10 聖なる焔
「コイツは、さすがにキッツいなぁ、オイ……」
傷跡の残る手の甲で頬の血をぬぐい、祓師は一人毒づいた。
息を切らし、黒槍を構え直して悪鬼に目を据える。
お互い譲らない、激しい睨み合い。
今、一人で悪鬼と向き合ってどれだけの時間が経ったのか。
白狐とホムラは、もう人里へ辿り着いているだろうか。
しかし、それを逐一確認をしている暇はない。
一時でも気を許せば、あの悪鬼は容赦なく己の身体を引き裂く。
そうなったが最後、この沼から放たれたこの凶暴な悪鬼は、白狐や人間の心臓と魂を求めて喰らい、そして着実に不死身の化け物へと進化を遂げていく。
何としてもここで食い止めなければ、青葉ヶ山だけでなく杜の宮原全体にも危害が及んでしまうだろう。
半不死身状態の悪鬼と、一命しか残されていない自分。
悪鬼との戦闘で負傷している身体はとうに限界を迎えている。
だが、外部の応援を呼ぶ隙は、恐らくこれから先、生まれる事はない。
状況からすれば、こちらが圧倒的に不利な事は明白だった。
しかし、ここで死んでやる訳にはいかない。
誓った約束を果たすまでは——。
睨み合いを打ち破ったのは、悪鬼だった。
猛烈な速さで向かってくる悪鬼を冷静に見据える。
突進の次は、おそらく切り裂き攻撃——そう予測して槍を身構えた、はずだった。
なんと悪鬼は、猪突猛進の勢いでそのまま祓師の身体を跳ね飛ばした。
「……ぐッ!」
衝突の寸前に何とか防御体制は取れた。
しかし祓師の華奢な身体では、その暴力的な突進を受け切れるはずもなかった。
呆気なく吹き飛ばされ、そのまま地面の上を二転三転転がり、うつ伏せに倒れ込んだ。
「……ッ」
血混じりの唾を飲み込み、全身にはしる痛みをこらえ地面を這いつくばる。
手元から離れ転がってしまった槍に手を伸ばすも、手先はわずかに槍に届かなかった。
舌から涎を垂らし、こちらににじり寄ってくる悪鬼。
重苦しい足音が祓師に近づき、爛々とした顔貌が、赤い月に照らされた。
正気を失った、深淵に引き摺り込まんとする夥しい数の視線。
二つの眼と、身体にびっしりと埋め込まれた眼球が、一斉に祓師を見た。
起死回生の手段が何も思いつかないまま、鋭い牙が焦燥にかられる祓師に、狙いを定める。
こんなところで、俺は……。
歯を食いしばり、悪鬼を強く睨む祓師の視界の端——。
そこから突如、眩い橙色の閃光が走った。
「なッ……?!」
幾ばくもなく強烈な熱風が祓師の脇を通り抜け——次の瞬間、悪鬼は激しい焔の渦に包まれていた。
何が、起きたんだ。
身体を焼かれ悶絶している悪鬼を見ながら呆然とする祓師の前に、人影が立ちはだかった。
頭部の白い大きい耳に、風になびく純白の長髪。
予想の範疇だったが、やはり白狐が戻ってきてしまったのか。
「なに戻ってきてんだ!!」
そう一喝しかけて、祓師はすぐ口をつぐんだ。
白狐と思った人影は、半分白狐とも言えるがそうとも言えなかった。
体つきと相貌は、人間の少年——ホムラそのものだ。
しかし、その下半身は白い体毛の獣の足――獣の姿になった白狐の足のようでもあった。
一言で言い表すならば、人と獣の外見が合わさっている半裸の獣人。
しかし、異質なのは姿形だけではない。
人間のホムラとも、神獣の白狐とも違う、その身から放たれる俊抜した聖の気の流れ——。
「白狐がアイツに憑依した? いや、違う……」
あり得るはずのない結論が導かれ、愕然となる。
しかし、そう考えればこの妙な様相に説明がつく。
人魂と神霊、人身と神獣の完璧な融合——。
「まさか、人間と神獣が和合したっていうのか……?!」
人と神獣が一心同体の状態になるなど
しかし、今自分の前に確かにその御伽話が顕現している。
だが、尋ねずにはいられなかった。
「おい! お前ら、一体何が……」
白狐か。
いや、ホムラなのか。
祓師の方をゆったりと振り向いたそれと視線が合った途端——祓師の身体がぞわりとすくみ上がった。
口を利くのも末恐ろしい。
その瞳から恐ろしく放たれているのは、人間の気でも神使の気でもない。
まさしく、地に降り立った神の威光そのものだった。
「……誰だ、お前」
辛うじて口から出せたのは、弱々しい問いかけだった。
しかしホムラと白狐の皮を被った何かは、祓師の問いかけについぞ答える事はなかった。
悶えながら焔の渦を抜け出そうとする悪鬼の前に手をのばし、強く拳を握る。
すると焔は勢いを増し、さらに悪鬼は苦しみの叫びを上げた。
あまりにも無慈悲に、しかし煌びやかに悪鬼の身を焼き尽くしていく。
その様は、まるで神の業火のごとく残酷に、だが心から美々しいと思える焔だった。
圧倒的な聖の力。
あまりの神々しさに目も言葉も、奪われてしまう。
これこそが神獣、九尾白狐の真の力だというのか。
やがて燃やし尽くされた悪鬼は、灰燼となって白狐沼の空に舞った。
「流石、我らの子。悪くはない力だ。だが、これではまだ到底足りぬのだよ」
東の空から、黄金色の光芒が閃く。
わずかにのぞき出づる太陽を背に、ホムラの顔をしたそれは、儚げに笑った。
「励んでおくれ、焔の子よ。そしてこの地を、不浄なる魂から救っておくれ」
澱んだ空気は、悪鬼の
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