21 仲良し

 昼下がりの蒸し暑い教室の中、黒板にチョークで計算式を書く音だけが響く。


 給食で満腹になったせいか、何人かの生徒が頭を上下にかくつかせている。

 しかし、そんな事はお構いなしと黒板の前に立ってスラスラ問題を解いているのは架美来かみらだ。


 ホムラには呪文にしか思えない長い式を途切れなく書く様に、もう妬みや僻みを感じることはない。その代わりに別の感情が彼——否、彼女に対して湧き上がりつつあった。その感情は、どこか怒りにも似ているが、やるせなさも入り混じっている。

 ホムラ自身の中で形容する事のできない複雑な思いだ。



「オーケー、凪良。そこまででいい」


 熊野がそう言うと、架美来はチョークを置いて静かに席に戻った。

 滅多に褒めない熊野が「全問正解だな。すごいぞ」と褒めても、嬉しそうな表情を一つも見せない架美来を傍目に見る。


 別に好きでもなんでもない。

 むしろ、好きかどうかで聞かれたら嫌いだと即答する部類だろう。


 しかしどうにも気に掛かって、朝のほとぼりが冷めた今でも気づけば自然と架美来を目で追ってしまっている自分がいる。


 二日目にして、架美来とクラスメイト達の溝はさらに広がってしまった。


 初日から非友好的な架美来だったが、あの事実が決定打になったのだろう。

 女子が男子の格好をしている事や、勝手に単独行動を進める事に対してクラスの女子達を皮切りに次々と不満が湧き起こり始めていた。

 今は「ありえない」と憤る女子を笑花えみかがどうにか宥めているようだが、それも時間の問題のようにホムラには思えた。

 その当の本人が全くどうにかしようとする気もなく、休み時間も読書ばかりして一人でいる事を一貫しているのである。


 学校にいる時の架美来は、いつも同じ顔をしている。


 ここにいる全員、言葉が通じない幼稚な人間だ。

 全てがつまらない。

 くだらない、どうでもいい。


 そんな考えが滲み出ている顔に、ホムラはとてもよく見覚えがある。




「凪良さん」


 帰りの会が終わってすぐの事だった。

 早々に教室から出ていこうとする架美来に、笑花がすかさず声をかけた。


「今日、私たちと一緒に帰らない、かな?」


 いつものにこやかな笑顔で笑花が尋ねる。

 しかし、架美来は答えずに笑花を睨めつけるように見た。


 邪魔をするな。


 言葉のない威圧に、笑顔を絶やさない笑花の顔がわずかにこわばった。それでも笑花はまたすぐ笑顔に戻って「えっとね」と続けた。


「その、凪良さんのおうち、浅田地区って聞いたの。私たち同じ方向だから、一緒にどうかなって思ったんだ」


 笑花は気を遣って話し続けている。

 他の生徒たちよりも何倍もだ。ホムラから見てもあからさまだった。

 しかし、架美来の反応はこれまでと全く同じだった。


「お前とは帰らない」


 目も合わせず素気無く言い放ったのを聞いて、ホムラはいよいよ見ていられなくなった。


「いい加減にしろよ、凪良」


 すかさず笑花の間に割って入り架美来を鋭く睨みつけた。


「さっきから何なんだよ。笑花にもみんなにも失礼な態度ばっか取りやがって」


「おいおいおい。やめとけってホムラ」


 これまで見たことの無いホムラの激昂に、慌てて芳樹が止めに入る。教室に残っていたクラスメイト達も急に怒鳴り出したホムラの方を一斉に見つめる。

 しかしホムラの怒りは収まらなかった。


 俊蔵や白狐、自分について考える事が多すぎて気が立っていたのかもしれない。

 しかしそれ以上に、素っ気なさを通り過ぎた粗暴な架美来の反応をもう見ていられなかった。


「お前と仲良くしてぇから話かけてんだろ。人の気持ち、少しは考えろよ」


「ホムラ」


 強い声がホムラを止めた。笑花だった。真剣な眼差しをホムラに向けてから、もう一度架美来に笑顔を向ける。


「余計なおせっかいだった、よね。ごめんね、引き止めちゃって」


 すると架美来は気だるげに息を吐いて、今度はきちんと笑花に向き直った。


「車通学だから一緒には帰れない。悪いな、宮本笑花」


 これで良いんだよな。

 そうホムラに一瞥をくれて、架美来はスクールバッグ片手に教室から立ち去っていった。


「おい、凪良!!」


 その後をすぐに追いかけようとすると「ホムラ!」と後ろから笑花が叫んだ。


「おこらないでね」


 笑花の一言に完全に血が上りかけた頭が少し冷める。


 笑花の好意を踏みにじったのだ。もちろん許せない。

 それにしてもどうしてこんなにむしゃくしゃしているのか。


 分からない苛立ちをぐっとこらえ、すたすたと歩く架美来の背を小走りで追いかけた。


「待てって! 待てよ凪良!」


 玄関から出る寸前の架美来に向かって叫ぶと、ようやく足を止めて振り向いた。



「俺はちゃんと断った。これ以上文句あるか?」


「言い方気をつけろっつってんだよ。あんな風に言われて普通イヤだろ」


「別に」


「別にっておまっ……良い訳ねーだろ? このままじゃ浮いちまうぞ」


「どうでもいい奴らにどう思われたってどうでもいい。いちいち難癖つけんな。お節介エロガキ」


 <エロガキ>の一言にすっかり頭から離れかけていた朝の出来事が蘇った。


「バッ……! わざとじゃねーよアレは!」


 みるみるうちに赤らむ顔で弁明するホムラを、架美来の冷ややかな視線が突き刺す。

 ホムラ程ではないが、その頬は少し赤くなっているようだった。


「五月蝿いバカ。大体、言動が厭らしいんだよ」


「ハァー?! そもそもそっちが掴んできたんだろ!!」


 言い合いがさらに白熱しかけたその時、唐突にバイブ音が鳴り響いた。


 音は架美来のズボンのポケットから鳴っているようだった。おもむろにポケットからスマートフォンを取り出し、そのまま耳にあてがう。

 どうやら誰かから電話がかかってきたらしい。

 時間にして一分ほど会話をしていた架美来だったが、不意にスマートフォンを耳から離し、それをホムラの前に差し出した。


「は? オレ?」


 なんで、と言う前に架美来が「早くしろ」とホムラの手にスマートフォンを押し付けてきた。

 訳も分からないままスマートフォンを受け取り、おそるおそる「もしもし……」と電話口の相手に話しかける。

 するとスピーカーから突然「ホムラくん? 聞こえるかな。僕だよ、陽満だよー」と低い陽気な声が聞こえてきた。


「エッ? おじさん?!」


『あはは、ごめんねー。帰るところだったんでしょー。カミラに連絡したら、ちょうど近くにホムラくんが居るって言うから』


「まあ、そうだけど……。んで、オレに何か用?」


『うん。君達にうってつけの依頼が来たよ』


「依頼……」


 ホムラがその単語を口にすると、架美来があからさまに眉をひそめた。

 痛い視線を横流しにしながら陽満の話に耳を澄ませる。


『依頼内容は、ごくごくスタンダードな魔が物退治だね。場所は、千代五星小学校の青葉ヶ山分校』


「青葉ヶ山分校……って、ココかよ!」


『あっ、ホントだー。ホムラくん達の学校だね。わぁ、すごい偶然だ。あはは』


「だから笑えねぇーから!! それってバケモンがココにいるって事だよな?!」


『魔が物は必ずしもその場所に棲んでるとは限らないよ。まあ、近くにはいるかも?』


「かも? じゃねーよ! あんなバケモンほっといたら学校のみんなが死んじまうだろ!」


『まあまあ、落ち着いて。大抵の魔が物はどんなに早くても日没からしか活動できないよ。依頼の魔が物も深夜に行動しているみたいだし、学校のお友達が巻き込まれる事はほとんどないんじゃないかな』


 気を落ち着かせようとしている陽満の説明もすんなりと頭に入ってこない。


 ホムラは以前その魔が物のせいで危険な目に合っているのだ。話を聞いてしまった以上、居ても立ってもいられなかった。


『ホムラくん。この依頼、受けるかい?』


 ホムラの気持ちを見透かしたように、陽満が尋ねる。


「オレが断ったら……学校が危ないんだよな」


『その時は凪良家……カミラの家か他の防人に改めて依頼を出し直すよ。ただ、依頼要請を出したとしても彼らがすぐ退治を引き受けてくれるとは限らないかなぁ』


 ここで断っても、ホムラ以外の誰かがどうにかしてくれるかもしれない。

 しかしこの依頼を誰かが受けなければ、魔が物はいつまでも学校に居続けるという事だろう。


 そうならばホムラの答えは決まっていた。


「受けるよ、その依頼。約束だから」


『オーケー、成立だね。とりあえずカミラに一度代わってくれるかな。依頼の詳細はカミラに説明しておくから詳しい内容はあとで聞いてねぇ』


「えー……んー……うん」


「それから白狐ちゃんにも依頼の件は話しておくこと。白狐ちゃんは君の決定に従うとは言っていたけど念のため、ね。和合は君一人じゃ成立しないからさ」


「うん。じゃあ、凪良に代わるから」


 スマートフォンを返すと、架美来がまた陽満と話を続けた。

 苦い顔のままさらに数分ほど話を続けた後、ため息混じりに「分かった」と言って電話を切った。


「今日の深夜十二時、白狐と一緒に校門前に来い。遅れたらシバく」


「へいへい」


「勘違いするなよ。俺はお前が防人の真似事をするのには反対だ。無能だと判断したら即八つ裂きにするからな」


 物騒な言葉を言い残して、架美来は今度こそ玄関から出て行った。


「ホムラ!」


 少し離れた下駄箱から二人の様子をうかがっていたのだろう。

 ホムラのスクールバッグと体操着ぶくろを持った笑花と芳樹がひょっこりと姿を表した。


「なんのおはなし、してたのかな?」


「話って程じゃねーよ。言い方気をつけろって、そんだけ」


「つかさぁー、お前らいつから仲良しなん?」


「あァッ?! やめろよマジ!! 仲良しとか一ミリもねーから!!」


「にしては話ながいっしょ。オレ、交流生が三分以上話すの聞いたことねーわ」


「んなワケ……」


 ないだろ、と言いかけたホムラだったが学校の架美来の言動を思い出して腑に落ちてしまう(誰かに話しかけられてもぶっきらぼうな一言しか返さないのだ)。



「わたしねぇ。ホムラと凪良さん、仲良しさんになれると思うんだぁ」


 スクールバッグを渡しながら言う笑花に「無理無理! ねーよあんなヤツ!!」と即座にホムラが否定した。冗談じゃない。そう大声で叫びたい衝動に駆られたが、当てずっぽうに言っている訳ではなく確信があるような言い方が引っかかる。


「だいたい、んな事なんで笑花にわかんの」


「んー……。ないしょ」


 上履きを履き替えながら、ホムラと芳樹が顔を見合わせて首を傾げる。


 そんな二人の様子にくすくすと笑いながら、笑花が「明日もお天気になるといいねぇ」と遠くの夕焼け空を見ながら言った。

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