第一章 境界の世界

12 SHM会

 車窓のサンシェードから薄っすらと見える鬱蒼とした山道。


 何処かも分からない景色を、黒バンの後部座席で眺めながら、ホムラは小さくため息を吐いた。


 数日前、ホムラの通う青葉ヶ山分校へ突如としてやって来た交流生——凪良なぎら 架美来かみら

 ホムラは今、その交流生に脅迫された挙句、自分が助けた少女——白狐と共に黒バンに押し込められ何処かへと連行されている最中であった。


 どうして自分がこんな目に合わなければいけないのだろう。


 あまりにも理不尽な仕打ちに沸々と怒りが湧き上がってくる。

 もういっそのこと大声で喚いてやろうか。

 そんなヤケクソ気味の考えが思い浮かんだが、ホムラ達の両脇には家に押し入ってきたあの黒子達がこちらに身体を密着させて座っている。

多少暴れたところでいとも容易く押さえつけられてしまうのは目に見えていた。


 それより何より、一言も言葉を発さない黒子達から常に放たれている気迫——いや、もはや殺気と言える末恐ろしい威圧に気を削がれ、結局大人しく付き従う他なかった。


 それは、ホムラの隣に座る白狐も同じなのだろう。

 連れ出される時と同じ険しい表情のまま、白狐もまた一言も言葉を発する事なくただ静かに座り続けていた。

 白狐も平静を保っているのなら尚更、今のホムラにできる事はない。

 仕方なく今のこの訳のわからない状況を頭の中で整理してみる事にした。


 頭についた二つの耳さえのぞけば、一見してホムラと同い年ぐらいの少女に見える白狐。


 架美来曰く、この白狐はあの青葉ヶ山伝説のお狐様らしく、そして自分はそんな彼女とというものをしてしまったのだという。

 結果的にその和合で青葉ヶ山周辺で人々を襲っていた化け物――悪鬼を倒すきっかけにもなったのだが、こうして今、脅迫されてまで連行されている理由でもあった。


 そうは言ってもやはり納得がいかない。


 悪鬼やら和合やら、日常生活の中で聞くことは到底ない単語をいきなり並べ立てられてもすぐに分かるはずもなければ、いつか見た少年漫画のような非日常をすぐに信じられるはずもない。


 そもそも自分はそんなに悪い事をしたのだろうか?


 そんな悶々とした思いを何度も燻らせ続け、しばらくたった頃、走り続けていた黒バンがようやく停止した。


 すぐ左側のドアが開き、隣の黒子に軽く腕で小突かれる。

 どうやら「早く降りろ」と言いたいらしい。


 車内に差し込むまばゆい日光を手で遮りながら、ホムラはされるがまま黒バンから降りた。


「でっけぇ……」


 眼前に広がる光景に、口から思わず嘆息が出る。


 目の前に建つ立派な瓦屋根のある奥ゆかしい門構え。

その左右には、同じ瓦屋根のある白壁の門塀が広い敷地に沿ってどこまでも続いている。

 古民家が多く残る青葉ヶ山でも、ここまで立派な門のある家はほとんど見かけることはない。

 感心して眺めていると、ふと門構えの右にある表札に目が留まった。


『SHM会 千代せんだいを広く見まもる会』


 木製の表札に書かれた達筆な文字に、ホムラは眉をひそめた。


「SHM会……?」


 もちろんこんな場所に来た事は一度もない。

しかしホムラはこの会の名前に聞き覚えがあった。


 何処で聞いたんだっけ?


 必死に記憶を掘り起こしていると「何突っ立ってんだ。モタモタすんな鈍チン野郎」と、門の向こうから容赦ない架美来の罵声が飛んできた。


 やっぱりいけすかねーな! コイツ!!


 危うく口から文句が出かけたが、妙に苛立っている架美来に気押され(さらに後ろに付く黒子達の威圧もあって)、ホムラは渋々、硬い表情の白狐と共に門をくぐり抜けた。


 門の先で最初に目に飛び込んできたのは、モダンな雰囲気の漂う立派な屋敷だった。


 瓦屋根のついた古風な日本家屋を感じさせる表玄関と、赤茶のタイルと石積みの外壁が特徴的な洋館。

 和風と西洋風、二つの建物が美しく調和した珍しい和洋折衷の屋敷に見惚れる間も無く、架美来はチャイムも鳴らさず屋敷の中へと入って行く。

 勝手に入っていいものなのだろうか。


 疑問に思いつつも架美来に続いて入ると、一人の女が架美来達をすぐに出迎えた。


「ようこそおいで下さいました、凪良様。主様が奥でお待ちになっています」


 シックな黒ドレスと白いエプロンドレスを身につけ、艶やかな黒髪を後ろにまげ束ねた頭を下げて一礼をする女は、まるで表情を殺してしまったかのように淡々とした様相だった。


「案内はいい。コイツらは俺が連れて行く」


「恐れ入ります」


 深々とお辞儀する女の脇を通り、屋敷の奥へと進んでいく架美来の後を追う。


 伝統的な和風の母屋の長い廊下を渡り、応接間が設られた洋館の中へと入る。

そうしてしばらく中を進み——突然、架美来が足を止めた。


 生花の挿さった花瓶が置かれた、何の変哲もない凹みのある壁面。


 その先には廊下も、部屋らしきものも見当たらない。

 誰が見ても見紛う事ない行き止まりである。


「架美来様。私共はここで」


 これまで一度も口を開かなかった黒子の一人が言う。


 架美来はそれに無言で片手を上げ、そして小さく何かを呟いた。

 それから白壁の壁面を軽く手で押すと——凹みのある壁面がくるりと半回転した。


「エッ?!」


 思わず驚きの声が漏れ出る。

何せただの壁だと思っていたばかりか、その向こうに道が続いているのである。

 忍者モノのアニメでしか見た事はないが、これがいわゆる隠し扉というやつなのだろうか。

 からくり屋敷に心踊る小学生男児にとっては興味津々な仕掛けである。

胸が少し弾みかけたが、こっちを見て顎をしゃくる架美来に急かされ、仕方なく扉の向こうに進んだ。

 隣の白狐も扉をくぐり、その途端誰も手を触れていないはずの扉がゆったりと閉まっていった。


 扉が閉まる直前、振り向きざまに見えた、深々と頭を下げる二人の黒子達。


 なぜ一緒に行かないのか。

 気にはなったものの、ホムラはそれを尋ねる気にはなれなかった。

 扉を潜り抜けた瞬間に襲った、とてつもない威圧感。

 黒子達や架美来のそれとは次元がまるで違う圧倒的なその空気に、途端に足がすくんでしまったのだ。

 隣の白狐も同じ空気を感じたのか、薄紅の唇を小さく噛んで胸の前で拳を握っていた。

 その拳は、少し震えているようだった。


 架美来は、自分たちをどこへ連れて行こうというのだろう。


 殊更強まっていく疑念を抱えながら、狭く薄暗い通路を三人で歩く。

 まるで小さな洞窟のようだ。

ひんやりとした長細い道を、等間隔に並んだ蝋燭の灯火だけを頼りに進む。


 奥へと進めば進むほど、足どりが少しずつ重くなっていく。


 さっきまで怒りに支配されていた心が、歩を進めるたびに不安と恐れに塗り替えられていく。


 自分は、どうなってしまうのだろう。


 急速に湧き上がった恐怖がホムラを襲う。

 しかし、今更逃げ出すことはできない。

 恐怖感を奥に抑え込みながら歩き続け、やがてホムラ達は大きい扉のある洞穴の前にたどり着いた。


 その扉の入り口には、白い紙飾り——紙垂しでの付いたしめ縄が垂れ下がっている。


「入れ」


 振り向いてそう言い、架美来が二人に道を空けた。

 自分達を脅してまで架美来が連れて来たかった場所。

 そして、あの気の圧が漏れ出しているのもここのようだ。


 しめ縄の下をくぐり、ホムラは意を決して扉を開けた。


「どぉーもぉー。いらっしゃーい」


 ホムラ達を出迎えたのは、そんな間の抜けた男の声だった。


 上質な純白の門帳や壁代で飾り付けられた木床の広い部屋。


 時たまホムラが俊蔵と祈祷を受ける神社の社殿によく似た空間に、背の高い痩せた一人の男が立っていた。


 「よく来てくれたね。朝山ホムラくん、神獣白狐ちゃん」


 にっこりと笑いながら、親しげな口調で男が言う。


 白にほとんど近いグレージュのハーフアップの髪。

 朱色の飾り結びが揺れる大きなピアス。

 長シャツやジーパンといったラフな服装。


 荘厳な場所に似つかわしくない格好の男は一見すれば遊び人のような姿に見える。

 しかしホムラも、そして険しい表情のままの白狐も痛いほど肌で感じていた。


 目の前にいるだけで圧倒されてしまう、このとてつもない威圧感。

 それがこの男から放たれている事を——。


 「おもてなししたいんだけどさ。コレ、おじさんの仕事なのよ。悪いけどハナシ、聞かせてちょーだいね」


 垂れ下がった細い目でホムラたちを捉え、男はニヤリと笑った。

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