14 境界の世界2

「まずは昨夜の事を整理しようか。カミラと白狐ちゃんが青葉ヶ山で悪鬼と遭遇したのは聞いてるんだけど、ホムラくんはどうしてそんな夜更けに白狐沼へ?」


「オレは……夜起きたら白狐沼から鳴き声が聞こえてて、それでどうしても気になったから……」


「その鳴き声はおそらく白狐ちゃんだと思うけど、白狐ちゃんはホムラくんに助けを呼ぼうとしていたのかい?」


 陽満ひろみつの問いかけに白狐はすぐ「わたくしはただ、あの悪鬼を白狐沼へ誘き寄せるために……助けを乞うだなんてそんな……」と首を振った。想定通りの答えだったのか、陽満も「だよねぇ。君たち元からの知り合いって感じじゃなさそうだもんね」と頷いた。


「詳しく確認する前に、まず君たちの関係を聞いてもいいかな。ホムラくんがカミラの同級生っていうのは知ってるんだけど……」


 そう聞かれて、白狐と顔を見合わせる。


 ホムラがこの数日で体験した不可思議な出来事の数々。

 話せば、何か分かるかもしれない。

 お互いに頷いて、それからホムラと白狐は、これまでの事を陽満にすべて話す事にした。


 数日前から、市内で立て続けに起こっていた熊(おそらくホムラを襲った悪鬼)の襲撃事件。


 その騒ぎの真っ只中——架美来かみらが交流生としてやって来た日の下校中、怪我をした白い獣を介抱し、その翌日に少女の姿の白狐と出会った事。


 そしてその日の深夜、鳴き声が気になって白狐沼に行った時、悪鬼に襲われそうな白狐を庇って危うくホムラが死にかけてしまった事。


 そのホムラを今度は白狐が助けようとして、なぜかそこでお互いに同じ<白い夢>を見て——気がついたら悪鬼が灰塵となっていた事。


 口で説明すればする程、不可解極まりない出来事だった。

 しかしこれはすべて自分の身に起こった事で、嘘偽りのない事実をできるだけ詳しく話したつもりだった。


 しかしそれを聞いた陽満は、納得するどころかますます険しい顔つきで眉根をひそめていた。


「はっきり言っちゃうと……僕でも分からない事が多いね。まずは。カミラ、もう一度確認するけど青葉ヶ山に入る前に人払いの結界はちゃんと張ったんだよね?」


「当たり前だ。俺が依頼を受けて現地に乗り込んだ時、境界の歪みは広範囲に広がっていた。最悪、いつ大量の魔が物が狭間から入り込んで何十人と死傷者が出てもおかしくない状態だった。そんなんで結界を張らないヤツは祓師失格だ」


「うん、百点満点の答えだね。防人さきもりは魔が物の討伐を行う時、普通の人間では感知できない結界を必ず張るんだ。内の人たちが間違って境界の狭間に迷い込まないようにね。でも君はその人払いの結界をすり抜けてしまった。それについて何か覚えはあるかな」


「つってもオレ、結界とかいうのが何なのか知らねーけど……白狐沼の手前で透明な層みたいなのがあったのは見た、と思う」


「で、君はその層の中に入っちゃったんだ」


「まあ普通に通れたし、その奥が沼だったから」


 ホムラが答えると、陽満とカミラがほぼ同時に「マジか」と渋い顔でため息を吐いた。息ぴったりな二人の反応に思わず「何だよ?」と尋ねると「それが結界だ。馬鹿たれ」と架美来が渋い顔のまま答えた。


「ホムラくんは、親御さんとか親戚に神社とかお寺に縁のある人とかいるかい」


「親は……知らねー。じーちゃんは普通のサラリーマンだったし、伯父さんも伯母さんも違うと思う」


「だよねぇ。ともかく、それで結界に入ったホムラくんは悪鬼に致命傷を負わされて……危うく、肉体的な死を迎えそうになった」


 鋭く言う陽満にホムラは口を固く結んで、頷いた。


 まだ鮮明にこびりついて、残っている。

 意識が辛うじて残っている中、自分の身体が急速に冷え切って最後には全て失われていく、あの恐怖。


 陽満の言う通り、あれは間違いなく自分の身体が死を迎えそうになっていた。白狐も「陽満様の仰る通りです」と首肯して言った。


「肉体の死を迎えれば、人としての生が終わってしまう……。何としてもその前に……魂と肉体が完全に離れてしまう前に、私の神力——生命の源を分け与えて命をお救いする筈でした。ですが、授ける段階でなぜか意識が遠のいてしまって……」


「君たちは<白い夢>を見た。それで、気が付いたら和合が成立しちゃってたんだね」


 白狐がこくりと頷く。「ホムラくんは、和合の時の事を何か覚えてるかい?」つづけて尋ねる陽満に、ホムラは「オレは、何も……」と答えることしかできなかった。

 白狐の話を聞いた上で改めて思い返してはみるが、やはり、覚えている事はほとんどない。


 首を振るホムラを見て、陽満は「ありがとう、二人とも。大体の事情は分かったよ」とは言ったものの、陽満の顔は依然として曇ったままだった。

 むしろホムラ達が説明し始めた時よりもさらに厳しい面持ちで「とは言え、君たちの謎はさらに深まったけどねぇ……」と呟くように言った。


「さて、ホムラくんが知りたいのは、君たちが今どうなってるのかだったよね。簡単に言っちゃうと、君と白狐ちゃんの魂は強く繋がっている状態だね」


「オレ達が、繋がってる……?」


「そうだね。和合の成立はね、お互いの肉体と魂を一心同体にする契りを交わすって事なんだ。初めて和合が成立した時、おそらく君と白狐ちゃんの魂は。例えるなら……白い糸かな。


その糸は和合状態になると、お互いの肉体と魂を縫い合わせて、生命の源を巡り合わせ力を高める。逆に解かれるとまた魂と魂を繋げる一本の糸に戻る。

しかもその糸は、たとえどんな事があっても切れる事はない。


お互いがどんなに遠く離れていても、例え魂に干渉できる呪術の類でも、決して誰にも切ることのできない硬く強い糸。

だから和合が解かれている今の状態でも、君たちの魂は強く繋がっている。白狐ちゃんとカミラなら、分かるよね」


 白狐が首をすくめて小さくうなずき、架美来もまた険相な顔つきでうなずく。

 繋がっていると言われてもホムラには全くその実感がない。しかし現に架美来や当の本人の白狐まで認めていると言うことは、自分が分からないだけで本当になっているのかもしれない。


「で、この和合の一番厄介なトコは、君が人間で白狐ちゃんが神獣だって事なんだよ」


 さらに目を細め、重々しい口調で陽満は話を続けた。


「和合自体はね、実はあり得ない話じゃないよ。ごく稀に妖と人が和合してしまう事もあるし、大昔の日本で大罪人と妖の和合を無理に成立させた実験の記録も残っている。ただ、どの事例でも九割九分人間も妖も死に至っている。それほど和合は危険で、到底実現できない代物なんだ。だけど君たちは人間と神獣の和合を成立させて、今もなお現世に存在し続けている。後にも先にもこんな事は滅多に起こらないだろうね」


 朝の架美来の言葉が、ホムラの頭にふと思い浮かぶ。


——神獣が人に憑依するならまだしも、和合なんてあり得る話じゃない

——仮にそれが成立したとしても人間のガキの肉体と精神じゃとても耐えられるはずがない

——本来なら心身ともに崩壊してなきゃおかしいんだよ


 今の陽満の話と架美来の話を合わせるなら、ホムラの命は和合というものをした段階でとっくに尽きていてもおかしくはないのだろう。


 しかしホムラは、怪我もなく五体満足そのものだ。「だって今、オレ元気なのに、なんで……」素直に口から出た疑問だったが、さすがの陽満も困り顔で「それはぜひ、僕も知りたいねぇ」と両手を上げてお手上げの仕草をした。


 そんなおどけた様子の陽満の視線。

 ほんの一瞬だけ、ホムラのすぐ背後を目ざとく射たように、見えた。


 誰かいるのだろうか。そう思っていると、陽満の目線はもうホムラと白狐の方に向いていた。


「ただ、もっとマズイのは……君たちの存在が外の人間にとってかなーり都合が悪いって事なんだ」


「都合?」


「まず、内の人間であるホムラくんが境界の狭間に踏み込んでしまった。それだけでも十分問題なんだけど、神獣と和合しちゃったってのが大問題。普通の人間が神獣と交わるなんて言語道断。神使との和合は許される行為じゃないって騒ぐ連中や、ホムラくんを神を穢した人間だと決めつけて狙う過激派も表れるかもしれない」


「狙うって、まさか……」


「ああ。あの連中なら、子供だろうが何だろうが自分らの思想に反する奴は全身くまなくバラバラにして、使える臓物は全部<回収屋>に売り飛ばすだろうな」


 架美来が意地の悪い笑みを浮かべる。

 全身バラバラ。臓物。売り飛ばす——。

 たまに俊蔵が見ている任侠ドラマでしか聞かない物騒な単語の数々にホムラは一瞬にして背筋が凍った。


「それと一番可能性が高いのは、魔が物がホムラくんを襲うかもしれないって事だよ。白狐ちゃんの魂と繋がっている以上、ホムラくんも魔が物達の標的の一人。つまりホムラくんは今、有象無象から命を狙われるかもしれないって事だね。あはは。すごいねー」


「オレ殺されるかもって事だよな?! ぜんっぜん笑えねーけど?!」


「いやあ、笑ってないとやってらんないでしょー。ねー」


 相変わらず陽満がヘラヘラと笑っているが全くもって冗談じゃない。


「だったら、その和合ってのが悪いんならその糸を何とかして切ればいいんじゃねーの?」


 慌てふためきながら提案するも、陽満は「それは……あまりオススメできないね」と言って苦笑いした。


「和合の契りは、ホムラくんや白狐ちゃん自身でも解けないからねぇ。まあ、僕のツテを使えばできなくもないけど……」


「やってみるか? 肉体が破裂して、死んでもお前の魂が永遠に苦しみ続けてもいいんならな」


 言い淀む陽満に言葉を被せて、架美来が馬鹿にした口調で言い放った。


「こら、カミラ。イジワル言わない。どうしてすぐホムラくんに突っかかっちゃうかな」


 叱られて架美来がまたふいとそっぽを向く。

 相変わらず鼻に付く言い草だが、この数日で架美来が嘘八百を言ってからかう性格ではない事はよく分かっている。だからこそホムラはただ、何も言い返せず唇を噛む事しかできなかった。


「ともかく、このまま君たちを野放しにしちゃうと色んな意味で危ないの。だから多少強引にでも、僕は君たちを此処に連れてきたってワケ。君たちだけじゃなく、場合によっては青葉ヶ山の生命——ホムラくんたちの家族や友達も危険にさらされちゃうの。僕たちとしてもそれは何としても避けたいからね」


「私が……私だけで始末をつける事は、できないのでしょうか」


 俯いていた白狐が、沈静な面持ちで口を開いた。


 始末をつけるというのが何を意味するのか、この時のホムラには分からなかった。

 しかし陽満だけはその意味を分かっているようだった。「白狐ちゃん。それは、いけないよ」と諭すように言うと、白狐はまたしゅんと耳を垂れ下げて俯いてしまった。


「だったら手っ取り早くコイツらの記憶を消すか? その方がまだ丸く治まりそうなもんだけどな」


「それもできないの。狭間に迷い込んだだけならともかく、二人は和合しちゃってんの。下手に記憶の改ざんなんかしちゃったら、彼らが自分の身を守れなくなる。そうなれば最悪、二人の身体と魂が魔が物の手に渡って杜の宮原市は一貫のオワリ」


 今、さらっと記憶を消すとか改ざんとか言ったよな。


 実現可能かどうかはともかく、非人道的な言葉が当たり前のように飛び交う様子に、ホムラはだんだんとこの防人とやらの素性が分かったような気がした。


「とは言っても、ただ僕たちも指を咥えて見てる訳にもいかないからね。ってコトでおじさん考えました。ホムラくんと白狐ちゃん。君たちに一つ、僕からの<依頼>を受けてもらっちゃいまーす」


 突拍子もない提案に「依頼?」と目を丸くするホムラと白狐だったが、ただ一人、架美来だけは鬼の形相で 「なッ?! カタギのガキに依頼なんて何考えてんだ?!」と陽満を睨んだ。


「まあまあ。要するに二人が実際どうなのかってのを見たいワケよ。地上界の脅威になりうる存在じゃないって分かれば、とりあえずはみーんな安心でしょ。それに二人にも自分で自分の身を守る術ぐらいは身につけてほしいしねぇ」


「それとこれとは話が全く別だ! 防人は素人がやすやすと手出しできる仕事じゃない! だったらまだコイツらを匿った方が百倍マシだ!」


「そりゃ保護してあげたいのは山々よ。だけど僕らだって慈善事業じゃない。匿うための莫大な費用を用意できないし、仮にそれができてもホムラくんのご家族になんて説明するんだい。それこそ本当に警察のご厄介になっちゃうよ」


「それは、けど……」


「大体ねぇ、二人の神力はもうただの結界じゃ隠し通せる程弱くはないのよ。だったらいっそ堂々と魔が物討伐に協力してもらったらお互いウィンウィンじゃない?」


「軽く言うな馬鹿。そんな無茶、検非違使けびいしが何て言うか……」


「まーまー、そこは僕が何とかしとくから。それに二人は和合状態で悪鬼を討伐したんでしょ。だったら防人としては十分適任よ」


 陽満達の言うことは、やはりホムラには難しくて全ては分からなかったが、<依頼>というのを受けて陽満が満足できる成果を上げれば、ひとまず悪いようにはしないという事だろうか。


「その依頼ってのを受けたら、この子もじーちゃんも、解放してくれるのか?」


 ホムラが尋ねると、陽満は「うーん……ま、とりあえず今日のところはね」と少し言い淀みながらも頷いた。


「ただ、しばらく監視は付けさせてもらうよ。現世にとって君たちが危険分子である事に変わりはないからさ」


 よかった。

 この長い会話の中で、ホムラはようやく初めて胸を撫で下ろした。ひとまずこれで白狐と俊蔵の命は守れるかもしれない。


「もしこの依頼が成功したら、SHM会の会長として正式に君たちの存在を認めてあげる。これでも僕、関係各所には顔がきくから、少なくとも過激派から命を狙われる事はないはずだよ。どうする? ホムラくん。白狐ちゃん」


 重々しい陽満の問いかけに、ホムラは思わず息を呑んだ。


 依頼がどういうものなのか、ホムラはあまりよく分かっていない。ただこれを受けるという事は、おそらく昨晩対峙したような悪鬼と戦わなければいけないのだろう。自分が悪鬼をどう倒したのかも全く覚えていない。そんな状態で引き受けても何もできる気がしなかった。

 しかしここで受けなければ、陽満の言う組織や化け物のせいで、白狐と自分はもちろん、俊蔵や笑花や芳樹、青葉ヶ山の皆が危険に晒されてしまうかもしれない。


 それだけは、嫌だった。


「分かった。その依頼、受ける」


「本気で言ってんのか?」


 目を見張る架美来に、ホムラは頷いた。

 断るという選択肢を、今のホムラには、選べない。


「白狐ちゃんは、どうかな?」


 陽満がつづいて白狐に尋ねると「私は元より決定を下す立場にございません。このお方に従います」と、小さく頭を下げた。


「じゃあ、依頼成立だね。君たちが地上界にとって善か悪か。ジャッジするのはそれだけ。ただのテストだと思って力抜いて、ねっ。僕もできる限りはサポートするし、カミラも協力するからさ」


「ハァッ?! なんで俺が……」


「あのねぇ。今回の一件、君らの対応の甘さも原因だからね。見習いでも責任はきっちり取ってもらうよ。凪良家当主代理」


 図星を突かれたのか。ぐうの音もでずにとうとう架美来は黙り込んでしまった。


「カミラだって、どうせしばらく例の依頼で青葉ヶ山にいる予定でしょうよ。ならいいじゃん。ノー問題」


「軽々しく言いやがって……」


「依頼の詳細は後で連絡するから。ホムラくんと白狐ちゃんは、今日のところはお帰り。カミラは車で二人を送ってあげてちょーだい。あ、送り終わったらここに戻ってきなさいよー。お説教ね」


小さく舌打ちをして、架美来が「……ほら、行くぞ」と、ホムラと白狐に向かって言った。よっぽど陽満の決定に不満があるのだろう。しかめっ面で部屋から出て行く架美来の後ろを、ホムラと白狐が慌ててついていく。


「気をつけてねぇ」


 そんな三人の小さな背が見えなくなるまで手を振り、陽満は「さて……」とおもむろに立ち上がった。


 そうしてホムラたちが先ほどまで座っていた空間を鋭く見据え「貴方はまだ、僕に御用があるようだ。ホムラくんたちの守護霊……って訳じゃ、なさそうですね」と何かに向かって話しかけた。


「流石、これでも私を目に捉えるか」


 優美な男の声が途端に陽満の耳に響く。


 その瞬間、薄い白霞が陽満の視界一杯に広がり、やがて現れたのは煌びやかな装束を身にまとった一人の男だった。


「初めてお目に掛かる。境界神、シラヤマムスビヒメの神遣しんけんよ」


「あらぁ、ウチのヒメ様をよくご存知で。ヒメ様、天界の知り合いは少ないんですけどねぇ」


「本日は頼みがあり恐れ多くも参った次第。どうか話を聞き入れてはくれないだろうか」


 片膝を床につけ跪いた男は、そう言って陽満に深く首を垂れた。

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