25 揺らぐ決意

「どうしよっか、じゃないんだよ! 今さらノコノコ出しゃばりやがって!」


 呑気な陽満に早速食ってかかったのは架美来だった。目を釣り上げて怒鳴るその姿は、つい数分前まで熊野と話をしていた架美来とはまるで別人のような豹変ぶりだった。


「お前の身勝手な思い付きのせいでこっちは大損害被ってんだよ!」


『えー。だって、神遣の僕が現場に行くわけにもいかないじゃない』


「だったらコイツら魔が物の餌のお守りぐらいお前がしろ! あんなデカブツ引き寄せやがって、結局アイコさんまで巻き込むなんて無責任にも程があるぞ?!」


『ほらほらカミラ。あんまり怒らない。感情的になるとよくないよー』


「あぁ?! 誰のせいだと思ってんだこの大馬鹿ッ!」


 がなりたてる架美来を傍目に、ホムラが「くまっち。おじさんと知り合いなの?」と熊野にこっそり耳打ちをすると、熊野は困ったように苦笑いして「この男は私の兄だ」と言った。


「……マジ?」


「マジだ。あれでも私の実兄だよ。信じたくはないけどね」


 そう言われて、ホムラは思わず数回スマートフォンと熊野を交互に見た。

 熊野は誰に対しても常に気丈な態度を崩さず、教員の中でも特に堅実剛健な印象が強い。対して陽満はと言えば、気弱ではなさそうなものの見た目も声も常にこの浮かれ調子である。


 全く正反対の二人が家族で、しかも熊野の方が妹などとはお世辞にもホムラは思えなかった。


「ねえ、兄貴。架美来から軽く話は聞いたけど、朝山と神獣様が和合したっていうのは事実?」


『みたいだねぇ。ま、今回はやっぱり失敗しちゃったみたいだけどさ』


「やっぱりっておまッ……! 分かっててコイツらに依頼受けさせたのか?!」


『分かってたって言うかー、成立する確率は半々的な? ほら、そもそも二人の和合ってイレギュラーでしょ。でも二人の糸はまだ繋がってるし、ならもう一度できるかなーって』


「底抜けに楽天的なその思考、小児の時から何一つ変わってなくて安心するよ」


『アイコちゃんまでひどいなぁ。僕だって意味なく依頼を頼んだわけじゃないよ』


「色々と問い詰めたいのは山々なんだけど、まずそもそもの話を整理したい。なぜ朝山と神獣様は和合をした? どうして兄貴は依頼を受けさせたんだ?」


 熊野の疑問にホムラと白狐、そして架美来の視線が互いに交差する。

 話ぶりを聞くに、きっと熊野はほとんど事情を知らぬままホムラの元へ駆け付けてくれたのだろう。


 そうだとすれば、自分の口で話すのが筋だ。


「オレから話すよ、くまっち」


 改まって熊野の方に向き直り、ホムラはこれまで起こった出来事を最初から順に説明した。


 陽満への説明と同じように——時折、白狐や架美来、陽満も入って話をしながら今日の依頼に至るまでの事を話すと、熊野は「ああ、成程な。それで私が……」と合点がいったような、しかし悩ましげな顔でこめかみに手を当てた。


『いやぁー。あの時ホムラくんを助けられたのアイコちゃんぐらいだったからさぁ。急にごめんねぇー』


「アイコさんは裏の人間じゃないんだぞ。こっちの事情に巻き込むなんてあり得ない」


「いいんだよ架美来。朝山の事は私も気に掛けていたし、そもそもあの依頼を出したのは学校側だ。出来る範囲で協力はするさ」


 熊野は、何者なんだろう。

 ふとホムラの中に疑問が浮かぶ。

 普通の人間では見えないらしい結界にバイクで侵入し、魔が物を退けるのは単に陽満の妹だからというだけではないように思える。


「くまっちは、学校の先生、なんだよな?」


 おずおず尋ねると、架美来がなんだ今更といった風に「アイコさんは上鳴尾かみなるお神社の娘だよ。けどの人間じゃない」と言った。それにつづいて「実家の家業が神職なんだ」と熊野が付け加えた。


「私はただの教師だよ。ただ、家業の関係で多少はや隠世の事情は把握していてね。本業には敵わないが清祓いも多少はできるんだ。まあ、青葉ヶ山の神獣様のお目に掛かるなんてのは流石に初めてだけどね」


 そう言って熊野が白狐の方を見ると、白狐の白耳が驚いたようにぴんと立った。が、熊野に続き一斉に集まった全員の視線に耐えきれなかったのか、すぐにまた白耳はしゅんと垂れ下がった。


「で、これからどうするつもり? アレを退治したところで別の魔が物が朝山を狙って境界を越えてくる筈。策はあるの?」


『それがなかなか思いつかなくてね。僕もいろいろ調べてはいるんだけどさぁ』


「国の相談機関に相談するのは? 確か裏に関与してしまった子供達を保護してるって。県内にも一か所あるんでしょ」


「あるよ、五星地区に。国というより検非違使けびいしで管轄してる施設だけどね」


「だったらなぜすぐ相談しない? この手は検非違使の得意分野だろう?」


「してもいいけどぉ、僕、検非違使のやり方あんま好きじゃないんだよねー。あの機関って目的のためなら容赦しないじゃん」


「そんなこと言ってる場合? こっちは人命がかかってるんだぞ」


「そう言ったってねぇ。そもそもあの機関、それ相応のがないと動かないよ。しかも、その和合を目撃したのは架美来一人だけ」


「防人一人の証言だけじゃ、検非違使はまともに取り合わない……か」


「残念ながらそーゆーコト。施設に入るかどうかは別として、まずは会長の僕自身で二人の和合を見ておきたかったってワケ。で、ついでに魔が物も退治できたら一石二鳥じゃない? ウチの会、万年人手不足だからさー」


 良い加減な調子で言う陽満に、熊野と架美来があからさまに呆れ返った表情になった。たった数日間の付き合いだが、ホムラは陽満に振り回される架美来達の苦労が少し分かった気がした。


「だったら今ここで和合を確認するのはダメ?」


 気を取り直して熊野が言うと、陽満は「ダメって言うか、二人の和合が神遣の天降あまくだしと同じなら無闇にさせたくないんだよなぁ」と躊躇い気味に答えた。


「ホムラくん、白狐ちゃん。申し訳ないけど、和合できるかな」


 気乗り薄な様子の陽満に促され、ホムラと白狐は互いの両手を重ね合わせた。

 しかし、ホムラ達に変化が起こった様子はない。


「……やはり、成せないようです」


 白狐が静かに首を横に振ると、その場に沈んだ空気が漂い始めた。

 息の詰まりそうな、何とも言い表せない気恥ずかしさに俯くと、熊野がすかさず「気にするな。急に言って悪かった」とホムラの背を優しく叩いた。

 

「ひとまずコイツらの事は一旦いい。今の問題はあの魔が物だ。事前にB級と聞かされていたが、アレは間違いなくA級以上だった。最初の話と随分違うな、陽満?」


「それについてはゴメン。まさかこんな短期間に、しかも地方の学校でA級相当の魔が物が出るなんて僕も予想外。白狐ちゃん、青葉ヶ山って最近はずっとこうだったの?」


「いいえ。これまで強力な魔をこの地で見かける事はございませんでした。ですが私の神力が弱まっているせいだとすれば、もしや……」


 そう言い淀む白狐の白耳が、さらに弱々しく前に垂れ下がった。

 漠然とではあるが、神力というのは<目には見えない不可思議な力>だとホムラは理解していた。そしてそれがどうやら自分にもあるらしいが、一体それで何ができるのかは結局分からずじまいだ。


 白狐と繋がっているという自分の神力を使えれば、白狐はこんな悲しそうな顔をしないですむのだろうか。


「とにかく龍神の護符を破壊したのがあの魔が物なら、ヤツはもうすでに現世に近い次元に居るって事だ。つまり……」


「このまま境界の歪みが広がれば、いずれ学校に大きな被害が出る可能性が高まる。そうだな?」


 神妙な面持ちの熊野に、架美来が静かに頷いた。


「和合云々以前にアレは付け焼き刃でどうこうできる部類の魔が物じゃない。この案件、凪良家で引き取らせてもらう。いいよな、陽満」


「うん、そうだね。今回はそうしようか。ホムラくんもそれでいいかな」


 ホムラは無言で頷いた。頷くしか、なかった。

 白狐の言う通り、自分が重荷になるだけだと言うことは痛い程分かっている。


「オッケー。監視は継続するけどテストは一旦保留ね。検非違使の施設は……僕はあんまりオススメしないけど、こっちで一応確認はしておくよ。じゃあ架美来、依頼の引き継ぎ、もうしちゃっていい?」


「最初からそのつもりで連絡したんだよ。さっさと始めてくれ」


 その後は陽満と架美来の依頼確認や今後の予定の話し合いが十分ほど続いた。

 そこで依頼が正式に凪良家に引き継がれる事、そして処遇が決まるまでホムラと白狐は引き続き監視を継続しつつ、当面は普段通りに過ごす事がある程度決まったところで、今回はひとまず解散となった。


 ホムラについては熊野が家まで送迎する事となり、架美来と黒子以外の三人は凪良家の別荘を後にした。


「神獣様、誠に恐れながら申し上げます。これからもこの子をお護り下さいますか」


 家の門外に出た所で、一人青葉ヶ山へ戻ろうとする白狐に熊野がすかさず声をかける。


「私のような者が神獣様に願いを乞うなど恐れ多い事です。ですが、一人で隠世に干渉できない私では、悔しながらこの子を常に守る事は難しい。どうかこの子を……朝山の事を、お願いします」


「くまっち……」


 突然頭を下げた熊野に、白狐は最初のうちその真紅の目を丸くしていた。

 しかし、すぐに熊野の方にきちんと向き直ると、凛然とこう言い切った。


「勿論です。我が命にかえても、必ず」


 覚悟を極めた顔つきのまま、白狐は今度こそ白狐沼の方へと走り去っていった。





 薄明の田んぼ沿いの道をしばらく歩きながら、ふっと空を見上げる。

 天空から地平線までなだらかに続く、藍と橙のグラデーション。

 白狐と歩いてきた真夜中の空よりも大分明るい。夜明けが近かったんだ、と今になって気づく。


「架美来の別荘、意外と近いんだよ。朝山たちの家とさ」


 熊野が、唐突にぽつりと呟くように言う。と言うのは、きっと笑花と芳樹の事だろう。


 架美来の別荘は、丸森田地区——つまりは、ホムラの家から然程離れていない場所にあった。時間にして徒歩十五分程度の距離だろう。

 もしあの場所から学校に通っているのなら、初対面の時に架美来がホムラの通学路の近くを彷徨いていた事に今になって納得がいく。


「オレのこと、怒んないの」


 おずおずと聞くと、熊野は大袈裟に肩をすくめて「さすがに気絶されちゃあ、ね」と苦笑いを浮かべた。


「それに、反省ならもう十分してるんだろう」


「……そりゃ、うん」


「まあ、お望みとあれば今から始めてもいいぞ。説教」


「いや、いい」


「だよなぁ。学校で散々説教喰らってるもんな、朝山は」


 くくっと思い出し笑いをする熊野につられて、ホムラもつられて自然と笑みがこぼれる。

 気にしないように、わざと言わないでくれているんだ。きっと。


「くまっちは、凪良とも知り合いなんだよな」


「まあね。お互い兄貴に苦労させられてる同志だよ」


 やれやれと呆れたように笑って、熊野もホムラと同じように空を見上げる。

 

「ウチの兄貴、架美来の伯父さんと友達なんだ。で、あの子の母親……伊佐美さんとも縁があって、それで架美来とも時々会っていたんだ。赤ん坊の架美来を抱いた事もあったかな。あの時はよく泣かれたけどね」


 そう言いながらも熊野の顔から笑みが溢れていた。


 泣いている、架美来。全く想像がつかない。


 見知らぬ土地の学校へ独りでやって来ても、ホムラが襲われた後も、あんなに恐ろしい怪物を前にしても、架美来はあの大胆不敵な態度を一度も崩さなかった。

 

 泣かないぐらい強いのか。

 いや、泣いてはいけないから、なのか。


 そうして話しながらしばらく歩いていると、見慣れた家が道の先に見えた。ホムラの家だ。ここから走ればすぐに家につく距離だ。

 

「くまっち、ここでいいよ」


「私から俊蔵さんに説明するか? その様子だと、まだ話していないんだろう?」


 説明というのは、今日熊野に話した事を俊蔵にも伝えるという事だろう。

 一人より熊野と一緒なら断然心強い。しかし、そうは言ってもやはり気が進まなかった。

 そもそもありのままを話したところで信じてもらえるだろうか。

 白狐の事はさておき、深夜の校庭で目の当たりにした特撮映画さながらの巨大な化け物魔が物に襲われたなど一体誰が信じてくれるのか。


 ホムラが小さく首を振ると、熊野は「そうか」とあっさり頷いた。もしかすると同じ考えが頭を過ったのかもしれない。

 

「学校はどうする?」


「行くよ。皆勤賞、取りたいから」


「そうだな。朝山は、よく頑張ってるもんな」

 

 そう言って、熊野はおもむろにホムラの頭を優しく撫でた。その途端、胸の奥から熱いものが込み上げてきて、声が詰まって涙を堪えるのに精一杯になってしまった。

 

 熊野は、誰に対しても平等に厳しい先生だ。


 ホムラも数えきれないほどたくさん叱られた。

 だが、いつもあたたかな眼差しで生徒を見守り、そして誰よりも深い慈愛の心で接しているのもまた熊野だった。担任として熊野が皆の事を考えているのも、気づかないところで奮闘しているところも、ホムラはたくさん見てきた。


 そうして今も、自分のためにここまでしてくれている。


「ありがとう。先生」


 やっと絞り出せた上擦った声で言う。

 素直ではないホムラから唯一伝えられた、ありのままの気持ちだった。


「なんだ、今さら先生なんて。らしくないな」


 そう照れながらも熊野は嬉しそうにはにかんで、ホムラを抱きしめた。


「一人で抱え込みすぎるな。もっと、大人を頼りなさい」

 

 親身になってくれる熊野の優しさは少し痛くて、温もりがあった。



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次回、白光の焔 第26話の更新日は【11/2(土)】です。

どうぞお楽しみに!


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