四人の悲願
「まだ、咲きませぬか……」
清之進はちえの姿をみかけるたびに、挨拶代わりに声をかける。
いつものことだ。
「はい……今年も……
ちえはそう答えるしかない。
すでに秋は深まり、世之介石竹はまだ一部に花びらを残してはいたものの、そのなかには黒の花は一輪もなかった。
島にいる世之介の要望、たとえば、庭のこのあたりの土を掘り起こし、二日日干しきたのを持ってこい……とか、あの鉢に植えたものを日陰で半月置いたものがほしい……、どこそこの井戸の水を樽に……、
この連携が、かれこれ二年近く続いていた。
いわば、世之介の悲願と藩公の悲願を具現化させんがために、清之進は世之介の一人娘のちえを励ましているのだ。そういう役目であった。
それはすなわち、ちえの悲願の担い手としての役割を果たしているのと同じことである。そのことは、いまなら清之進にもよくわかる。同輩から、
「おとう……は、元気にしているでしょうか?」
世之介からの指示を伝えるたびに、ちえは、同じことを
「はい、心配はご無用かと存じます。定期的に、お殿様の御沙汰で、医師や
清之進の物言いはあくまでも丁寧であった。それに余計な無駄口は一切たたかない。それがちえにはなによりも嬉しかった。あれこれと細かなことまで
それでもちえには、ときおり
それが恋慕の情へと変わらないのは、ちえなりに身分の
「
むしろ、ちえにはそのことのほうが気掛かりであった。お城勤めになれば、また違うひとが清之進の代わりにやって来るにちがいない。すこぶる物腰の柔らかい清之進に慣れてしまったちえにしてみれば、また一から関係を築くことのほうが
「お殿様にお願い申し上げ、その儀式は延ばしていただくことに
ぼそりと清之進は答える。
この藩では通常十五の
(清之進さまは……黒いなでしこが出来上がるまで、元服なさらないのやも……)
なぜそう思ったのかは、ちえなりに自分でもわかる。清之進の父は、
その噂はいまでは誰もが知っている。
本来は重罰のところ、清之進が藩公の覚えめでたかったこともあって、かれの元服を待って家督を相続させよ、といった温情の
(それなのに……わざわざ元服の儀をおのばしになるなんて……)
ちえは、清之進なりに、黒い花創出に、おのれの将来を賭けているような気がしてならなかった。
「お友だちは……おいでにならないのでございますか?」
ちえがそうたずねたとき、頬をあからめながら、
「ええ」
と、小声でうなづいた清之進の何ともいえない表情をちえは忘れはしない。不名誉な父親の一件で、それまで親しくしていた幼なじみや剣道場での仲間も、一人二人……と清之進から離れていったらしかった。
「だから、いまでは、あなたが、唯一の友のようなものなのです」
清之進はいう。
それほど深い話もしないのに、いつも身近にいる清之進には、どうやらちえの存在というものが、友と呼べる重みを持つまでになっていたようであった……。
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