19 繋がり

 昼前の日光が燦々と照りつける校庭の中、強い日差しなどお構いなしに体操着の生徒達がドッジボールに興じていた。


 五、六年生合同の体育(青葉ヶ山分校は生徒数が少ないため、下の学年と合同で行う事が多い)が予定よりも早く終わり、生徒達の熱い要望で残り時間はドッジボールになったのだ。


 楽しげにボールを投げるそんな生徒達から少し離れて、ホムラは一人、木陰に座り込んでその様子を憂鬱そうに眺めていた。


 いつもならホムラも喜んであの場に飛び込んでいた事だろう。

 しかし、未だにしくしくと痛むみぞおちのせいでとても楽しめる気分ではなく、こうして大人しく木陰に座っているのだった。


 この憂鬱もみぞおちの痛みも、言わずもがな架美来かみらとの朝の一件を引きずっているせいであった。




 架美来が女子だと言う事は、体育の着替えであっさりと全校生徒に知れ渡る事となった。


 平然と女子更衣室に入っていく架美来に最初はクラスメイトも驚いていたものの、女子達の証言からそれが紛れもない事実だったのが確定したのだった。


 つまるところ、あんなハプニングなどなくともいずれ明らかになったという事実に頭を抱えたくなったが、何よりあの出来事を昼前になってもきちんと咀嚼できずにいるのであった。


 何せ昨日まで男だったと思い込んでいたクラスメイトが実は女だったと知っただけでなく、その瞬間に思いっきり架美来の身体に――しかも、あろう事か胸と下半身に密着してしまったのだ。


 高学年になってからフォークダンス以外で女子の手すらまともに握った事もない。

 ホムラにとっていかんせん刺激の強すぎる出来事に折り合いをつける事もできず、かと言って誰かに相談する訳にもいかずこうして一人悶々とし続けていた。


 不幸中の幸いなのは、この憂鬱の大元凶である架美来がこの場にいない事だった。ドッジボールが始まるやいなや「くだらない」と言いたげにさっさと校庭から立ち去っていったのである。

 その態度にも若干の苛立ちを覚えたものの、極力会いたくないホムラにとって今は好都合だった。一番顔を合わせたくない相手とこんな場所で二人きりなど、強烈な恥ずかしさで気が狂ってしまうに違いない。


 とは言え、顔を見ずとも人間は勝手に意識してしまうものである。

 頭の中でぐるぐるとあの場面がフラッシュバックしては柔らかい感触と共に鮮明に蘇ってしまう。


 思えば先週からこんなひどい仕打ちばかりだ。


 変に空回って訳のわからない事故に巻き込まれたと思えば、挙句の果てにこんなトラブルになる始末である。


「あーッ! クソッ! なんでいっつもこーなるんだよ!」


「如何されましたか、ホムラ様」


 頭を抱えながら上げた悲痛な叫びに誰かから声がかかる。

 当然誰もいないだろうと思っていたホムラは、びっくりして「ワッ?!」と驚嘆の声をさらに上げてしまった。

 振り向いた声の方には、数日前にホムラが看病した白い獣――白狐がいつのまにか座っていた。


「まあ。随分とお顔が赤いようです。ご気分が優れませんか?」


「エッ、いや、えぇっ?」


 一点のけがれもない白い体躯をすらりと伸ばし首を傾げる白狐に、ホムラは上手く言葉を口に出せなかった。架美来の事で頭が一杯のところに突然現れた白狐にすっかり気が動転してしまったのだ。


「その、ホムラ様?」


 二つに分かれた細い尻尾を揺らしながら、さらに白狐がホムラに顔を近づける。

 白狐の長い鼻先がホムラの鼻先につく寸前でハッと我に返る。


「顔ちっか……! あのッ、大丈夫! 大丈夫だからちょっと離れてッ!」


 手で顔を覆い全力で白狐から逃れる。

 今は狐の姿に化けているらしいが、その正体はホムラと歳の変わらない(ように見える)少女なのである。


 落ち着け。落ち着けオレ。


 訝しげに首を傾げる白狐をよそに、心の中で必死に言い聞かせながら呼吸を整える。

 万が一今朝のような事があればホムラの心臓は今度こそ破裂してしまうだろう。


「白狐……だよな? なんでココにいんの?」


「はい。此方でホムラ様の気配を感じましたので、少しご様子を窺おうかと思ったのです」


「気配ってそんな事分かんの?」


「ええ。おそらく和合の影響でしょう。地上界には様々な生命の気が無数に漂っております。遠くに在る特定の気配を辿ると言うのは容易な事ではありませんから」


「へぇ」


「ホムラ様は、陽満ひろみつ様が仰っていた糸の話を覚えておられますか」


 白狐の問いかけに陽満の話がぱっと頭に浮かぶ。



 ――お互いがどんなに遠く離れていても、例え魂に干渉できる呪術の類でも、決して誰にも切ることのできない硬く強い糸


 ――だから和合が解かれている今の状態でも、君たちの魂は強く繋がっている



 そう陽満は言っていたが数日経ってもやはりその糸については何も分からない。


 糸のと例えられているだけで本物の糸で繋がっている訳ではない。霊感体質でも何でもないホムラには当然その糸は目に映らないが、白狐はその糸の存在を感じているのだろう。


「あの和合から常にホムラ様の気がわたくしに流れ込んでいるようで、この糸を辿っていけばもしやと此方まで来てみたのです。たしかに私達は繋がっているのかもしれません」


「ふぅん。そっか」


 どう返せば良いか分からず、素っ気ない返事で会話が途切れてしまう。


 気まずい。


 話を続けるタイミングを見失ってしまい、思わず校庭の方に目を逸らす。

 愉快げに攻防戦を繰り広げている生徒達の声と、そよ風に揺れる木葉の音だけが二人の間に流れている。


 白狐っていつも何してんの?


 なんで学校の近くにいたの?


 どうやって狐の姿で話してんの?


 聞いてみたい事は山程浮かぶものの、いざ口に出そうとすると寸前でためらいが生まれてしまう。

 妙に畏まられるせいなのか、同年代の女子(今は狐だが)と会話をするのが苦手なだけなのか、どうにも白狐との距離が掴めないままだ。


「ホムラ様は、この学舎に通っておられるのですね」


 気まずい沈黙を破ったのは、白狐からだった。


「マナビヤって学校? そりゃ青葉ヶ山の学校ここしかねーし、まあ」


「勉学は、楽しいですか」


「勉強はつまんねー。けど学校は楽しいよ。くまっち……オレの先生は超コエーけど」


「其れは良い事ですね」


「うん。でもココ、もうすぐオワリになるんだよなぁ」


「終わり、ですか?」


「ウチの学校、生徒少ねーから閉校するって去年決まってさ。オレが卒業したらココもオワリにするんだってさ」


「終わりになると、どうなるのですか」


「どうなるって……まあ、生徒も先生も本校通いになるから人も居なくなるし、ココも閉鎖になるんじゃねーの」


「そう、ですか」


 そう小さく呟いて、白狐は少し黙っていた。

 俯いていた白狐の目が、遠くの空を見る。


「一度でも、この学舎に通えたら良かったのに」


 そよ風に流されてしまいそうな小さな声が、不意にホムラへとたどり着く。


「白狐?」


 声をかけずには、いられなかった。

 俯いたままの白狐の面持ちは、ひどい哀愁を孕んでいるように見えた。


 しかし、そんなホムラの思いを遮るように学校のチャイムが鳴り響いた。


「おーい、ホムラぁー! 戻んぞぉー!」


 ちょうどドッジボールが終わり、校庭からぞろぞろと校舎に戻ろうとする生徒達の群れから芳樹が大きくホムラに手を振っている。


「ホムラ様。では、私はこれで」


「あ、うん」


 手を振りかえすホムラの横で静かに白狐が立ち上がる。

 ホムラに背を向け数歩歩いたかと思うと、不意にホムラの方を振り返った。


「杞憂かと思いますが、どうかお気をつけ下さいませ。此処は少々境界の歪みが大きいようです」


「歪みって凪良とかおっさんが言ってた……」


「ええ。歪みが大きい場所ほど隠世かくりよに近いという事。人の集う場所は特に歪みが生じやすいのです。それに、この歪な魔の残滓……」


「え?」


「いえ、それこそ杞憂かもしれません。ともかく何かございましたら私をお呼びくださいますか。誠に繋がっているのであれば、ホムラ様のお声は何時いかなる時も私に届く筈です」


 そう言って軽く一礼をし、白狐は今度こそ奥の竹林の方へ走り去っていった。


 さすが狐と言うべきか。瞬く間に遠くへ行ってしまった白狐の背を眺めていると、やがて芳樹と笑花がこちらにやってきた。しかし、二人には珍しく何やら言い合いをしているようだった。


「ね、ホムラ。さっきまでだれかと一緒にいた、よね?」


「えッ、や、なんで?」


 開口一番、やや迫るように笑花に尋ねられ咄嗟に聞き返す。

 だれか、と言うのは間違いなく白狐の事だろう。


「ホムラの隣にね、ずっとだれかがいるように見えたの。でもヨシキは誰もいないって……」


「いやいやいや。だってオレ見てねーもんそんなの。いる訳ねーって。なッ? ホムラ?!」


 青ざめた顔で芳樹に迫られ、全身からさらに冷や汗が流れる。


 架美来や陽満、俊蔵にも白狐の姿は見えていたようだった。


 だから白狐はてっきり誰にでも見えるものだと思い込んでいたが、神獣というのは普通見えないものなのだろうか。


「いやぁ、オレ一人だったけど? 凪良もどっかいっていねぇし。まあ白い犬……みたいなのは歩いてたかも?」


 我ながら苦し紛れのひどい誤魔化し方だった。


 しかし、芳樹はホムラのその一言を待っていたと言わんばかりに「ほらぁ、やっぱ見間違えじゃんかよぉ! 急にコエー事言ってんじゃねーよ!」と心底安堵した様子で叫んだ。


「えぇー? いると思ったんだけどなぁ」


 その一方であまり腑に落ちていなさそうな笑花だったが、ホムラは密かにほっとため息を吐いた。


 神獣がどんな存在なのかも、いつもどこか寂しそうな面持ちでいる理由も。

 白狐の事はやっぱりまだ、分からない事だらけだ。


「んで交流生どこいった? 速攻消えたよなぁ」


「うーん? ドッジボールの前まではいたよねぇ……」


「どーせ先に着替えてんだよ、アイツ。ぜってー集団行動嫌いだから」


「ま、そんなカンジだよなぁ交流生。つかよぉ、女子ってマジなん? どっからどーみても男じゃん」


「うん。ホントに女の子。お着替え一緒にしたから」


「うぇー? つーかなんで女が男のカッコ? 分かんねー」


 笑花の証言に芳樹は未だ半信半疑のようだが、ホムラは黙って頷くしかなかった。自分もまたに触れてしまっているのである。


「でもね。凪良さん、悪い子じゃないよ。きっと」


 笑花がそう、ぽつりと言う。


「凪良さんって昔のホムラにちょっと似てる、かも」


「マジそれなぁ。交流生に負けねーぐらいつっけんどんでよぉ」


「してねーし、似てねーよ……」


 すかさず言い返したホムラだったが、全く心当たりがないわけではなかった。


 青葉ヶ山に来たばかりの頃のホムラは、一匹狼になっていたばかりか誰彼構わずひどい言葉を投げては人を遠ざけていたのだった。


 もしかすると今の架美来より酷い有様だっただろう。


「でもね、ホムラと私たち。仲良しになれたよ」


 ホムラに優しく笑いかけて、笑花が言う。


「凪良さんとも仲良しになれると、いいねぇ」


 そんな日が訪れるのだろうか。

 今のホムラには、そんな未来が訪れるなど到底思えなかった。


 しかし、ホムラが青葉ヶ山で変わったように、いつか架美来の中の何かもまた変わるのかもしれない。


 そんな予感が、少しだけホムラの中に生まれた気がした。


* * *


現在、不定期連載中です。

次回、20話は【7月上旬】公開予定です。


~お知らせ~

※次回より定期連載を再開致しますが、週1投稿(土曜のみ)となります


執筆自体は継続しておりますので、引き続き白光の焔をお楽しみいただけましたら幸いです

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