり遂げなくてはならない。


「では……1人分だけ頼みましょう。全く食べないのは体に悪いですし」


 ジョーマーサは微笑んだ。あくまで俺の話だったのに、付き合ってくれるなんて……わずかに目頭が熱くなる。


「ホッホッホ、倹約家よのう……。1人分じゃな?」


 喜びの感情はすぐさまショシウによってかき消された。

 ニヤニヤとした目が怒りを湧きたてる。ここでキレたところで意味はない……呪文を習得したら一発ぐらいは殴ってやろう。


「ああ。その前に便所に行きたい。どこだ?」


「ここの廊下を右に渡った先じゃ、350エソ」


「そ、それすら金をとるのか……!」


 本当に……、搾り取る気満々だ……!



 ***



 食事の適正価格は、払った金額の半分ぐらいが妥当だろうか。かむ回数をいつもの2倍にして量はごまかしたが、味が薄いせいで満足感は全く得られなかった。


 食後にもう一度モンスターと戦ったが、やはり手も足も出ず……どっと疲れが蓄積したまま、1日を終えた。


「起きていると腹が減る。寝ようぜ」


 個室に戻り、ショシウから受け取った毛布をジョーマーサに渡す。毛布も金がかかるので1つのみ、俺は何も巻かずに寝ることにした。

 旅のはじめは野宿をしていたのだから、この程度大したことではない、寒ければ簡単に眠れる。


「…………」


 仰向けに寝て、目を閉じる。今日1日でかなり体力を使ったし、すぐに眠りにつけるだろう。


 その時、ふかふかした布が腹部にかけられた感覚がした。


「毛布も分け合いましょう……」


 小さくひんやりとした手が、俺の右手を覆う。すべすべとした指先の腹で擦られると、手がだんだん温かくなっていく。


「ど、どうしたの……?」


 このような甘えた仕草をジョーマーサからされるとは思わなかった。体が急に火照ってきて、心拍数が上がっていく。


「ショシウさんは、諦めたければいつでも諦めて良いと言っていました」


 か細く、弱弱しい声が耳元に届く。


「……やめたいのか?」


 尋ねると、ジョーマーサの手の握りが強くなる。何となく彼女の気持ちが伝わった。


「わたくしが新しい呪文を覚える話をしたのに……申し訳ございません。保証もなく、期限も分からず……続けられる自信がありません……」


 ジョーマーサの手が震えている。右を向くとジョーマーサの顔が見えた。黒目の先には俺がいるが、目が合っている感覚がしない。虚ろな表情だった。


「だったら、ジョーマーサはいつでもやめていいよ」


 無理はさせられない。そもそも呪文を会得すると勝手に約束したのは俺だ。


「シジューコさんは、平気なのですか?」


 唇以外をほとんど動かさず、ぼそぼそとジョーマーサは言った。


「確かに辛い、それだけじゃなくてショシウもムカつく。でも……あの子が、ウンビョナはもっと辛い苦しみと何十日も戦っているから……」


 くじけそうになるたび、あの家族の顔が思い浮かぶ。決して深い仲ではなく、旅の途中で出会った人に過ぎないが、それでも俺に力をくれる。


「俺たちはあの子の希望になっているはずだから……可能性がある以上俺は諦めたくない」


 ヒーラーへの期待……どうしても裏切りたくない。


「わがままで悪いんだが、ここやめた後は、何か別の手段がないか……」


「いえ、やめません。やっぱり……もう少し頑張ることにしました」


 前言撤回があまりにも早い。俺は口が開きっぱなしになり、固まってしまった。いつの間にかジョーマーサの目には光が戻っている。


「シジューコさん……ありがとうございます」


 ジョーマーサは指と指を交差させ、強固に手をつないだ。



 ***



 修行場に入ってから5日が過ぎた。


 成果は……全く出ていない。

 コブラへの対抗策はいまだに見つからないし、新呪文が出てくるわけでもない。ことあるごとにお金を取られるので、金銭の底も見え始めていた。


 昼過ぎ、13回目の挑戦となる。


「はぁ……」


 ジョーマーサの元気は日に日に減っていた。


「ジョーマーサ、限界が来ているなら……」


「平気です……次こそ、習得しましょう!」


 初日の夜以外、全く弱音を吐かない。ジョーマーサの何がそうさせるのだろうか、俺の言葉がそこまで影響を与えてしまったのだろうか。

 頑張っている彼女を止める権利はない。これ以上の言及はやめ、戦いの部屋に入った。


「ハアアアアアアアアアアブス!!」


 もはや聞きなれた声……コブラが現れた。ショシウいわく、特に特別な名前は付けられていないらしい。


「第1の術、ユチダン!」


 下に杖先を向けてジョーマーサが呪文を唱える。出現した魔球は、杖を振り上げることで床を転がる。

 何かしらの攻撃手段がないかいろいろと探っていた中、ジョーマーサが編み出した攻撃を当てる方法だ。新しい呪文は覚えなくとも、一応成長はしているといえる。


「ハブブブッ! ブーブー!」


 尾に魔球が当たったが、今回も効果なし。毎度戦い方を変えているが、成果と呼べるものは未だに1つもない。


「ユチルス!」


 今回は俺が回復役となって後衛に立つ。何もしても勝てないので、とにかく総当たりで戦い方を変えるしかない。


「クゥ……、うぅ……!」


 俺たちが弱っているのか、モンスターが強くなっているのか。毒は戦うたびに強くなっていく。今日は特に強い……!


「ユ……! ユチ……!」


 ジョーマーサは杖を落とした。カラン、と床に当たる音が反響する。その次の瞬間、ジョーマーサは魂が抜けたように倒れる。


「ジョーマーっ……」


 俺も声が出なくなる……。


 体が震え、力が入らない。背中から倒れていくことに抗えなかった。


 お金も、体も、何もかもギリギリ。お先も真っ暗だ。


 どうすれば……どうすればここを突破できるのか……?


「……あ、ああっ……」


 考えても体を裂くような痛みが走るだけ。回復しなくてはいけないのに、口が固まり動いてくれない。


 辛い、苦しい、痛い、逃げたい……不の感情が次々と押し寄せ、潰れそうになる。


 でも……それでも俺は諦めたくない……!


 <マヤイ・ユチルス>


 絶体絶命の最中、俺の脳内に1つの呪文が浮かび上がった。

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