9 絶体絶命
「ッ!!」
祓師の渾身の突きが、悪鬼の巨体を貫く。
槍の刃は確実に悪鬼の急所——心臓の中心を穿ったはずだった。
しかし悪鬼は少しばかりよろめいただけで祓師が開けた傷穴はまるで巻き戻しのように塞がっていく。
数秒の後、何事もなかったかのようにまた白狐と祓師の前に立ち塞がった。
「クソッ! 不死身かアイツ! 一体どんだけの心臓を喰いやがった?!」
もう先程から何度もその巨体を槍で薙ぎ、突き刺しているのだ。一向に変化を見せない悪鬼の様相に、祓師は悲痛な叫びを上げたが、隣の白狐は泰然と構えたままだった。
「祓師の子、此処から今直ぐお逃げなさい」
臆せず言う白狐に、祓師はすぐ「ふざけんな!」と言い返した。
「祓師がこんな極上の獲物おいそれと逃すかよ。十万、いや、百万はくだらない……」
「その獲物が灰と化しても、ですか?」
凛然と言う白狐に、祓師が「まさか……」と狼狽えた。
突如、大樹の前から飛び出して行った白狐。
その白狐を猛烈な速さで追う悪鬼を逃さぬよう、祓師もまた白狐の後を追った。
そうして辿り着いたのは、青葉ヶ山の麓に位置する伝承の地、白狐沼。
白い彼岸花の咲き誇るこの地へ悪鬼をわざわざここに誘い込んだ意味を、その時、祓師はようやく理解した。
「正気か、お前……」
祓師の問いかけに、白狐は答えなかった。
白狐はまた、たちまち少女へと姿を変えた。
白狐——少女の思惑を察知したのか、それとも本能が危機を予見したのか。威嚇していた悪鬼が少女に飛びかかるも、少女はその予兆を見逃してはいなかった。
すぐ様右手で空を横に切ると、悪鬼は「ギャッ」と目に見えない何かで抑え付けられているかのように空中でその巨体をばたつかせた。
何が起こったのか分からず、ジタバタする悪鬼。
その悪鬼から一時も目を離さぬまま、少女は震える唇を開いた。
「逃げ遂せたら……家の者や防人達に、よく言って聞かせなさい。神の護り無きこの地は、いずれ、悪神らが支配しにやって来るでしょう。そうすれば、境界の守護柱は魔が物の手に……」
息も絶え絶えに言う少女の顔から、透明な一粒の雫がぽたりと地面に落ちた。
おぞましい黒い渦の筋はすでに少女の右手、そして右頬の大部分を侵食していた。深淵の闇がまるで身体を乗っ取ろうとするかの如く、今この時も身体を蝕んでいるのだ。
少女はおもむろに瞼を閉じ、息を深く吸って、また瞼を開いた。
燦々と燃ゆる瞳に、もう揺らぎはなかった。
「その前に、どうかこの地をお救い下さいませ」
天に掲げた小さな左手から手のひら程の焔が現れた。
風にゆらめく小さな焔。
それをそっと握り、少女は静かに目を瞑った。
「危ないッ!!」
凄絶な叫び声に少女の手の内にあった焔の玉が一瞬でかき消えた。
白狐と祓師が一斉に振り返る。
息せき切って白狐沼に飛び込んでたのは、一人の少年——ホムラだった。
「おまッ……! どうして結界の中に入ってきた?!」
鬼気迫る表情で祓師がホムラに怒声を上げる。
しかし、ホムラの関心は奥の悪鬼へと向いていた。
空中に浮かんだまま、暴れ続ける化け物。
少女に狙いを定める化け物の瞳が、カッとさらに大きく開く。
あの子が、危ない。
閃光の如く貫いた第六感がホムラを前に突き動かした。
叫ぶ暇などなかった。
恐れを感じる余裕もなかった。
間もない内に束縛されていた化け物が空中から放たれ、真っ先に少女へと襲いかかる。
するどい
その鉤爪は、少女を庇ったホムラの身体を、一瞬にして引き裂いた。
まるで、これこそが夢であるかのようだった。
赤黒い何かが視界いっぱいに飛び散ったと思えば、瞬く間に世界が暗転し——。
辛うじて意識が戻った頃にはもう、身体は、動かなくなっていた。
オレ、あの子を、かばって……。
いま、どうなって——。
手を動かそうとしても、動かなかった。
足を動かそうとしても、やはり一寸も動かない。
指も首も、全身がどこも動かない。
地面に倒れ伏しているのだろう己の身体が、すさまじい勢いで冷え切っていく事だけを、感じる。
「……してっ! 如何して……私など……」
途切れ途切れの会話が、赤く滲んだ景色に、飛び交っている。
「おい……!! ソイツ……れて……から逃げ……!」
「ですが……ではあなたが……!」
「お前の……でソイツと焼死体……でも御免だ! この程度の……一人で仕留め……」
少女と、槍のようなものを持っていた誰か。
二人の話し声が遠ざかり、やがてわずかに見えていた景色が徐々に狭まっていく。
ああ、そうか。
これがそうなのか。
悪夢の中で感じた、激しく押し寄せる死の恐怖——。
「貴方だけでも、どうか……」
歪んだ視界。最期に見えたのは、あの少女の顔。
潤んだ瞳を瞬かせ、まぶたを閉じる。
全てが凍えて無に消えていく世界の中——。
唇に舞い落ちた温潤な感覚だけが、波紋のように全身へと広がっていった——。
——我らが焔
——全ては宿命
——定められた運命の
穏やかで、しかし強かな言葉。
それに呼応したかのように、自分の瞼が自然と開く。
自分が立っている場所は、白狐沼でも、ましてや黄泉の国などでもなかった。
建物も草木も、何もない。
ただそこにあるのは、煌々と燃え盛る焔の玉。
揺らめく焔の向こうに居るのは、あの少女。
抗えない力に引き寄せられ、少女と向き合う。
——時は満ちた
——神の力を受け継ぐ者達よ
——その焔で不浄なる地に灯を……!
焔の向こう側にいる少女に、手を伸ばす。
同じくこちらに手を伸ばしている少女の手を、強く、掴んだその瞬間。
烈々とした焔が、瞬く間にホムラの中で燃え盛った——。
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