3-11 呪文修行場
ジョーマーサの言った「任意の呪文を教えてくれる施設」があるのはカタユだった。
屋敷の人たちに別れを告げてから一晩しか経っていない。あまりにも出戻りが早い、もし再会したら気まずいだろう……と、余計なことが頭をよぎる。
キョウビ側からカタユに入って少し歩く。薄汚れた裏通りは昼だというのにどこか暗い雰囲気がある。
「ああ! ありました!」
そんな通りの奥に古びた建物があった。ジョーマーサは右手で指を差し、左手で俺の肩をたたいた。
「ここが……呪文修行場か……」
看板には確かに修行場と書かれている。しかし手入れをされている気配はなく、今も修行ができるのか疑いたくなる。
「バカ……本当にバカだな。確証もないのに約束なんかしちゃって……」
ツデレンは不貞腐れた態度をとる。最初に呪文修行場の話を聞いた時からジョーマーサを疑っていて、ほれみたことか、と今にでも言いそうだった。
「い、いやいや! まだ潰れたと決まったわけじゃないし!」
「ホッホッホ。その通りじゃ」
扉から一人の男が出てきた。毛量が凄まじく、縮毛は目元が隠れてしまっている。口元も真っ黒なヒゲで覆われていた。
「潰れている見た目で悪いのぅ……。最近は来る人が減って……でも営業はしておるぞ」
ヒゲをいじりながら男は言う。しゃべり方に年季を感じる一方で、肌や声は若々しい。
「あ、ははは……」
潰れた前提で話をしていたためか、ツデレンは少し気まずそうである。
「改めて……ワシの名前はショシウじゃ。気軽に師匠とでも呼んでくれ。で、君たちはここを利用したいわけじゃな?」
「はい。こちらで自分の習得したい呪文の修行ができると伺いました」
ジョーマーサが丁寧に頭を下げたので、俺も下げる。
「ん~まぁ、基本はそうじゃな」
ショシウは腕を組み、首をかしげる。少し不安な口ぶりだ。
「どうしても素質というものがあるからのぅ。習得できる保証はできんのじゃ。ワシにできるのは習得できる環境に君たちを置くことのみ」
素質――呪文の習得に欠かせない要素である。武器や環境をどんなに整えても、素質が無ければ意味がない。
「何日かかるかは分からんし、習得できなくてももちろん代金はいたたくぞ。それでも良いな? 後でゴネるのもなしじゃ」
「は、はぁ……」
念入りに注意を受け、自信が揺らぐ。俺たちにウンビョナを助ける方法は他にない。それが無理だったらどうすれば良いのだろうか……少し怖くなり、手足の先が張りつめる。
「アンタたちでやりなよ。2人でやったほうが確実だし」
背中を押された。ツデレンの手の温もりが伝わる。
「あら、ツデレンさんは良いのですか?」
「私の呪文は代償付きになっちゃうし。お金がかかるなら、その間ちょっとでも私が稼いでいたほうがいいでしょ?」
ツデレンはにんまりと、得意げに口角を上げる。
「ツデレン……ありがとな」
その言葉により、よぎった不安が払拭された気がした。
***
簡単な説明を受けた後、俺とジョーマーサは修行場に入った。習得まで何日かかるか分からないので、住み込みで修行をするらしい。
建物内は薄暗く、じめじめとしていた。歩くたびに床がきしむ音がして、今にも穴が開くのではないかと不安になる。
左右に小部屋がいくつもある廊下を渡り、最も奥の部屋に案内された。
「君たちが習得したい呪文はどんな呪文かのう?」
ピタりと足を止めたショシウが振り向く。俺たちの装備をキョキョロ見回しながら、質問をした。
「周囲の方々の状態異常を回復する呪文です。モンスターの吐いた特殊な毒に苦しんでいる人がいて……わたくしたちはその方を助けたいのです!」
「ほう、理解した。では部屋に入ってくれ」
ショシウが目の前の扉を開ける。何も置かれていない無機質な空間がそこにはあった。窓のような外の光を取り込むものは存在せず、扉が閉まると完全な暗闇となる。俺とジョーマーサはこの部屋に閉じ込められてしまった。
「な、なにが起こるのでしょうか……?」
「修行は簡単、制限時間内にこの部屋に出るモンスターを倒すだけじゃ」
ショシウの声が天井から聞こえる。
「え? それだけ?」
説明が少なすぎる。それは修行なのか? 実践ではないのか? 頭の整理が追い付かない。
「ハアアアアアアアアアアブス!!」
突然、部屋が明るくなり、1本の長い胴体をうねらせたモンスターが出現した。六角形の頭は緑色に光り、鋭い目を向けられる。
特徴はカタリ・コブラに近いが、頭部はもっと丸っこい。新種のモンスターだろうか。
見慣れないモンスターに警戒し、様子を伺っていたところ、空気から悪臭がし始めた。
「うぐっっ!?」
呼吸をするたびに体が重くなり、自由に動かせなくなってしまう。
「シジューコさん……わ、わ、たくし……胸が……!」
片膝立ちになり、ジョーマーサは胸を押さえる。
「まさか……、毒か……?」
症状はまさにそれだ。ここは今、毒霧で充満しているようだ。一体なぜ、こんな急に……ショシウは何者なのか……?
考えても頭が回らない……。どんどん力が奪われ、立つことすらままならない……!
「ユチルス! っくぅ……!」
ユチルスを使うことで、むしばまれた体は回復できる。しかし毒そのものは残っているため、またすぐに胸が悲痛な叫びを上げる。
「シジューコさん……! わたくしが回復に専念します……! 第1の術、ユチダン!」
ジョーマーサは杖先を俺の背中に付けた。この状態ならなんとか肉体へのダメージは抑えられる。
「ですから……! モンスターをお願いします!」
何はともあれ、今やるべきは目の前のモンスターを倒すことだ。ジョーマーサに支えられながら、俺は杖をモンスターに向けた。
「マナダン!」
相手の動きは遅い。簡単に魔球を直撃させられた。
「ハアアァァ……? ハブブッ!」
が、ダメだった。
全く効いていない……。魔球は蒸発し、コブラは何事もなかったか様子でゆったりとした移動を続ける。
なかなか直接的な攻撃をしてこない、毒で息絶えるのをじわじわ待つ戦法らしい。
体内の魔力が有限であることを踏まえると俺たちのほうが不利だ。その前に倒さなくては……いや、倒しても毒が消えるわけではない。
「そうか! このモンスターに勝つ鍵が新しい呪文というわけか!」
「だから……。そういう修行なのですね……」
「ああ……多分な……」
だったらなんとしてでも……この戦いに勝たなくては……!
***
ダメージを全く与えられないまま、時間が着々と過ぎていった。
「時間切れじゃ」
天井からショシウの声が聞こえ、モンスターが煙のように消える。部屋は橙色に光り、ショシウが降り立つ。
「はあ……はぁ……!」
頭がクラクラとして喉が渇く。もはや言葉すら出ず、ショシウも二重に見えてくる。限界だ……。
「ホッホッホ。よく耐えたのう。イジョカルス!」
ショシウは2本の指を立て、俺の額に当てる。スっと体の苦しみが消えた。
「お嬢さんも。イジョカルス!」
「な、なんだその技! それがあるなら修行じゃなくて……」
この人に助けてもらう方が早い。俺たちが呪文を習得するかどうかより、ウンビョナを助けるのが最優先すべきである。
「これで解除できるのはあのモンスターの毒だけじゃ。君たちの助けたい人は助けられんぞ」
「そうですか……」
やはり、俺たちが呪文を習得するのが最短の道なのだろうか……。
「あ、ワシの呪文は1回1000エソじゃ」
「は、はぁ……? なんだそりゃあ……」
あまりにも唐突だった。ショシウに手を差し出されたが、意味が分からなかった。
「出せんのなら修行はもう終わりじゃ。残念じゃが君たちは」
「出します、わたくしがシジューコさんの分も出します。ですから修行を続けさせてください……」
「あ、いいって! 分かった分かった! 自分の分は自分で出すから!」
さすがにジョーマーサに出してもらうわけにはいかない。どうにも納得いかないが、1000エソを2人分、ショシウに徴収された。
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