22 学校の魔

 今日も寄り道はせず(いかにも遊びたそうな顔をしていた芳樹はガッカリしていたが)真っ先に家に帰ると、いつもと変わらない様子の俊蔵がホムラを出迎えた。

 念のため変わったことがないか尋ねてみたものの、やはり土曜と同じように何も起きていないようだった。


 それから家事や宿題、夕ご飯といつもと変わらないのどかな暮らしをしていると夜更けはあっという間にやってきた。




 外から聞こえる鈴虫の鳴き声に、ホムラの目がはっと開いた。

 薄暗がりの部屋の中、慌てて目覚まし時計を手に取る。


 時刻は午後十一時十五分。

 架美来との約束までは、まだ時間がある。


 物音を立てないように急いで服を着替え、忍足で階段を降りた。豪快な俊蔵のいびきを背に抜き足差し足で何とか家から出る事ができた。

 あとは集合地の学校へ到着する前に白狐と合流しなければいけない。

 待ち合わせどころか、白狐にはまだ魔が物討伐の話すらしていないのだ。


 等間隔で並んだ電灯を頼りに、虫達の大合唱が響く道を駆け足で白狐沼へと向かう。

 しばらく暗がりの道を走り白狐沼の入り口に到着したホムラだったが、そこではたと気づく。


「そういや白狐ってドコにいるんだ……?」


 名前からしててっきり白狐沼にいるものだと思い込んでいた。しかし、よく思い返してみれば伝承の白狐は大昔に沼の中へ沈められているのである。


 本人や陽満曰く青葉ヶ山を護っているらしいが、一体この広大な山の何処に棲んでいるのだろう。


「おーい、白狐ー? いるかー?」


 家から持ってきた懐中電灯で周りを照らし、名前を呼びながら沼の中へと入っていく。白狐は「何かあったら自分を呼んで欲しい」と言っていた。こんな暗闇の中で、しかも広大な森で果たして本当に声が届くのだろうか。


「白狐ー! オレ! ホムラぁー!」


 何度か呼びかけたものの、やはり白狐の姿はどこにも見えない。

 とすればこの沼の奥を探しにいかなければいけないが、ここはホムラにとって因縁の場所なのだ。正直なところ、こんな深夜に一人でこの沼の奥地に足を踏み入れたくはない。


 しかし依頼は白狐がいなければ意味がない。それに約束の時間は刻一刻と迫っている。何より万が一遅刻などして架美来かみらに怒鳴られるのはもっと癪だった。


「しゃーねぇな。地道に探すしかねーか……」


「何かお探しでしょうか、ホムラ様」


「いや、ちょっと人さがして……あわぁッ!!」


 唐突に声をかけられ咄嗟に振り返る。


 懐中電灯で照らされたのは白い人影の幽霊——ではなく、そこに立っていたのは白狐だった。長く白い髪をなびかせている袴姿の少女。日中とは異なり今は人の姿のようだ。


「びゃ、白狐……。急に出てくんのやめろよ……くそビビるって」


「申し訳ございません。ホムラ様のお声が近くに聞こえたものですから」


「まあいいけど……じゃなくて依頼! おっさんから連絡来たんだ」


「依頼と申しますと、陽満ひろみつ様が仰っていたものでしょうか」


 ホムラは小さく頷いて、陽満からの依頼の事を白狐に一通り話をする事にした。


 学校に魔が物がいるらしい事、これから架美来と待ち合わせている事を一通り説明すると白狐は悩む様子もなく「そうであれば私も共に連れて行ってくださいませ」と二つ返事で首を縦に振った。


 こうして無事に合流を果たし、ホムラと白狐は共に青葉ヶ山分校へと向かった。


 その路の間に、二人の会話はほとんどなかった。

 これからあの魔が物化け物と対峙しなければいけない。

 そう思うととても気軽に話ができる心境ではなかったが、白狐もそれは同じようだった。静々と伏せ目がちに歩く白狐は、気を張り詰めた様子で小さく唇を噛んでいた。


 暗暗とした不安が漂う中、電灯だけが点々と灯っている緩やかな坂道を超える。


 その坂道を超えた道の先――青葉ヶ山分校前に到着すると、校門前に何やら黒い人影が見えた。


 闇に紛れそうなほど黒い烏羽色の羽織。

 身長の倍はあるだろう手に収まっている長槍。

 艶のある黒髪を肩先に垂らし、腕組みをして門に寄りかかっている子供は、あの夜ホムラが出会った防人――架美来の姿だった。


「遅い!」


 ホムラ達に気付いて早々、架美来が鬼のような形相で二人に詰め寄ってきた。


「なに仲良く歩いてんだ! 遅刻すんなっつっただろが!」


「はあ? 十二時って言ったのお前だろ!」


「だからって十二時ちょうどに来る奴がいるか? 現地集合は遅くても十五分前。常識もないのか青葉ヶ山のガキは」


「いちゃもんつけてんじゃねーよ! だったら最初っからそう言えばいいだろ?!」


「あの、お二人とも……どうか落ち着いて……」


 だんだんと熾烈になっていく二人の言い合いに挟まれながら白狐が必死に宥めようとするも、二人の耳にはまったく届いていないようだった。


 白狐がオロオロと右往左往していると、背後から突然「あッー!! あん時のがきんちょ達!」と叫び声が三人の間を突き抜けた。


 一斉にホムラ達が振り向くと、そこには黒い着物と頭巾を身に付けた人物——白狐とホムラをSHM会に連れ去ったあの黒子が立っていた。


「ちょっとぉー? まさか急な協力要請ってコイツらのコトぉ?」


「落ち着けフウカ。そのまさかだよ」


「うっそマジ? ねぇーアタシ、コイツらに協力するとか超ヤなんですけど。てかムリ」


「そりゃ奇遇だな。俺もだ。けど今の俺らじゃ会には逆らえない。仕方なく協力してやれ」


「はぁ……。まー主がいいならいいけどぉ。ってかもう準備オワってるんで早く始めましょー。帰ってネイルのつづきしなきゃなんでぇ」


「鬼丸は?」


「丸センセーならとっくに裏門で待機してまーす」


「ならさっさと始めるか。フウカ、合図の後に結界を展開してくれ」


「はぁーい。あ、今度はちゃんとヘルプ出してくださいよー」


 フウカと呼ばれた黒子は気怠そうにそう返事をして、校門から離れていったかと思うと


 再び三人だけになり、はたと気付く。

 依頼の連絡をしてきた張本人——陽満の姿がどこにも見当たらない。


「なあ、おっさんは?」


「ああ、陽満か? アイツはこんなチンケな依頼じゃ顔なんか出さないよ」


「そうなの? でも、テストとか何とかって……」


「さあな。ま、アイツの事だ。どっかで覗き見でもしてるさ」


「覗き見?」


「んな事より早く始めるぞ。討伐に長い時間は割けない」


 そう言って架美来は目の前の門に手をかけ、そのまま自分の身長と同じ高さの門をひょいと飛び越えた。


 マジかよ。


 あまりにも軽やかに行われた不法侵入に呆然としていると「何ぐずぐずしてんだ。中に入れ」と架美来が急かすように手招きした。


「いやいやいや、勝手に入っちゃマズくね?」


「は? 何が?」


 特に悪びれもせず——否、何が悪いのか全く分かっていない様子で架美来が顔をしかめる。


 あの優等生様が堂々と不法侵入かよ。

 もしも学校の皆が知ったら、さすがの笑花でもかばい切れないな。


 そんな考えが頭を過ぎりつつも、架美来に続いて白狐と二人で門を飛び越えた。


 それから明かりのない校庭の中を、架美来について歩いていく。

 言葉も交わさないまましばらく歩き続け、校庭の中心辺りに差し掛かった所だろうか。


 不意に架美来が足を止め、二人の方を振り返った。


「始める前に言っておく。俺達はあくまでSHM会から要請を受けた補助要員。お膳立てはしてやるが、討伐をするのはお前らだ。ただ少しでも下手な真似するんなら、お前らを殺してでも俺は全力で討伐を阻止する。いいな」


 物騒な架美来の物言いにホムラと白狐の顔が同時に強張った。

 これは冗談ではない。

 架美来は、本気で言っている。

 今日の朝、激しく自分に詰め寄ってきた姿を見ているホムラは、尚更何も言えなかった。


 言葉を口に出せず黙りこくる二人に構わず架美来は話を続けた。


「依頼内容は、青葉ヶ山分校の魔が物の駆除。今はコイツによる被害報告は上がってないが、すでに現世への影響が確認されている。で、被害が大きくならない内に早めに駆除しろってのが依頼者からの要望だ」


「その魔が物ってどんなヤツなんだ?」


「さあな。種別も不明。姿も体長も分からないらしい。けど龍神の護符が破壊されてたって事は少なくとも弱くはないんだろうな」


「……そんだけ?」


「そうだよ。たったこれっぽっちの情報で御国のために正体の分からない化物を命懸けで討伐する。お前のやろうとしてる防人の仕事ってのはそういうモンだ。なんだ、もしかしてチビったか? 逃げるんなら今の内にしとけよ」


「バッ……! ちげーよ! 逃げねーからな!」


「そっか。そりゃ残念」


 不意に架美来が右手を大きく上にかかげ、ぱちんと指を弾いた。


 途端に学校全体を覆うように薄い膜が展開され、見慣れた景色があっという間に異質な空間へと変貌していく。あっという間にホムラ達の頭上はドーム型の膜に覆い尽くされた。


「これって白狐沼の時の……!」


「結界、ですね」


 狼狽えるホムラに白狐が険しい表情で答える。


「ああ。ここは現世と隔離された結界の中。そして、だ」


 その直後、ホムラの視界が突然ぐにゃりと歪んだ。

 まるでディストーションをかけたように視界も音も何もかもが歪んだ空間。いや、歪んでいるのは自分なのか。


 激しい眩暈に似た気持ちの悪い感覚に、ホムラは思わず口を押さえた。


「ホムラ様っ!」


 青ざめた顔のホムラに気が付いたのか。白狐がすぐにホムラに駆け寄る。


 時間にして数秒か、ほんの一瞬だったのか。


 ようやく歪な感覚が抜け去った時——ホムラと白狐は、眼前の光景に大きく目を見張った。


 寸胴な胴体に、虎のような黒の縞模様。

 胴体についた鳥のように細い四つ足。

 そして、小動物のような二つのつぶらな瞳のついた顔。


 三人の前に居るのは、であった。


「さあ、早速お出ましみたいだぞ」


 両手で槍を構え、架美来がニヒルに笑う。


 そんな架美来の挑発に答えるように、寸胴な魔が物が雑音のように耳障りな奇声を上げた。

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