13 境界の世界
にこやかに「そこの座布団に適当に座っちゃってねぇ。話、長くなりそうだから」と言う男に促されるがまま、ホムラと白狐は男の前の座布団にそれぞれ座った。
火の灯された両脇の大きな
それから供物、なのだろうか。
米や御神酒といった神社でよく見るものや、高級そうな葡萄の瓶ジュースやチョコレートなどの洋菓子の数々。その他、小中高生に人気のキャラクター『フライパンくまちゃん』のぬいぐるみが三段重ねの祭壇に供えられていた。
そんなファンシーさの拭えない祭壇以外は、時たま俊蔵と祈祷を受ける神社の社殿によく似た空間にあぐらをかいて座る謎の男。
予想とは真逆の浮ついた男の登場に拍子抜けしそうになるが、油断はできない。こちらは脅されて来ているのだ。
緩みかけた気を締め直し、ホムラはキッと男を睨んだ。
「ちょっとぉカミラ。まさか、脅して連れて来たんじゃないでしょうね。見なさいよ、こんなに警戒されちゃって。僕、きちんと話し合いなさいって言ったよね?」
「話は聞いた。けどさっぱり拉致が明かないから連れて来た」
ホムラ達の後ろから続いて入って来た
「あのねぇ、それ話し合いって言わないの。いくら事情があっても僕たち立派な誘拐犯になるからね。防人だからって通報されたら警察は擁護してくれないよ。分かるでしょ」
フンと架美来がそっぽを向くと、男は「まったく、この子ったら……」とやれやれと困り顔でため息を吐いた。
「悪いねぇ、手荒なマネしちゃって。あとでこの子にはキツーく言っておくから」
「おじさんが、俺たちを連れてこさせた人?」
「うん、そうだよ。君たちを呼んだのは僕だ。朝山ホムラくん。神獣白狐ちゃん」
「話って何すりゃ良いの? 交流せ……
警戒心を剥き出しにするホムラとは正反対に、男は「そうなんだけどさ、本人達から直接ハナシを聞きたい訳よ」と相変わらずの飄々とした態度で言った。
「つったってオレ何も分かんねーし。凪良にも言ったけど、俺だって何が何だかさっぱりなのに……そっちが先にいろいろ説明するのがスジってもんじゃねーの」
「あはは、たしかにそうだ。それじゃ、先に君たちから僕への質問ターイムといこうか」
「おい。真面目にやれ、ヒロミツ。余計話をややこしくすんな」
「もぉー、水を差さないの。カミラがぶち壊しにしちゃった空気を和ませようとしてるんじゃない。それに僕、チョー大真面目だよん」
微笑する男の目が、ホムラと、白狐を順に見つめる。
その眼差しに、ホムラの心臓がどきりと跳ね上がった。
全てを見透かしてしまうような、物恐ろしい黒い眼。
言葉を発さずとも、その視線だけで分かってしまう。
この男が常軌を逸したとんでもない存在なのだという事を。
「君たちの聞きたい事はできるだけ答えてあげるよ。その代わり、僕の知りたい事にも答えてもらう。それでいいかな?」
この男の思惑は未だに分からない。しかし、今は言う通りにするしかないだろう。
ホムラと白狐は、小さくうなずいた。
「そんじゃ、どーんと聞いちゃって。君たちは何が知りたい?」
なぜ自分はこんな事になっているのか。
質問に答えれば、無事に解放されるのか。
勢いのまま問いただそうと口を開きかけて、思いとどまる。
『怒るのはちっとも悪い事じゃねぇ。だが、怒りに飲み込まれちゃあ、いかん』
幼いホムラによく俊蔵が言い聞かせていた言葉だ。
ここで勢い任せに質問をするのはきっと良くはない。
落ち着け。怒りに飲まれるな。
「おじさんと凪良は、何者?」
小さく深呼吸し、意を決して尋ねる。
すると、男は少し驚いたように「君は、すごい子だね。ホムラくん」と目を細めた。
「僕の名前は、ヒロミツ。陽気の陽に満月の満で
「……神って、あのカミサマ?」
「そうそう。神様だよん」
「おじさんが?」
「あはは。まあ、正しく言うなら半分人間、半分神様みたいなカンジかなぁ」
軽い調子でさらっと男が——陽満が笑いながら言う。
陽満の姿は(ただならぬ気迫を除けば)どう見ても一般的な日本人男性にしか思えないどころか、神聖さのまるでない浮ついた格好をしているのである。
ますます拍車のかかった胡散臭さに眉をひそめたホムラに、陽満は「ありゃ、ぜんぜん信じてないっぽいね。ま、しょうがないか」と苦笑した。
「さて、僕らが何者かって話なんだけど……その前に、この世界について簡単に教えようか。白狐ちゃんはともかく、ホムラ君は内の人間だもんね」
内の人間というのは、架美来の言っていたカタギ——何も知らない人間の事なのだろう。
「この世界はね、大きく三つに分かれているんだ。神々や魂たちが住まう天界。僕たちが生きる地上界。そして、妖怪や鬼が棲む下界。呼び方は地域でバラバラなんだけど僕たちはそう呼んでいるよ」
「天国とか地獄とかって事?」
「まあ、大体そんな感じかな。実際には少し違うけど、天界は上、地上界は真ん中、下界は下にあるイメージだと分かりやすいかな。で、三つの世界はそれぞれ異なる次元にあって、特に天界と下界は、全く別の場所にあるんだ。だから基本的に二つの世界が混じり合うこともなければ、異次元の存在に干渉もできない。ただし、その二つの世界と重なっている場所を介してならそうとも言えないよ。さて、その場所は何処にあるのかな。白狐ちゃん」
急に尋ねられ、少し驚いた様子の白狐だったが「地上界、ですね」とすぐに答えると、陽満は「うんうん。その通り」とうなずいた。
「僕たちの住む地上界はね、三つの世界の中で唯一、二つの次元と薄く重なり合っているんだ。よく天国とか地獄とかに逝くって言うでしょ。実際に地上界は、天界や下界からたくさんの魂たちが頻繁に出入りするんだ。それから、よく怖い話とかで聞く幽霊とかお化け。ホムラくんも聞いた事はあるんじゃない。学校の七不思議とか」
「まあ、トイレの花子さんとかなら」
「そうそう、そういうのね。本来は普通の人間が別次元の存在を目で見る事はできないけど、次元の境界が曖昧だとたまに異界の魂や妖が見える事がある。トイレの花子さんみたいな怪談も、もしかしたら誰かの実体験が元になってるかもね。ちなみにテレビで紹介される心霊写真は、大体カメラがうすーく異界の住人を写しちゃったものなんだ。幽霊なんてそこら辺にたくさんいるから珍しいもんじゃないし、よっぽどのモノじゃなければ害はないはずだよ」
「って事は、あの化け物みたいなのがここにもうじゃうじゃ……」
「あはは。ここは僕の結界があるから大丈夫よ。ただ、ここから一歩外に出れば<いる>だろうねぇ。街とかホムラくんの学校とか、人の集まりやすいところは特にたくさんね。地上界は僕たちのような生物だけじゃなくて、神々や霊も、鬼や妖も異なる次元で共存してるものだからさ」
そう軽く笑って言う陽満だが、ホムラには全くもって笑えない話だった。何せその異界の住人とやらに襲われたばかりなのである。
そんな複雑な面持ちのホムラを見てか、陽満が「そんな怖がんなくていいのよー。地上界はこれが当たり前。別に同じ場所にいるからって、必ずしも異界の彼らが僕たちに何かするって訳じゃないからね」と付け加えた。
「さて、前置きが長くなったけどここからが本題。さっきも言ったけれど、基本的に異次元の存在、つまり異界の存在が別次元にいる僕たちに直接干渉する事はできない。人々の信仰が神の神力になったり、逆に神の導きが地上界に幸福や災いをもたらしたりする事はあるけど、それはあくまで間接的な干渉。人は神に触れる事はできないし、神も人に直接施しを与えられない。それは、次元の境界というフィルターを常に通しているから。けれど、その次元の境目——境界の狭間ならそうとも言い切れないんだよ」
陽満の声音が、少し低くなる。その顔付きは、今までとは打って変わって真面目な表情だった。
「境界は次元と次元を分け隔てる厚い壁のようなもの。けれど何かの拍子で穴が空いたり、壊れてしまったりする事があるんだ。そんな境界の綻びから生まれた次元と次元の間——境界の狭間。それを悪用して地上界……つまりは現世に災いをもたらす
「そのハザマって所だと、化け物は人を襲えるって事?」
「おお、いい質問だね。おおむねその通り。境界の狭間は、二つの次元の境目が曖昧になっている有象無象の場所。必ずじゃないけど、別次元の存在に干渉できる可能性は高まるね。あとは、その狭間を通って地上界に降り立つ魔が物もいるらしいけれど、少なくとも僕はまだお目にかかった事がないねぇ」
「だったらハザマってのを塞げば、化け物はいなくなるんじゃ……」
率直に言うと、架美来がすかさず「それができてるんなら俺らはとっくにお役御免だよ」とにべもなく答えた。
「あはは。たしかに、一番は狭間がなくなればいい。けど、境界は無限大に広がっているから、全ての狭間を見つけて塞ぐのは限りなく不可能に近い。だから僕は、境界の神として地上界と異界の境界をうまーく調整して狭間の発生を防ぐ。それでも全ての狭間は塞げないからカミラ達のような専門の職人、防人達が狭間から侵入した魔が物を討伐する。つまり僕たちは、境界から入り込む化物から地上界を守る治安組織みたいなものなんだ。ちなみに、杜の宮原市内の防人達をまとめる治安組織がSHM会で、僕がその会長。ね、すごいでしょー」
「本当に凄いヤツは自分で凄いなんて言わない」
ふざけた口調に戻った陽満に、素気無く架美来が言う。
「まーたそういう事言っちゃって。たまには褒めてくれてもいいのに。ねえ、ホムラくん」
急に話を振られて「はあ……」と思わず適当に相槌を打つ。
この二人は、一体どんな関係なのだろう。架美来の態度にそんな疑問がふと思い浮かぶ。
これまでの二人のやり取りを見ていて、おそらく家族や親戚の類ではなさそうだが気さくな間柄である事は違いないだろう。陽満がSHM会とやらの会長なら、会社の社員と社長みたいなものだろうか(それにしても架美来の態度は随分と偉そうなのだが)。
「で、僕たちの長い自己紹介はこんなところだけど……少しは分かってもらえたかな?」
陽満がホムラの目を見て尋ねる。
きっと、陽満は子供のホムラにも分かるように噛み砕いて説明をしてくれていたのだろう。しかし耳慣れない単語ばかりが飛び交う上、神だの妖だの漫画やアニメでしか見た事のない存在を信じられるはずもなければ、到底理解できるものでもなかった。
「……正直、よくは分かんなかった」
素直にそう答えると、陽満は怒る訳でもなく、かと言って困惑する訳でもなく、ホムラに同感するように「だよねぇ」とうなずいた。
「今はそれでいいと思うよ。ぶっちゃけ、日本の次元は複雑で僕もよく分かってないからさぁ」
あはは、と軽く笑う陽満に、架美来が「お前がソレ言うな」と呆れ顔で言った。
陽満は、きっと悪い人間ではないのだろう。多少胡散臭く、口にする事も絵空事ばかりに聞こえるが、決してふざけて物を言っている訳ではない。むしろホムラにきちんと説明しようとはしてくれている。それぐらいは、ホムラにも十分伝わっていた。
もちろん、まだ完全に信用はできない。だが、このまま会話を続ける分には大丈夫だろう。
「じゃあ、この子がお狐様って本当? 凪良はこの子と俺が和合したって言ってたけど、俺たちどうなったんだ?」
つづけてホムラが尋ねる。
架美来は、ホムラと白狐が和合——身体と魂が一心同体の状態になったと言っていたが、実際今の自分がどうなってしまったのか。ホムラにとって一番知りたい事だった。
しかし、尋ねられた陽満も困ったように「そうだねぇ。正直、僕も分からない事が多くてね。ぜひ君からもお話してほしいな。白狐ちゃん」と苦笑して白狐を見つめた。
つづいて架美来とホムラの視線が一斉に隣の白狐に向く。
視線の数々に萎縮してしまったのだろう。二つの耳を垂れ下げて「私が、お答えできる事でしたら……」と白狐は小さく頷いた。
「神獣は、この国の始祖神が生み出した神使と言われているんだ。彼らは日本の各地に降り立って神意を伝え、何百年、何千年とその地を護る。大昔には青葉ヶ山にも神獣が棲んでいたらしいから、白狐沼伝説もそれが元になっているんだと思うよ。ただ……」
「青葉ヶ山の神獣は、何百年も前に滅んだはずだ」
陽満の言葉を遮り、架美来が鋭い口調で言う。
その言葉には怒りが入り混じっているように、ホムラには思えた。
「青葉ヶ山の神獣——九尾白狐は、そのあまりの神力に地上界でも異界でも畏怖されていた。でも今のコイツの神力はそこらの悪鬼以下だ。コイツがあの伝説のお狐様だなんて俺には思えないな」
「それは……」
白狐が何かを言おうとして、しかしすぐに口をつぐんでしまった。ますます厳しい視線を白狐に向ける架美来に「まあまあ、カミラ。神獣の世界にも事情があるんだろうし、白狐ちゃんが神獣なのは間違いないんだからさ」と陽満がなだめた。
「それに僕が一番知りたいのは、そんな神獣の白狐ちゃんがどうしてホムラくんと和合したのか、だよ」
陽満の垂れ下がった目が、糸のように細くなる。
全てを見透かすような荘厳な眼差しに、ホムラの心臓がどきりと跳ね上がる。
その眼にはもう、おどけた雰囲気は微塵も感じられなかった。
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