29 烏の御告げ

 今夜は俊蔵と晩御飯を共にして、そしてすぐ自分の部屋の布団で眠りについたはずだった。


 しかし、ホムラはなぜか今、家の居間に座っている。

 

 調味料やお菓子、新聞が雑然と置かれたちゃぶ台。

 何も映っていない液晶テレビ。

 桐箪笥や木棚といった長年見慣れている家具。


 真夜中の如く暗い部屋の襖や障子は不自然に全て閉じられ、縁側の明障子から眩い光が漏れ出している。


 これも夢、なんだろうな。


 外見は慣れ親しんだホムラの家の居間そのものだが、そこはかとない違和感をひしひしとホムラは感じていた。それも幾度となく不可思議な夢を見てきたせいなのだろう。これが現実ではないとすぐに理解ができた。


 だが、この夢は今までとは何かが違う。

 曖昧な意識のままではなく、現実と同じように「自分が自分である」事をはっきり認識しているのだ。


「再会がようやく成ったな、ほむらの子よ」


 喜気とした男の声と共に明障子の向こうに黒影が


 頭に冠を被った人間の形のそれは、蝋燭ろうそくの炎のように微かに揺らめきながら「とは申したが、こうして言葉を交わすのは初だろう。あの契り以来、御主らの側に近づくのも難儀になってしまったのでな」と言葉を続けた。


 契りという言葉を聞いてはっと思い浮かぶ。

 意識を失った後に見た白い夢。


 そこでホムラは白狐ではない何者かの声を聞いて、それに


「もしかして、白い夢の人?」


「和合で喪心した御主らに憑依をしたのは私だ。しかしその白い夢が何かは存ぜぬ。そもそも契りへの干渉はしてはおらぬよ」


「憑依って、まさかあの悪鬼を倒したのは……!」


「いかにも。私が


 以前の自分なら、憑依など言われたところで聞く耳も持たなかっただろう。

 だがこの数日で壮絶な経験をしてきたホムラは、もうただの戯言と聞き流せない。何よりもこの男からは、陽満ひろみつと同じような強烈な力を身に感じる。

 ただ陽満と違うのは、息の詰まるような圧倒されるものではなく、むしろ安堵感を感じる馴染みのある力だ。



――私は、この方に魂の半分を捧げたつもりでした


――ですが、何故かその後の記憶が曖昧で……気が付くと悪鬼は焼失していました



 白狐は以前、悪鬼を倒した時の事をこう語っていた。

 ホムラ自身には覚えがない以上、この謎の人物の言動が本当かは分からない。だが現に架美来だけは、和合した自分達が悪鬼を滅ぼした場面を目撃している。


 そうなら、本当に――。


「アンタは、誰なんだ?」


 おそるおそる尋ねたホムラに対し、男はカッカと豪快に笑って「これは失敬。こちらから名乗るのが礼儀であったな」と気さくに答えた。


「私は主の命により、焔の子の守護を使わされている者だ。しかしまだ真名を明かす事はできぬ。私の事はカラスと呼ぶが良い」


「烏……」


「さて、私も白山の神遣に目をつけられている。御主の夢に干渉したものの、これが許されるのは一度限り。今この場で可能な限り助言を御主に伝えたい」


「助言?」


「御主は今、和合が成せぬ。そうではないかな」


 言い当てられて言葉が詰まる。

 なんでそれを――。

 ホムラの心の内を悟ったかのように、烏はすぐに話を続けた。


「和合を成すには、まず御主が<境界>を知らなければならぬ。この世には、現世と常世の間に無限の境界が広がっている。だが境界は何もこれに限らない。例えば、私と御主の間の障子も一種の境界。内と外。光と影。人と人。そして……」


 烏の影がゆらりとホムラを指さす。


「御主の魂を内包している肉体もまた、この世との境界なのだ」


「でもオレたち、和合しようとしたけど駄目だったんだ。白い夢みたいに手を握って、それでも何も起きなかった……」


「フフ、当然だ。単に手を握り合うのみでは成せぬよ」


「え?」


「よいか。御主らの和合は、新たな御子神を両世界に顕現させるためのもの。もう一人の焔の子……神獣白狐との和合を成すためには、御主ら自身で<再誕の儀>を行わねばならぬ」


 再誕の儀――。

 陽満からも聞いたことがない言葉だ。


「先程肉体それ自体が境界であると申したな。再誕の儀は、まず御主が自身の境界を破る事から始まる。そうして陽である御主の魂が、陰の焔――神獣の子の内に入り、陰と陽の魂が融合する事で唯一の御子神が誕生する。これが御主らの和合なのだ」


「そんなごちゃごちゃ言われたって……」


「私の使命は授かった助言を伝えるのみ。これ以上の事は言えぬが、しかし御主はすでに一度、己の境界を破っているのではないか?」


「オレが?」


「左様。でなければあの契りは成立しておらぬ」

 

 どういう意味なのか。

 そう問いかけようとしたその時、烏の影が突如大きく揺らめいた。


「さあ、この夢もついに仕舞いのようだ」


 今にも強い風に吹き消されてしまいそうな黒い影はゆらゆらと不安定に変容していく。


「私が与えられる助言は此処まで。だが、御主らのすぐ側で蠢く大きな陰……それを討ち祓う手助けにはなるやもしれぬぞ」


「え?」


「焔はこの不浄の大地を救済する光。焔の子よ。どうか主が慈しぶこの地を白光の焔で照らしておくれ」


 それが最後の言葉だった。


 蝋燭の灯火が消えるように烏の影がふっと消えて、ホムラの視界も一瞬にして暗転した。

 あっという間もなく、次に視界に飛び込んだのは見慣れた自分の部屋の天井だった。


 脇の時計の時刻は、午前六時。

 間違いなく今度は現実だ。


「夢、なんだよな……」


 立ち上がろうとして、ふとホムラの身体から何かがはらりと落ちた。

 拾い上げて、ホムラは思わず目を見張った。


 光艶のある黒羽――それは、烏の羽根によく似ていた。




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次回、白光の焔 第30話の更新日は【11/30(土)】です。

どうぞお楽しみに!


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千代五星異聞奇譚 白光の焔 トヨタ理 @toyo_osm12

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