23 失敗
突如として現れた奇怪な化物。
魔が物の赤くつぶらな瞳が、こちらを舐め回すように窺う様子にごくりと唾を呑む。
「巨体型の悪鬼か……。ココは厄介な悪鬼に侵略でもされてんのか? 青葉ヶ山の神獣様」
皮肉混じりに言う架美来に、白狐が無言で顔をしかめる。
それは、むかし図書室で見つけた妖怪大図鑑に描かれていた妖怪達を継ぎ接ぎにくっ付けたような、何処か不自然な姿のように思えた。
ただの化物ではない。
ホムラが初めて出会った化物――悪鬼と似通っている禍々しいオーラに、あの時を思い出して体が自然と強張ってしまう。
「ホムラ様、和合を!」
白狐に揺さぶられて我に返る。
そうだ、和合。
ホムラが見た和合の契りだという白い夢。
おぼろげな記憶だが、あの夢ではたしか白狐と手を握っていたはずだ。
目が合った白狐がゆったりと頷く。
白狐もホムラと同じ考えに至ったのだろう。
咄嗟に互いの両手を掴み、夢と同じように手を合わせ、そして握る。
「あッ、アレっ?」
何も、起こらない。
もう一度と手を握り直しても、やはり何も変わらない。
「やはり、和合が成せない……」
同じように焦っている白狐を見て確信した。
自分たちは、和合をしていない。
「ホムラ様っ!」
突然、白狐が叫びホムラに覆い被さった。
考える間もなく白狐に強く抱きしめられ、勢いのままホムラ達は地面を転がっていく。
「ってぇ……」
訳も分からないまま目を開けて――ホムラは愕然となった。
今まで自分たちが立っていた地面に、化物の頭がめり込んでいる。
おそらく頭突きを仕掛けようとしたのだろう。白狐は、その魔が物――悪鬼の攻撃を察知してホムラを庇ったのだ。
しかし、次にあんな図体で頭突きなどされたらひとたまりもない。
急速に状況を頭で理解してしまい、身体が冷え切ってしまったかのように震え出す。
「何チンタラしてんだお前ら!」
地面に倒れ込んでいるホムラ達に架美来が怒声を上げる。
「和合が……和合が成せないのです!」
「あぁッ?!」
再びホムラ達に襲い掛かろうとする悪鬼の前に立ち、架美来が素早く槍で払い除ける。鈍重だが力のある攻撃を交わしながら、架美来は羽織から人型の和紙を取り出し「だから言わんこっちゃない!」と宙に投げた。
人を模した紙はたちまち黒鳥に変化し、結界の外に向かって飛び去っていく。
「俺が時間を稼ぐ! 白狐、隙を見てソイツと結界の外に出ろ!」
「この魔の狙いは
「
「しかし一人では無謀です! 貴女がまた危険に晒されてしまいます!」
「舐めんな神獣。こっちは本業だ。危険なんざ承知の上だよ」
「ですが……」
「この結界は急拵えの脆い単結界だ。俺も隙を見て脱出する! 破られない内に早く行け!」
戸惑っていた白狐だったが、意を決した顔でホムラに振り向く。
「ホムラ様、私がお護りします。さあ、お立ちください」
「けど凪良が……!!」
「祓師の言う通りです。今の私達では、彼女の重荷になってしまう」
重荷、という白狐の言葉が鋭く突き刺さる。
――下手に手ぇ出される方がよっぽど迷惑なんだよ、こっちは
――いいから無知な餓鬼はすっ込んでろ
架美来の言う通りだった。
甘く考えていた。
――直感任せの安直な行動が、己の命だけでなく周囲の生命をも危機に晒す。ゆめゆめ忘れる事がないように
あの男の黒子の言葉通りだった。
これでは無鉄砲に飛び出したこの間と――悪鬼に襲われた時と何一つ変わっていない。
「さあ、立って!
されるがまま白狐に手を引っ張られ、校門へ一直線に向かう。
足が、がくがくと震えている。
まともに歩けているのか。
まともな思考ができない程、身体中が恐怖に支配されている。
猛烈に襲いかかった情けなさに涙が出そうになった。
それでも今はただ逃げるしかない。
架美来と白狐の思いを無下にして、全く同じ過ちを繰り返す訳にはいかない。
「ギィエエエエエェェ!!」
耳を覆いたくなる悪鬼の呻き声がひっきりなしに背後から聞こえてくる。
きっと、架美来があの槍で悪鬼を引き留めてくれているのだろう。
自分よりも何倍も大きい敵を相手に、泣き言も吐かず、逃げ出す自分に文句も言わなかった。
それだというのに、自分は何をしているのだろう。
あんなに啖呵を切った癖に、白狐に手を借りなければ逃げ出すことしかできないのか?
「しまッ……! 白狐!! 朝山ッ!!」
地面を滑ったような派手な転倒音と、焦った叫び声に思わず後ろを振り返る。
振り返った先見たのは、大きな深淵――信じ難い程にばっくりと開いた悪鬼の大口だった。
逃げられない。
嫌な直感にホムラと白狐が同時に息を呑む。
鋭利な牙が出鱈目に並ぶその口が、二人の体をまさに飲み込まんとする――その時だった。
突如、校庭に轟くエンジン音。
風を切るようにホムラ達の横を駆け抜けた一台のモーターバイクが、ホムラ達と悪鬼を分つように急停止した。
黒いヘルメットとライダースーツ。
一体何者なのか。
突如として現れた人物にホムラ達が呆気に取られている内に、ライダーはバイクに乗ったまま素早く懐から護符のようなものを取り出し、悪鬼の前に突き出した。
「高天原に
呪文を唱えながらライダーが御札を悪鬼の方に投げつける。
するとその瞬間、白い閃光が辺りを支配し悪鬼が歪な呻き声を上げた。
苦しがっているのか。ばっくり開いた大口が急速に小さくなり、悪鬼はその場でうずくまった。
「朝山、後ろに乗りなさい!」
「えっ、なんでオレの名前……」
「説明は後! これを被れ!」
そう言ってライダーはホムラに向かってヘルメットを投げた。
一回り小さい子供用のヘルメット。あたかも、こうなる事を知っていてホムラのために用意していたかのように思える。
一体、何者なのか?
突如現れたライダーに戸惑っていると、架美来がすかさず「その人は信用していい! 早く乗れ!」と向こうから叫んだ。
声を聞くに大人の女性のようだが、架美来の知り合いなのだろうか。
「架美来、ウチの阿呆がいつもすまない」
「いいや、こっちこそ手を掛けさせてすいません。ソイツ頼みます、アイコさん」
アイコと呼ばれたライダーは、小さく頷いてホムラに目配せをする。
さっさと乗れ、と言う事なのだろう。
促されるままヘルメットを被り、バイクのタンデムシートに乗り込む。
「神獣様、恐れ入りますが我々の守護を。魔の狙いは、この子かもしれません」
「承知しました。私が魔の攻撃からお護りします。その隙に外へ」
ライダーは軽く一礼し「腰に手を回して。しっかり掴まりなさい」とホムラに再び声をかけた。厳しい声音に微かに感じる優しさ。
この声、どっかで……。
誰の声だっただろう。
思い出しかける寸前で急発進したバイクに引っ張られ、ホムラは慌ててライダーの身体にしがみついた。
校門までの距離は、校庭のトラックの直線距離より少し長い程度――おおよそ百メートル前後。通常であればバイクならすぐに辿り着ける距離だろう。
しかし、そう易々と事が運ぶほど甘くはなかった。
ライダーがバイクを走らせた直後、重鈍な地響きのような足音がすぐに後ろから聞こえ始めた。ホムラが振り返ると、あの悪鬼が寸胴な体格から想像できないぐらい素早さでこちらを追いかけている。
狐の姿の白狐が悪鬼の気を引き、後ろから挟むような形で架美来が何かで攻撃を仕掛けようとしている。しかし依然として悪鬼の狙いはこのバイク――ホムラ自身だった。
ライダーもそれを察知し、バイクを巧みに操りながら悪鬼の猛攻を避け続ける。
一体どれだけ校庭を走り回ったのだろう。
激しい動きのバイクに振り落とされないように、ただホムラは必死にしがみ続けた。
目の回る攻防戦の中、バイクは右往左往しつつ出口を目指し――ようやくホムラ達の視界に正面入り口の校門が見え始めた。
徐々に近づく校門を見て、はたと気づく。
このライダーはどうやって校内に侵入したか分からないが、ホムラ達は正面の校門を乗り越えてやってきた。
という事は、この校門は閉まったままじゃないのか?
「あのッ! まっ、前! 校門ッ! 校門閉まってるっ!!」
暗くて気が付いていないのか。
ホムラが慌てて大声で叫ぶ。
しかしライダーはアクセルを緩めるどころか、校門に向かって更に速度を上げた。
「歯ぁ喰いしばれよ! 朝山!!」
ライダーが声を張り上げる。
ヘルメットで隠されたライダーの表情は分からない。
しかし、どこか愉快げなライダーの表情が想像できたその一瞬――。
バイクは、空中を飛んだ。
信じ難い出来事にホムラは叫ぶ事すらできなかった。
何がどうなっているのか。
あり得ない軌道を描き校門を飛び越えたバイクは、そのまま道路前に急停止――否、綺麗な着地をしてようやくその場に停まった。
「ちょっとぉ、なになに?! 何このバイク?! なんで結界から出てくんの?!」
娘の黒子が激しく狼狽えながらバイクに駆け寄る。
その後ろにつづいて黒鳥を腕に止まらせている黒子もホムラ達の側に近寄ってきた。
体格からしてあの日忠告をした男の黒子だと、ホムラには分かった。
「ねぇ、がきんちょ。主に何があったワケ? 式神も飛んでくるし……」
この黒子たちに何があったのか話さなければいけない。
しかし、ホムラはなかなか口を開けなかった。
あまりの出来事に放心状態になっているのかもしれない。
だがそれ以上に、こんな有様で逃げ帰った情けない有様を言葉にすることが、耐えられなかった。
「フウカ! 今すぐ結界を解け!!」
気まずい沈黙を破るように、白狐と架美来が結界の中から飛び出てきた。
二人で上手く悪鬼から逃げ出せたらしい。どちらも大きな怪我はしていない様にホムラは心の内で安堵した。
「えぇ? もぉ解くんですかぁ?」
「討伐は中止だ! 今の俺たちじゃヤツには手が出せない!」
「はい? ま、主が言うんなら解きますけどぉー」
そう気怠気に言いながら、娘の黒子は右手の人差し指と中指を立てて前に突き出した。
「我が剣、堺の糸を断つものなり。壊」
呪文のようなものを唱えスイッと黒子が空を横に切った瞬間、学校を覆っていた奇怪な膜が徐々に薄れ始めた。
まるで空気に溶けるように結界が消えていく中。
ホムラは不意に門の向こうの何かと目が合った。
二つの、赤く丸い瞳。
逃すまい。
執拗にそう訴えかけてくる醜悪な視線に、ホムラの身体はぶるりと震え上がった。
自分を真っ直ぐに見つめていた。
アレは、また自分の前に現れるかもしれない。
今度こそ自分を狙って――。
「ホムラ様……」
白狐が強張った表情のホムラに、白狐が気遣うように声をかける。
しかし、ホムラの耳にはそれすら届いてはいなかった。
また、白狐や架美来たちに迷惑をかけてしまった。
学校の皆を助けるどころか、自分のせいでさらに危険に晒してしまった。
「ホラ、しっかりしろ」
背中を軽く叩かれ、ようやくはっと我に返る。
「神獣様と鬼退治なんて、ヤンチャにも程があるぞ。朝山」
徐にヘルメットを外し、その素顔が街灯の光の下に晒される。
その予想外な正体にホムラの口からあっと声が出た。
「……くまっち?」
学校と同じように黒髪をきっちり一つに結い上げたライダー――熊野は、ホムラと架美来、そして白狐を順繰りに見つめた。
「あの阿呆にも事情は説明させる。が、まずは説教と洒落込もうじゃないか」
呆れ顔をしながらも、毅然としたその態度。
間違いない。
ホンモノの、くまっちだ。
確信と安堵。
普段通りの熊野の姿に二つの大波が一気にホムラへと押し寄せた。
その途端、波に意識が拐われてしまったかのように、ホムラの視界は一瞬の内に傾き、意識は暗闇の奥底に飲み込まれていった。
第二章 青葉ヶ山分校の妖 前編 終
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第二章はこれにて完結です。
ありがとうございました!
なお、後編にあたる第三章の公開時期は現在未定です。
(現在、学校の課題制作期間真っ只中のため、提出期間終了後の9月以降になると思われます)
公開時期につきましては、作者Xや近況ノートにて告知いたします。
引き続き、白光の焔をおたのしみください!
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