30 消失

 昨晩の夢で出会ったカラス――。

 和合したホムラ達に憑依し、そして自らを<焔の子>の守護者と自称する男。


 あくまであれは、ホムラの夢の中の話だ。だが、夢だからといって軽視できる話でもない。どういう訳か烏はホムラにまで残しているのだ。


 白狐や陽満ひろみつに伝えた方がいいのだろうか。


 そうしてホムラが学校でも悩んでいる内に、はとうとう訪れようとしていた。





 事の始まりは、その日の昼過ぎ――昼休み後の国語の授業だった。


「どうした、凪良?」


 始業ベルが鳴り終わっても、しきりに机の中や脇のバッグを覗く架美来かみらに熊野が呼びかける。


「教科書が……」


 そう言い淀む架美来の表情は、一見して平然を装っているものの、焦燥の色がわずかに滲んでいるようにホムラには思えた。


「無いなら誰かに見せてもらいなさい。それじゃあこの前の続き、六十三ページから始めるぞ」


 小さく頭を下げ「すみません」と謝るものの、怪訝な表情で座ろうとする架美来に、すかさず笑花えみかが教科書を差し出した。


「凪良さん。コレ、使って。私はホムラに見せてもらうから」


「いや、いいよ。無くても別に困らないし」


「でも今日の音読、凪良さん指されちゃう、かも」


 そう念押しされて、少し躊躇いがちではあったものの――架美来は「ありがとう」とお礼を言って教科書を受け取った。


 そんな和やかな場面の裏で、ホムラは気付いてしまった。


 前の席から漏れ聞こえた、かすかな笑い声。

 遠巻きから架美来の方を見て、くすくすと卑怯にほくそ笑む数人の女子。

 昨日、架美来に嫌味を言っていたグループだ。


 ヤな予感、するな。


 ほぼ確信に近い直感だった。

 今はただでさえ気持ちが参っている。

 学校生活くらい穏やかに過ごしたい。


 しかし、こういう予感は大抵当たってほしくない時に、当たってしまうものなのだ。




 放課後になってすぐ、手早くバッグにノートや教科書を詰め込む。

 今日の放課後もグループ学習の資料集めをするために、四人で一緒に図書館へ行こうと、そう約束をしていた。


 芳樹も笑花は、もう帰り支度が済んでバッグを背負っている。

 しかし、その中で架美来だけはまだ準備すらしていないようだった。


 自分のロッカーや机の中、果ては掃除用具入れやゴミ箱――中を覗き込んでは溜息を吐いて、また他の所で同じ事の繰り返しだ。


「凪良さん。これから図書館行くけど、大丈夫?」


 あからさまに様子のおかしい架美来に、側で待っていた笑花が遠慮がちに声をかける。だが架美来は、こちらに振り向きもせず「先行ってて。後で追いかける」と素っ気なく返すだけだった。


「でも……」


「ないんだろ。国語の教科書」


 ホムラの問いかけに、ゴミ箱を漁る架美来の手が止まった。

 同時に「えっ」と驚く笑花と芳樹の側で、ホムラは「朝は?」と続けて尋ねると、架美来は「あったよ。朝すぐに机の中に入れた」とようやくホムラの方に顔を向けた。坦々と事実を言う架美来の顔に、珍しく焦燥の色が滲み始めている。


「でも、それじゃあ、どうして……」


 狼狽える笑花に「チョーシ乗ってるからだよねー」と、背後から嫌味ったらしい声が飛んできた。国語の授業前、教科書を探す架美来を笑いながら見ていたあの女子グループのリーダーだ。


「ヨソモノのクセに偉そうにしてさぁー。バチでも当たったんじゃん?」


「バチって何ぃー。ウケるー」


「しょーがないよぉ、フツーじゃないんだし。やさしくしないとぉ、カワイソーじゃん」


「えーウチ、オトコ女ムリぃー」


 面と向かって架美来には言わない。

 ただ侮蔑の眼差しを向け、煩い仲間と共に口々に悪口雑言を言いながら架美来とホムラ達の横を通り過ぎて行く。


 間違いない。

 嫌な予感が完全に確信に変わった瞬間だった。


 教室を出てもなお「ギャハハ」と下品な笑いで悪たれ口を叩く女子に、とうとうホムラは辛抱ならなかった。


「お前らちょっと待てよ!」


 掴みかかりそうな勢いで追いかけようとするホムラに、架美来が冷静に「やめろ、朝山」と諌める。


「はぁ?! お前こんな時に何落ち着いてんだよ?」


「証拠がない」


 冷静に諭されて血が上りかけた頭が冷めていく。

 確かに、そうだ。

 あからさまな言動や仕草をしていても、あの女子グループが架美来の教科書をどこかに隠した現場を見た訳でもなければ、その証拠がある訳でもない。


「いいから先行って。あそこの分館、五時には閉館するぞ。教科書なんか再注文すりゃいいし、何なら電子版に切り替えたっていいんだから」


 ホムラ達を手で軽くあしらう仕草をして、架美来はまたゴミ箱の中を一人で漁り始めた。


 架美来がこう言っている以上、自分たちにできる事は何もない。

 でも、これがただの始まりに過ぎないのなら――。

 あの女子達が架美来を毛嫌いし続けるなら、これで満足するとは思えない。


「ダメ! ダメだよ、こんなこと……」


 痛ましい叫びにはっと架美来が振り返る。

 胸の辺りの身そでを強く掴む笑花は、まるで自分が深く傷つけられたかのように唇を結び、顔を歪ませていた。


「わたし、探してくるね」


 そう言い残し、背中のカバンを下ろして教室を飛び出した笑花に「ちょ、おーい!」と芳樹が言うも、笑花の姿はすでに廊下のずっと先にあった。


「俺も探してくる。ヨッちゃんは先行ってて」


 カバンを机に下ろし、続いて教室を出ようとするホムラに「ちょいちょいちょい?! 調べ物どーすんの?」芳樹が慌てて引き止める。


「先に図書館行ってよ。こっちはオレ達で探すから。ほら、行くぞ凪良」


「だから俺の事は構うなって……」


「お前の教科書、多分教室にねーから。一人で学校中探したら日が暮れちまうぞ」


 早くと手招きで促すと、架美来は渋々と言った様子でホムラの後に続いて教室を出た。


「こんのお節介野郎。まさか借り返そうとか思ってんじゃないだろうな」


「ちげーよ」


「あぁ?」


「あんな笑花、オレ初めて見た」


 今にも詰め寄ってきそうだった架美来が気圧されたように言葉を詰まらせる。


 実際にそうなのだ。

 ホムラが学校で過ごしたこの五年の内、青葉ヶ山でも諍いが全く無かった訳じゃない。それでも笑花があんな――歯を食いしばって涙ぐむような姿は、一度も見た事がなかった。


「オレは笑花の為に探す。そういう事だから」


「どっちにしろお節介だよ」


「うっせ。何とでも言え」


 互いに喧嘩腰のまま長い廊下を抜け、玄関までやって来た――その直後だった。


 グォオオォォオオオ!


「なんッ……?!」


 耳をくぐもった咆哮にホムラと架美来は、言葉にする間も無く身を屈めるしかなかった。


 地面を鳴動させ、己の内側に蔓延る恐怖心を掻き立てる啼声。

 明らかにこの世のものではない、鼓膜を突き抜け情緒を掻き乱す異質な轟きに嫌な汗が身体の内側から滲む。


 数秒程続いただろうか。

 ようやく声が静まり返り、無言で架美来と顔を見合わせる。


 まさか――。


 女子達の甲高い悲鳴が学校中に響き渡ったのは、そのすぐ後だった。




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次回、【白光の焔 第31話】の更新日は【12/7(土)】です。

どうぞお楽しみに!


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