31 消えた笑花
「ホムラくん」
ホムラが校門前に戻ってきたのと同タイミングで、たつジィが体育館の方からやって来た。
「たつジィ、
尋ねてから聞くまでもなかったと気付く。
その顔に笑顔はなく、困惑と焦りが入り混じった表情を浮かべていたからだ。
ズボンの裾を固く握るホムラに、たつジィが「大丈夫。みんなで探しているからね。きっとすぐ見つかる筈だよ」と、ホムラの肩に優しく手を置いた。
だが、いくらここで探してもきっと笑花は見つからない。そう分かっているホムラには励ましの言葉がただ辛かった。
時刻は十八時――ホムラ達が教室で最後に笑花を見てから二時間あまりが経過しようとしている。
だが依然として誰も笑花を発見できていない。
あの時――ホムラと架美来が悲鳴を聞いたあの先にいたのは、やはりあの女子グループ達だった。
二人が駆けつけるなり、女子が一人、また一人と大声を上げて泣き崩れた。
その足元には、表紙が破けた国語の教科書が一冊落ちていた。
「何が、あった?」
架美来の問いかけに、泣きじゃくる女子達は、みな口を揃えてこう言った。
「笑花ちゃんが、目の前で消えた」
それから今まで、ホムラや芳樹(少し前に強制的に下校させられてしまったが)、熊野ら教員も学校中を探し、時には外まで探しに回っていたものの笑花の姿はどこにも見当たらなかった。
ホムラ達の後に駆け付けた熊野が、錯乱する女子達から辛うじて聞き出せた話はこうだ。
案の定、架美来の教科書を盗んでいたのは女子グループのリーダーだった。それに笑花が気づき、その女子と揉み合いになった末に――突然目の前で笑花の姿が消えた。
まるで魔法のように一瞬で消えたのだと、女子達はそう訴えていたものの教員の殆どは子供の絵空事と首を傾げた。目撃した女子達ですら、家に帰されるその時まで自分たちの見た事が本当なのかと疑っていたぐらいだ。
しかしあの場で、熊野と架美来、そしてホムラだけはただの戯言と思えなかった。
架美来と聞いたあの末恐ろしい咆哮。
あれは間違いなくあの夜に対峙した悪鬼の叫び。しかし今日学校にいたホムラ達がいたのは境界ではなく現世。
とするならばあの咆哮の時に学校の境界が大きく歪み、その一瞬の隙に笑花が狭間に迷い込んでしまったのではないか。
数日前、この青葉ヶ山で無惨にも悪鬼によって命を散らされてしまった女子高生と同じように――。
たつジィと別れてすぐ、今度は熊野と架美来が校門からやって来た。
架美来は笑花の失踪を聞いて真っ先に学校から出て行ったようだったが、その格好を見てホムラはすぐにその理由が分かった。
真紅のピアスに、肩先まで下ろした黒髪。
身長をゆうに超える長細い肩掛けのケース。
それは、<祓師>の架美来の姿そのものだった。
「……境界の歪みの発生は、やはり学校内か」
「はい。あの咆哮で歪みが急激に広がったのかもしれません。とにかく俺は今から外へ行きます。依頼者と陽満には急ぎで許可貰ったんで。学校の中に人は?」
「おそらくいないはずだ。全員下校もさせて、教職員も今はほとんど捜索に回っている。残りの教員も退避はしているが、念のため時間前に一度確認はするよ」
「分かりました。こっちの準備は完了してるんで、さっき説明した通りに……」
険しい顔つきで熊野と話していた架美来だったが、ホムラと目が合うと「おい!」と駆け足で近づいて来た。
「五分後、この校舎に結界を張る。お前、ここから絶対動くなよ。家にも帰るな。あの悪鬼なら結界を飛び出しかねない」
「境界に行くんだろ。だったら俺も」
「懲りない奴だな。
「じゃあ笑花の事ほっとけって言うのかよ!」
「だから何度言ったら分かるんだ! お前、宮本を殺したいのか!」
凄まじい剣幕にホムラは言葉を飲み込まざるを得なかった。
これまでに架美来とは何度も言い合いになり、揉み合いになった事もあった。だが、その時のような苛立ちや怒りではない。激しい動揺と焦燥を必死で堪えている。そんな心からの叫びに、ホムラは何も言い返せなかった。
「この依頼はもう凪良家の物だ。手ぇ出すんなら、今度こそ容赦はしない」
そう一瞥をくれて、架美来は校舎の方へ走り去って行った。「朝山。ここは架美来に任せて、私達も避難しよう」熊野がホムラの肩に優しく手を置いたその時だった。
「ホムラ君! 熊野先生!」
校門のすぐ側に停車した車から女性が慌てて出てきた。
ホムラは、その女性をよく知っていた。
髪を一つに結えた、垂れ下がった目尻が印象的なその女性は、笑花の母親だった。
「おばさん……」
いつもは家に遊びに来るホムラを穏やかに出迎えてくれる彼女だが、今は血の気が失われたかのように青ざめている。
「学校で笑花がいなくなったと聞いて……。笑花はまだ、見つかっていないんですか?」
「我々も捜索していますが、今はまだ。家にも帰宅していませんか」
「ええ、まだ家には一度も……。あの、警察とかに連絡は」
「現在学校側で関係各所に協力を願い出ています。報告を待って、それで連絡を――」
熊野の話を聞きながらも、不安に苛まれ今にも倒れてしまいそうな笑花の母の姿に、拳を固く握りしめる。
これで、いいんだよな。
オレには、何もできないから。
本当に、これで。
――私が与えられる助言は此処まで。だが、御主らのすぐ側で蠢く大きな陰……それを討ち祓う手助けにはなるやもしれぬぞ
不意に思い浮かんだ、あの夢の烏の言葉。
すぐ側に忍び寄る、大きな陰――。
――御主の魂を内包している肉体もまた、この世との境界なのだ
――しかし御主はすでに一度、己の境界を破っているのではないか?
烏の言葉が頭に響いた時、閃きが全身を駆け巡った。
白い夢でオレ達はただ手を握ったんじゃない。
オレは、あの時――。
鼓動が高鳴っていく中で、熊野の方を振り返る。
笑花の母親との話に向き合う熊野は、ホムラから視線を外している。
くまっち、ごめん。
気付かれないように校門に向かって全力で走る。
そのまま校門の中に飛び込んだのと同時に全てが捻じ曲がる気持ちの悪い感覚がホムラをのめりこみ、そして瞬時に学校中の空間がぐにゃりと歪んだ。
この感覚は、結界。
架美来がきっと展開させたのだろう。
という事は、ここはもう現世の外――次元の境界。
「白狐っ!!」
ありったけの声で叫ぶ。
すると、瞬く間に白い光芒一閃が出現し、中から「ホムラ様!」と白狐が現れた。
「大変なんだ! あの悪鬼が学校に……!」
「そのようですね。以前より増して大きい歪みに、この気配の濃さ。このまま放っておけば、あの悪鬼のように、また……」
言葉を濁し、白狐が着物の襟を強く握る。その顔はホムラと初めて会ったあの時と同じように、深い悔恨が滲んでいた。
「友達が、その歪みのせいで境界に迷い込んだかもしれない。すげぇ大切な友達で、オレ絶対連れて帰りたい。だから、手伝ってほしい」
そのホムラの言葉に白狐は、一瞬大きく目を見開いた。しかしすぐに顔を俯かせ、唇を小さく噛んだ。
「お力になりたい気持ちは、勿論あるのです。ですが私にはあの悪鬼を祓うどころか、対等に渡り合える力すらないのです」
「でも、オレ達二人でなら、できる」
「……ホムラ様?」
強く言い切るホムラに、白狐の瞳が小さく揺れる。
そう。これは二人でやらなきゃ、ダメだったんだ。
「オレ、分かったんだ。和合のやり方」
「それは、誠ですか」
まさか、と白狐がホムラを見つめる。
「やってみないと、分かんねーけど」
そう前置きをして伝えるも、白狐はすぐに「なりません! その様な事、万が一があれば無事では済まないのですよ!」と狼狽えながら首を大きく振った。
分かっている。
烏の話を真に受けてそれをするなら――これは危ない橋を渡る様なものだ。
しかし、もう一刻の猶予もない。
「笑花を、友達を助けたいんだ。頼む」
裏の世界とか、自分がどうとか関係ない。
助けられる方法があるなら、今は笑花を救いたい。
それだけだった。
頭を深く下げると、白狐は観念したように小さくため息を吐いて、そしてホムラに改めて向き直った。
「承知しました。ご友人を救出するまで私がお護りします。ただし、それは最後の奥の手。貴方様の身に危険が迫ったら直ぐに引き返すと、そう、約束して下さるなら」
白狐の真剣な眼差しにホムラが頷いた束の間だった。
「いたぁっ!! 白狐様! あんちゃんッ!」
校舎の向こうから、小さな赤い影が何やら二人の方に駆け寄ってきた。
赤い肌と頭のツノの妖怪――昨日、ホムラと図書室で会った小鬼だった。
「大変だァ! クラボッコがっ、バケモンと一緒に消えてッ……!」
息を弾ませながら、慌てて小鬼が近づいてきたまさにその時――。
グオオオォォォオオオオオ。
腹の底に響く、重苦しい咆哮。
小鬼がびくりと身をすくめ、白狐が目を大きく見開いた。
間違いない。
この雄叫びは、やはりあの悪鬼。
しかも、さっきよりもかなり近くに聞こえる。
白狐と視線を交わし、互いに頷く。
「私が先導します。さあ、こちらへ!」
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次回、【白光の焔 第32話】の更新日は【12/14(土)】です。
どうぞお楽しみに!
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千代五星異聞奇譚 白光の焔 トヨタ理 @toyo_osm12
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