悲願花

 早朝に迎えに来た清之進は、小屋のなかで、鉢を前に呆然と座り続けているを見て、同じように唖然となった。

 一睡もしていないようにみえる少女の頬に、墨がついている……。

「あ」

 鉢を見た。

 蕾のなかに「黒」が息づいている。

「や……!」

 次にみたのは、あたりに散らばっている花びらの残骸であった。なでしこの花びらに似せて布を切り裂いたらしかった。

 ところどころ薄黒いのは、が筆で塗ったのであろう。けれど、どうみても、花弁には見えない。

 ……清之進はすべてを察した。

 にせものの黒い花びらをつくろうとしているのだ、とおもった。

 けれど清之進は、何も言わない、発しない。

 ふいに羽織の裏地をまくり、指で触った清之進は、おもむろに脱いで、脇差を抜くと裏地を斬り裂いた。

 黒……である。

 しかも絹と麻の混縫いで、見た目にも、平面的ではなく、ややふくらみをもった波うつあたたかさがある。

「これで花弁を……」

と、ささやくように清之進がつぶやいた。

 アッとうなずいたもまた無言のまま、はさみをあて、なでしこの花びらをかたどり出した……。


         ○


 頭巾をかぶった藩公とのさまは、横たわった世之介にすがりつく少女を目でずっと追っていた。

 その隣に清之進がさながら血族であるかのように佇んでいた。手には風呂敷包みをげている。

 ちらりと世之介がをみた。

 見た……のだと、その場に居た誰もがおもった。

 けれど清之進には、そうは見えない。力をいれたが父の肩を強く揺すぶったせいだと気づいていた。

 ふいにが清之進をちらりと見上げた。

「あ」

 慌てて清之進が風呂敷ごと床に置き、結び目をほどいた。

 ひゃあ。

 だれが洩らした吐息であったろうか。周りに感嘆の声なき声がれ拡がった。

 黒い花弁。

 しかも、三輪さんりん

 黒い花のなでしこ……

「おとう、おとう、咲いたよ、咲いたよ、真っ黒なお花……」


 は父の耳元で叫び続ける。


「おとう……あたいの声、お花の声、聴こえる? 咲いたよ、やったよ、ほんとだよ」


 ついにやったのか、できたのか……と、その場に居た誰もがおもった、信じた、驚いた。


「ひゃあ……」と洩らしかけた藩公とのさまが数歩近づきかけたまさにそのとき、の周りを取り囲み、からだを前屈まえかがみに〈黒い花のなでしこ〉を覗き見ようと群がった武士たちのその中の一人を、いきなりが鋭く指差した。


「あ……このひとです……、あたいを襲ってきたもう一人は……!」


 ひゃあ。

 ふたたび、声なき声が少女の周りにちた。

 指差された武士が、

「な、なにを申すかっ! 無礼者めがっ!」

と、憤然と怒鳴り出した。

 ……重臣の嫡男で、日頃からの素行の悪さはその場にいた誰もが知っている。

 は引き下がらない、動じない。


「本当です、どうか、信じてください……あのときの顔は忘れるものですか」

「ば、馬鹿な! 人殺しのおまえの申すことなど、誰も相手にはすまいぞ」

「あ、ほら、あたいが人を刺したことを知っている……!」


 は、なぜかホッとしていた。

 犯人を見つけたことよりも、ずっと隠し通してきた真実を公けにできたことで、この特別な一日に、遅まきながらも父の濡れ衣を晴らしたことになる……。

「だ、黙れっぃ」

 その武士が大刀を抜いたのをすばやくさえぎったのは、清之進であった。

 すでに脇差を抜いている。

 頭巾の藩公とのさまの目が、清之進をとらえ、双方の視線があったとき、藩公はこくりと頷いた。

 成敗せよ……との無言の指示であったろう。

 清之進は、大上段から振り落とされた刀を払うと、そのまま半身はんみを落としたまま駆け寄ると、相手の脇腹を撫でるようにススッっと斜め上へ斬り上げた。

 と、屋根に潜んでいた覆面ふくめんの人物が、を狙って矢で射った。

 連射であった。

 悪だくみの仲間なのか、それとも隣藩の密偵であったか……。

「や」

 清之進は鞘に納めかけた脇差を逆手さかてに持ち替えるや否や、曲者めがけて投げつけた。


 ぎゃあ。


 転がり落ちてきた曲者の腹から、脇差を引き抜いた清之進は、藩公のほうをちらりと仰ぎ見た。

「でかした! 清之進!」

 藩公の声がずしんと響き渡った。

 ひゃあ。

 もはや声なき声ではなく、踊り狂うように慌てふためく武士たちの傍らで、しんぞうを貫いた二本の矢をそっと抜いたのは、清之進であった。

 そのからだを抱きかかえると、そのまま、世之介の隣に寝かせ、抱き合わせるように向きを変えた。

 頭巾をとった藩公とのさまは、

「……父娘おやこを、予の菩提寺に弔うべし」

と、やや声を荒げ気味に言い捨てた。

 清之進が、黒花の鉢を父娘の間にそっと置いたのをみても、藩公とのさまはなにも発せず、そのまま、てのひらをわせて清之進を招き寄せた。


「やはりの……黒い花は、かなわなんだようだの」

「は、はい、申し訳ございませぬ……造り花で、お殿様をたばかった罪、このわたしも同罪でございます」

「そちは死んではならぬ。先にったもののぶんまで生きてやることじゃ」


 そのとき藩公とのさまは確かにたのだ。物言わぬ父娘のからだのうえの鉢が、かすかに揺れたのを……。

 その黒い花弁は……それ自体が生き物であるかのようにいつまでも揺れ続けていた。



 その日、まさしく同じ刻限……の庭に、枯れかけた世之介石竹に混じって、ぽつんと、黒い花が咲いた。

 それはあまりにも、さびしげで、あたかも風に吹かれて飛んできた黒いちょうがとまったようにもみえたはずだったが、気づいた者は誰もいなかった。その花……父娘おやこ悲願花ひがんばなが、その後どうなったかについての記録は、藩にもどこにも残されていない……。


               ( 了 )

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悲願花(ひがんばな) 嵯峨嶋 掌 @yume2aliens

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