27 学校の妖

「見つかんねぇー……」


 <歴史・地理>の本棚にびっしりと収まっている本達の背表紙を一冊、また一冊と見ながら、静かな図書室で愚痴をぽつりとこぼす。


 グループで杜の宮原の歴史について調べる事になったホムラ達は、次の授業に先駆けて各々資料集めをしている最中であった。

 笑花と芳樹はタブレットでWEBサイトを、ホムラと架美来は図書室の本を収集する事になり、こうしていま、架美来と二人きりで資料になりそうな本を探していた。


 この分校の図書室は狭いが、年々本が蔵書されたり住民からの寄贈があったりと意外に本の数は多い。故に点数はあるものの、図書委員の生徒や教師すらも全ての本の整理がつかず、分類分けされていない本が多々あった。


 つまるところ、目的の資料を探し出すには例え大人でも至難の業である。

 

 それでも棚の向かいには、黙々と資料を手に取り、素早く確認しては棚に戻す架美来の姿があった。その片腕にはすでに本が一冊収まっている。


 どれだけ架美来がデキる奴なのかは、この数日で嫌と言うほど思い知らされている。人付き合いが上手じゃない点をのぞけば、ホムラが敵うものは一つもない。

 今日もあの小さな騒ぎを除けば、グループ内の話し合いにもきちんと参加して、さらに意見の取りまとめまでもやってのけたのだ。架美来がいなければ、今日の内に資料集めまで進められなかっただろう。

 

 ここら辺は、きっと架美来がしっかり探しそうだ。

 この奥の方に別の資料があるかもしれない。


 今の棚から離れ、薄暗い図書室の奥の棚まで移動する。すると「……で、んだから……」と、ひそひそ声がかすかにホムラの耳に入った。

 図書委員は少し前に帰ってしまった。今は架美来以外誰もいないはずだ。


 誰かいるのか?


 そろりと声の聞こえる方に近づくと、薄暗がりになっている一番奥の棚の前に座り込む二つの小さな背があった。


「でもぉ、そげなんめくいぐかなぁ……」


「んだから、夜にニンゲンらがきっと来るべ。そん隙さみて逃げりゃいい」


 気になってさらにその背に近づく。


 ホムラと同じぐらいの背丈に思えたが、まったく見覚えはなかった。何せ一方は頭部に一本角が生えており、もう一方は身体が長い髪で全て覆われているのである。隠世について詳しくないホムラでも人間ではないとすぐに分かった。

 それでも驚きはなく、恐怖心を全く抱かなかったのは、この前の悪鬼や正体不明の魔が物のように、彼らから息苦しくなる禍々しい気のようなものがほとんど感じられなかったからだろう。


 魔が物でないのなら、陽満の言っていた下界の存在——鬼や妖怪なのかもしれない。


 つい気になって会話をしばらく立ち聞きしていると、ふと長髪の妖怪と目が合った。


「なぁ小鬼。ニンゲンがこっちさ見てんよぉ」


 長髪の妖怪が怯えた様子で小さく言う。


「なぁに言ってんだぁ。ニンゲンにオラたちは見えねぇんだど?」


「げんちょもあのニンゲン、おらと目が合ってんだ」


「んなワケねぇよぉ。父ちゃんがウソこぐわけ……」


 振り返った小さい赤鬼とも目が合った。「ワァッ!!」と赤鬼は悲鳴を上げかけたが、何かに気が付いてホムラをまじまじと見ると、今度は「やっぱだ!」とホムラの方へ駆け寄ってきた。


「あんちゃん、神獣様と一緒にあのバケモンとやり合ってたニンゲンだべ?」


「バケモン?」


「何でも呑み込んじまう、うーんとでかいあの妖怪の事だよぉ」


 自分たちの何倍もあった寸胴な胴体。

 その胴体に見合わない不気味でつぶらな丸い瞳。

 何もかもを丸呑みにできる、鋭い牙が不揃いに並ぶ深淵な口。


 瞬時に昨晩の事が頭によみがえり、ホムラの顔から血の気が引いていく。

 本能に響く恐怖がまだ、自分の心に強烈な爪痕を残している。

 急激に湧き起こる吐き気と眩暈に身体がふらついた。しかし、そんなホムラの様子に気付かない赤鬼は「なぁ、あんちゃん。アイツをどうにかしでくんねぇが?」とホムラに懇願した。


「アイツがココさ居着いてあやまっちまってなぁ。オラも鬼山に帰れねぇし、コイツも……くらボッコも怯えちまってよぉ。力がねぇオラ達じゃ何もできねぇ」


「ココに棲んでるも、小鬼の仲間もほとんどアイツさ喰われちまった。今いんのは生き残ったおらたちだけだぁ……」


 その赤鬼——小鬼に続いて、長髪の妖怪——クラボッコも伏し目がちに言う。

 あの魔が物は現世だけでなく、彼らの棲まう下界でも散々大暴れしていたのか。しかもあの口に丸呑みされてしまったなんて、想像するだけでも惨たらしい。


 けれど、自分は何もできなかった。

 これからも、何もできない。


「オレは、ダメだったんだ」


「ダメってなにがだぁ?」


 小鬼の純粋な疑問に、ずきりと胸が痛む。


「オレには、何の力もなかった。ただ、逃げただけだよ」


 ケッコー、キっついな。

 薄笑いを浮かべて自分の無能さを嘲る。


 しかし、小鬼とクラボッコはホムラを罵る訳でもなければ、残念そうにする訳でもなく、ぽかんと口を開けて互いに顔を見合わせた。


「なしてそげな事言うんだ? だってあんちゃん……」


 小鬼が何かを言いかけた、その時だった。


「おい、朝山」


 後ろからぐいと肩を引っ張られる。ホムラのすぐ後ろに向こうの棚に居たはずの架美来がいた。


「まさかようになったのか? 和合っつーのはつくづく面倒だな」


 また面倒ごとか。目を細めてうんざりしている架美来に、小鬼とクラボッコが口ぐちに「そっちのねぇちゃんもオラ達の事見えてんのかぁ?」「たまにおらの事見えてるニンゲンはいたけんども……はぁー、おったまげたなぁ」と関心の眼差しを向けていた。


 が、架美来はわざとらしく二人から目を逸らして「いちいちコイツら下界の妖怪の相手なんかすんな。無視しろ」と語気を鋭くした。


「んな事言ったって……」


 みえるものをどうしろっつーんだよ。

 そう言いかけたホムラに、突然架美来が自分のメガネを外して、いきなりそれをそのままホムラに掛けた。予想外の事に「なんッ」と声が出たホムラだったが、目の前の光景に思わず目を見張った。


「みえなくなった……」


 さっきまでそこに居たはずの小鬼とクラボッコが、いない。

 キョロキョロと辺りを見回しても視界にそれらしき様子は映らなかった。一見普通のメガネのように見えるが、ホムラには知り得ない特殊な道具なのかもしれない。


「学校出るまでそれ掛けてろ」


 お決まりの突っぱねた言い方だ。

 しかし、ホムラのために貸してくれた事は間違いない。


「凪良。サンキュな」


「は?」


「助けてくれたんだろ。昨日の事も」


「お礼とかやめろよ。気色悪い」


「なッ?!」


「検非違使がどんな判断を下すか知ったこっちゃないが、裏はお前のいる場所じゃない。それが分かったんなら、今までの事は綺麗さっぱり忘れておとなしく表の世界に帰るこったな」


 あんまりな口のきき方にとうとう「お前なぁ……」と言い返しそうになったホムラだったが、ふとのぞいた架美来の表情にあとに続く言葉を失ってしまった。


「日の下で生きてるの人間は、何も知らないままの方が、絶対、良いんだから」


 そう薄く笑ってホムラを見つめる架美来は、今までホムラに見せたどんな表情とも異なっていた。

 しかし、ホムラにはその表情に覚えがあった。


——一度でも、この学舎に通えたら良かったのに


 昨日、昼間に学校へやって来た白狐。

 今の架美来は、あの時の白狐とよく似た眼差しだ。




 図書室を出ると、ちょうど「ホムラ、凪良さん」とちょうど向こうの廊下から笑花と芳樹がやって来た。


「え? お前、なんでメガネ?」


「それ、凪良さんのメガネ、だよねぇ」


 二人から次々に突っ込まれあっと気がつく。


 凪良のメガネ、掛けたままじゃん!


 まさか、妖怪が見えるようになったなど言えるはずがない。「あー……目がさ! 目が、悪くなったかもしれねーから、凪良に貸してもらって、試してた的な?」


 誤魔化し方下手すぎか。

 そんな心の声がはっきり分かるぐらい横目で架美来が鋭く睨んできた。


 しかし笑花はにこにこと「んー、そっかぁ」と二人を見つめるだけで、それ以上深くは聞かなかった。それどころか目をたるませて「いい本、みつかった?」と言う笑花はどこか嬉しそうに笑みを浮かべている。


「ここの図書室じゃ一、二冊が限界だな。しかもどれも発行日が古い。効率よく資料を集めたいんなら図書館で何冊か取り寄せた方が早い」


「さすが凪良さん、だねぇ。で、ホムラは……」


「ちょ、おま……ナシとかマジ?」


「わ、悪かったなゼロで! そっちはどーなんだよ?」


「おー。くまっちに頼んで、パソコンでそれっぽいヤツ、バンバン印刷したぜぇ」


 芳樹がどうだと口の端をニッと上げて、コピー用紙の束を上に掲げた。たしかにそう言うだけあって束の厚みはあった。それなりに調べてくれていたらしい。


「今日はもう終わりにしよ。遅いから帰りなさいって先生に言われちゃった」


 そう言われて窓の外を見ると、空には茜色に染まった鱗雲が流れていた。気温は相変わらず夏の名残があるものの、秋に入って日が沈むのが早くなったようだ。


「でね、明日も進めようって芳樹と話してたんだけど二人はどう、かな」


「オレは行けるけど……」


 そう言いかけたホムラに続いて、視線が一斉に架美来へと集中する。

 どうせ行けないって言うんだろうな。

 そう決めつけていたホムラだったが、架美来は意外にも「……四時までなら、いい」と答えた。


 思わず芳樹と目が合う。


 あの架美来が、まさか。


 驚きのあまり架美来を二度見していたホムラと芳樹だったが、笑花は露骨に驚いた態度を見せず、しかしさっきよりも花がぱっと咲いたように笑って三人に言った。


「じゃあ、また明日。学校が終わったらつづき、しようね」


 ホムラと芳樹「だな」と返して、架美来が静かにうなずく。


 ただの小学生として学校に通う姿。

 祓師として<裏>で暗躍する姿。


 二つの姿を知っているホムラでも、架美来の心の内はまだ掴めない。


——凪良さんとも仲良しになれると、いいねぇ。


 どうしてか今、昨日の笑花の言葉が思い浮かんだ。


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次回、白光の焔 第28話の更新日は【11/16(土)】です。

どうぞお楽しみに!


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