11 境界の者たち

 まぶしい光が、瞼を差す。

 かすむ寝ぼけ眼をこすって、瞼をゆっくりと開けた。

 よく見慣れた、家の奥座敷の天井。

 吊り下がった木組みの照明を眺め、ぼんやりと思う。


 オレ、何、してたんだっけ。


 顔を手で覆い、夜中の出来事をぼやけた頭で思い出す。


 変な夢で起きて、夜に白狐沼行って、それで――。


 糸を手繰り寄せるように昨晩の出来事を思い出していく。

 昨日会った少女と、槍を持った誰か。

 そこで少女が怪物に襲われそうになって、自分はそこで化け物に腹を裂かれ——。


 「……腹ッ?!」


 急速に鮮明な痛ましい記憶が蘇り、ホムラは自分の腹を抱えた。

 両手で入念にまさぐり、自分の腹部が上下無事に繋がっている事を確認して安堵の息を漏らした。


 そうだった。

 あの夜、白狐沼で少女と再会し、そこで化け物に襲われてしまったはずだ。なのに、こうして傷一つなくなぜか自分の家で眠っていた。

 もしやまた、自分は悪夢を見ていたのだろうか。


「そうだよ。あんなヤバげなバケモンとか、リアルにねーから」


 言い聞かせるように呟いて、その場から立ち上がる。


「あれが夢じゃなかったんならなんだってんだよ。大体、腹真っ二つになって生きてるワケ……」


 念仏を唱えるが如く、ブツブツ言いながら茶の間の襖を開き——。


「遅い!」


 目に飛び込んだ光景に、ホムラは一瞬で凍りついた。


 ちゃぶ台の前に座る、二人の子供。

 一人は前に家でも会った事のある、二つの耳が生えた白髪の少女。

 もう一人は、昨晩白狐沼で会った槍使いの子供。


 悪夢だと思い込もうとしていた現実が思いっきり家で鎮座している光景に、ホムラは無意識に襖をありったけの力で閉めた。


「オイ! なに閉めてんだゴラァ!! 誰がお前をここまで運んでやったと思ってんだ?! さっさと出て来い!!」


 襖を開けようとするとんでもない馬鹿力に、負けじとホムラも襖を押さえ込む。


 これこそ夢であってくれよ……。


 強く叩かれている襖を抑えつけ、ホムラは涙目で天井を見上げた。



* * *



「さて、洗いざらい吐いてもらおうじゃねーか」


 ちゃぶ台に肘をつき、膨れっ面で言う槍使いにホムラは苦い顔をした。

 抵抗虚しく引き摺り出され、結局ホムラは白い少女の隣に正座をさせられていたのだった。


 しかし、隣に同じく正座する少女はともかく、向かいの子供とはまるで面識があった覚えなどない。大体、争いのないこの平和な日本で、本物の槍を振り回す子供と知り合いになどなりたくはない。


 ただ、この妙に鼻につく態度――。

 それだけはなぜか強烈な既視感を感じる。


 「いや、まずどちら様だよアンタ。人の家に勝手に乗り込みやがって、せめて名前ぐらい教えんのがレイギってもんじゃねぇの?」


 ホムラが突っぱねると、槍使いはその切長の目をわずかに見開いて「……俺のこと、気付いてないのか?」と尋ね返された。


「はぁ?」


 気付いてないだって?

 眉をひそめるホムラに槍使いは呆れ返った顔で一瞥し、羽織の内側から手のひらサイズの薄いケースを取り出した。


 ケースの中身は黒縁の眼鏡だった。


 その眼鏡をホムラに見せつけるようにおもむろにかけ——ホムラは「あぁッ!!」と、大声で叫んだ。


 黒髪。黒縁眼鏡。高慢ちきな優等生。

 面識がないなどとんでもない。


 数日前、ホムラと偶然出会い、そして青葉ヶ山分校に突如としてやってきた交流生——架美来かみらその人だった。


「なんッ……えぇッ?! 交流生?!」


 驚きの声を上げるホムラに、架美来は呆れ果てた表情でホムラを睨んだ。


「とんだ鈍ちんだな、オマエ。いや……んな事よりお前らの事だ! 人と神獣が和合するなんざ前代未聞だ。お前こそナニモンだ?」


「ちょっまてまてまて!! シンジュウとかワゴウとか何だよソレ。何言ってんだか、わかんねーって……」


「おまッ、そんな事も知らないで……。まさか、カタギのクセにノコノコ首突っ込んだのか?!」


「しょーがねーだろ! 夜起きたら白狐沼から鳴き声がして、気になって行ってみたらその子が襲われそうで、助けなきゃヤバいって思ったら、足が勝手に動いて、それで……」


 言葉に出すことではっきりと思い出した。


 狂気に支配された化け物。

 身の毛もよだつ明瞭に感じた死の危機。


 あれはやはり、夢などではない。

 鮮明に蘇った記憶に、ホムラは言葉を詰まらせた。


「悪鬼は、簡単に言うならバケモンだ」


 顔を俯かせるホムラに、架美来は呆れ顔のまま言った。


「境界を超えて現世に悪影響を及ぼすバケモン。それが、魔が物だ。悪鬼は特に、境界内——現世の生物の魂と心臓を好き好んで貪り喰らう魔が物の一種。俺は祓師はらいしとして悪鬼を駆除するために青葉ヶ山に来た」


「じゃあ、アレは……」


「そうだよ。お前の腹裂いたヤツが悪鬼だ。北青葉ヶ山駅の事件も、昨日の女子高生もアイツの仕業だろうな」


「でも、ニュースじゃ熊のせいだって……」


「バケモンがそこら辺うじゃうじゃ彷徨いてるなんて世間様が知ったらパニックになるだろ。その程度の、このお国じゃ日常茶飯事だよ」


 何でもないようにさらりと言う架美来に、ホムラは静かに息を呑んだ。

 自分は今、もしかしてとんでもない事を聞かされてるんじゃないだろうか。


「俺が受けた依頼は、この地区周辺で急増した悪鬼の駆除。その急増の原因は、おそらく神獣白狐の心臓。なあ、お狐様?」


 架美来の厳しい視線が、ホムラの隣へと注がれる。


「……あなたの仰る通りかも、しれません」


 お狐様と呼ばれたその少女は、これまで閉ざしていた口を静かに開いた。


「悪鬼は本来、住処も群れもなく、ただ意思なく漂う魔が物……。ですが、遭遇した悪鬼達はどれも山の近くを彷徨っていました。それでもわたくしの力で鎮める事のできる者達でしたから、境界の内側に影響はなかったのです。あの悪鬼が出没するまでは……」


 少女は、そう言って心苦しそうに目を伏せた。その目は深い後悔と悲しみが漂っていた。


「私はあの凶暴な悪鬼に襲われて、鎮める事ができなかった。何とか逃げ仰せて人里を彷徨っていたところ、偶然出逢ったこの方がお助け下さったのです」


「いや、だからオレなんもしてないって。助けたのは怪我した白い動物で……」


 そこまで口に出して、ホムラははたと気が付く。


 ホムラが看病していた白い獣。

 そして架美来が『お狐様』と呼んだ少女。


 獣と少女には共通点があった。

 頭に付いた二つの大きな耳。

 それぞれに出会った時、獣は右の前足を、少女は右腕を負傷していた。


 もしかして、マジでじーちゃんの言う通りって事?

 いや、いやいや、そんなバカな。


 辿り着いたあり得ない結論にいよいよもって頭の中がパンクしそうになった。


 少女に化ける狐。いや、狐に化ける少女、なのか。


 少し前に芳樹から借りた漫画にそんな化けぎつねのキャラクターがいたが、それはあくまでファンタジーだ。もちろん現実の話などではない。

 しかし現に目の前の架美来もお狐様と呼んでいて、少女も特に否定している様子はない。


 それじゃあ、本当にこの子は、お狐様……?


 整理が追いつかず呆然となるホムラに痺れを切らしたのか「お前らの馴れ初めは正直どうでもいい」と架美来がばっさりと切った。


「聞きたい事は腐る程あるが、まずはコイツが腹裂かれ後だ」


「いっ、いちいち腹裂かれたとか言うな! マジで痛ぇんだぞ!」


 あの出来事はしっかりとホムラにトラウマを植え付けたらしい。

 勘弁してくれと小さく叫ぶホムラに、架美来は目八分に見ながら続けた。


「あの悪鬼が消滅する直前、俺には、お前らの身体と魂が完全に和合した状態……一心同体になったように見えた。神獣が人に憑依するならまだしも、和合なんてあり得る話じゃない。仮に成立したとしても、人間のガキの肉体と精神はじゃとても耐えられるはずがない。本来なら心身ともに崩壊してなきゃおかしいんだよ」


 崩壊という言葉に思わず身震いが起きる。

 本当なら一体自分はどうなっていたのだろう。ろくでもない事なのは察しがつくが、あえて尋ねないでおこう、とホムラは密かに誓った。


「一番不可解なのは、悪鬼を焼き尽くした浄化したあのちから……。ただのガキと弱った神獣が放つ神力とは、俺には思えなかった。お前ら一体何があった?」


 険しく問う架美来に、ホムラは何も答えられなかった。

 ホムラには、悪鬼に襲われた後の記憶がほとんどない。辛うじて悪鬼が焔でもがいている姿だけは頭に残っているが、それ以外は記憶をかき集めても何も思い出せない。


 なぜあの悪鬼に腹を切り裂かれたのに、五体満足で家に帰れたのか。

 架美来の言う和合とやらで自分達に何が起こったのか。

 そして、自分と少女がどうやってあの化け物を倒せたのか。

 ホムラには何も、分からない。


 黙り込むホムラの代わりに口を開いたのは、同じように険しい表情の少女だった。


「私は、この方に魂の半分を捧げたつもりでした。せめて命だけでもお救いしようと、そう思ったのです。ですが何故かその後の記憶が曖昧で……気が付くと悪鬼は焼失していました」


「あんな無茶苦茶な神力放っといて、自分は何も覚えてない。そう言うのか、神獣白狐」


「私は本当に何も……。御免なさい」


 少女はそう言って、申し訳なさそうに静かに首を振った。その様子に架美来が小さくため息をついて、今度はホムラの方を見る。お前はどうなんだ、と目でせっついてくるが、答えられる事はやはり何もない。


「オレだって何も分かんねーよ。あのバケモンにやられて、目ぇ覚めたらウチで……あっ」


 そう言っている途中で、はたと急に思い浮かぶ。


 意識を失う直前に見た、あの白く儚い夢。


「悪鬼とか言うやつに襲われてから、オレ、夢を見てた、気がする。すげー白い部屋みたいなとこで、我らが焔、とか宿命とか誰かに言われた、ような」


 たどたどしくおぼろげな夢の記憶を言ってみると、突然「私もです!」と少女が声を上げた。


「たしか低い殿方のお声が聞こえて、そこで大きい焔の球のようなものがあって……」


「そうそう! そんでオレ、君に会った! あの焔の前で!」


「ああ! あれは貴方様だったのですね! 一時の幻かと思っておりましたが、やはりあれは夢などではなく……」


「は? 何言ってんだお前ら」


 盛り上がる二人の話を遮るように架美来が水を差す。

 頭でもおかしくなったのか。

 眉間に皺を寄せるその態度にホムラはとうとう我慢ができなくなった。「なッ! 大体そっちこそ何なんだよ!」とついカッとなって声を張り上げる。


「いきなり押しかけて質問攻めってヒジョウシキじゃねーの? 祓師だの何だの言われたってこっちはさっぱりわかんねーよ。そっちこそオメーが何者かぐらい説明しろよ!」


 勢い任せに架美来に指を指したホムラだったが、内心はあまり答えを期待していなかった。

 この交流生の事だ。どうせ「お前には教えない」と言われて、はぐらかされるに違いない。

 しかし、そんな予想に反して架美来の反応はあっさりしたものだった。


「確かにお前の言い分も一理ある、かもな」


 ゆったりと立ち上がり、架美来はホムラと少女を下目に見やった。


「巻き込まれたにしろ、お前はこちら側の世界に足を踏み入れた。いいぜ、教えてやるよ。後でじっくり、な」


 そう言って架美来は右の指を前に出し、ぱちんと音を鳴らした。

 部屋に響く、乾いた音。

 音が聞こえたのと同時に黒装束に身を包んだ数人の何者かが、唐突にホムラと少女を取り囲んだ。


 黒い着物と股引。そして顔を覆い隠す黒い頭巾。

 一言で例えるなら、芝居の裏方に徹する黒子のような姿だった。


 何が起こったのかまるで理解できなかったが、鋭い直感がホムラに激しく告げていた。


 下手な事をすれば、この黒子達と架美来は、自分と、そして少女を良いように扱わない。


「お前っ……!」


 ホムラの強い睨みにも臆さず、架美来は堂々と続けて言う。


「内の人間が境界に踏み込むのは絶対の禁忌。その上、神獣と和合した人間をはいそうですかと逃す訳にもいかないんでね。白狐共々大人しくついてきてもらおうか」


「このお方は何も罪を犯してなどおりません! 事の始末なら私だけで……!」


「そいつはできない相談だな。ウチの長は、お前らとの話を御所望ごしょもうだ」


 すげなく言われ「そんな……」と狼狽する少女を庇いながら、ホムラは努めて冷静に架美来を睨み続ける。


「……俺がもし、嫌だって言ったら?」


「お前、じーさんと二人暮らしなんだってな。可愛い孫を大事に養ってくれる。そんな家族にはいつまでも元気でいてほしいよな。朝山ホムラ」


 不敵に笑う架美来の物言いに、ホムラはその時ようやく気が付いた。

 家で目覚めてからホムラはまだ、俊蔵の姿をまだ一度も見かけていないという事を。


「やっぱお前、クソ性格悪ぃだろ。交流生」


 思わず皮肉混じりな言葉が出る。しかし、架美来はそれにも動じないばかりか「褒め言葉ありがとよ。クソ餓鬼がき」と鼻で笑って返す余裕まで見せた。


「ま、何と言われようが俺も祓師の端くれ。義理は通させてもらう。さあ、大人しくついてきてもらおうか」


 ホムラ達へにじり寄る漆黒の集団を眺めながら、架美来は唇に冷笑を浮かべた。

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