事件ふたたび

 いよいよ秋が終わろうとしていた頃、いつにない強張こわばった清之進の表情を垣間見て、は不吉な予感に身悶えした。

 頭の先から足の下までが、ぶるぶると震えに震えた。

「お、おとうに、なにかが……?」

 そう感じた、察した、感得した。

「あの、どんなわるいことでも、隠さずに教えてくださいまし」

 そう叫ぶことが精一杯のは、何度も何度も同じことばを繰り返した。

「実は……」

と、清之進が切り出した。

「突然の流行り病にて……」

「えっ……?」

「……余命いくばくもなし、と、お殿様がおつかわしになられた御典医さまのおたてでございます」

 

 ひゃあ、どうしよう……。

 は慌てた、焦った、顔をゆがめた。

 父が島流しになったときから最悪の事態は少女なりに想定してはいた。もとより、見せかけの流罪であったとしても、厳重な警備を拒否した父に対して藩公がお怒りなのだとおもっていたのだ。職人気質かたぎの父なればこそ、これまでも意図しない反感を招くことも多々あった。

 けれど、父の最期のときが、こんなにも早くやってこようとは、にはそれが悔やまれてならなかった。

 さまざまなおもいが一挙に去来し、少女の思念を滞らせた。

 明日、御城ごじょうの三の丸に隣接する薬草園の番所に、虫の息の世之介が運ばれてくることを、清之進が伝えた。


「……お殿様もお忍びで、世之介さまを御見舞いなされます。ちえどのに、すまぬことをした……と申し伝えよ、との直々のお申し付けでござりました」


 早朝に迎えにくると告げて、清之進は退しりぞいた。の悲しい顔を見たくはなかったのであったろう。

 かれが立ち去ってからも、はまんじりもせず、

(どうしよう、どうしたら……)

と、そのことばかりを考えていた。

 父のこともさることながら、父の悲願であった黒花創出のことを考え続けていたのだ。

 せめて、父の最期に、ひと目でいいから、

『咲いたよ、おとうの花が、咲いたよ……』

と、告げたかった。告げずにはおられない……。

 嘘をつくのは悪いことだとはも承知の上だ。けれど、ひとこと、ひと目……。

 そうおもったは、庭の石竹を見て回った。

 薄紅の花は枯れている。白花も、すっかり落ちた。

 葉をき分けて、まだ残っているつぼみがないかを必死で探した。 

 白でも薄紅でもいい、蕾を蕾を……と掻き分けていると、庭ではなく、風の当たらない軒下に置いていた鉢植えに、蕾がやどっているのを見つけた。


(ひゃあ、ひとつでいい、ひと鉢でいい……)


 は、その鉢を手に持って小屋に運び、板場の上に置いた。

 そして、筆箱のふたを勢いよくけた。

 まず、墨をるのだ。

 ……少女なりに思い立ったのは、筆で蕾の割れ目に墨を塗れば、黒い花弁がそこにやどっているように見える……はずだということだった。

 ひと目でいい、鉢花をみせて、ひと言だけ「おとうの花だよ」と告げたかった。


(ごめんね、ごめん)


 父をだますことを謝りつつ、じつはのそのことばは、草花へ向けられていた。なでしこへの謝罪、の気持ちであった。せっかくのいのちを、墨で黒く塗ってしまうことは、かわいそうを通り越し、冒涜ぼうとくそのものの行為のようにおもわれた。なにかけがしてはならない大切なものを無碍むげに扱う所業のようにおもえてならなかった。

 しかも……。

 冒涜といえば……。

 汚すといえば……。


(……おとうは、あたいの身代わりで島流しになった……このあたいがひとを殺したのに……)


 ぶつぶつとひとりごちるの悲痛の声を聞いたのは、なでしこたちだけである……。

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