チャット

 誰もいない静かなマンションの一室。


「ただいま」


 そこに玲香が高校から帰ってくる。


「……はぁー」


 疲れと共に深々とため息を漏らした玲香はそのまま来ていたブレザーを適当にソファの上へと投げ捨てると共にカバンもその場に落とす。


「……あぁ。えっと、洗濯もしなきゃいけないけど……今日は無理かな。みんなと話していて時間ももう遅いし。まだ、服は大丈夫だよね?だから、私がやるのは夜ご飯をどうするか、かな?」


 玲香は独り言を漏らしながら手早くカバンを片付け、私服に着替えていく。


「よしっ」


 高校から帰ってきた後にやらなくてはならない作業を終わらせた玲香は自分の夜ご飯を作っていくためにキッチンに立つ。

 そんな時だった。


 ピロリンッ


 テーブルの上に置いたスマホが着信音を鳴らしたのは。


「ひっ!?」


 着信音を聞いた玲香は思わず悲鳴を上げて飛び上がる。

 イチイチ生真面目な玲香はどれだけ大きくなろうとも自分の元に訪れる感想には目を通していたし、逐一感想を受けて様々な反省を行っていた。

 アンチコメントだって一つの意見。

 それを標榜していた彼女は一つ一つのアンチコメントにすら真摯に向き合う───だがしかし、今回ばかりは別であった。


「……おえっ」


 ネット活動に慣れ、多くの人気を獲得し、それ相応の誹謗中傷にも晒されてきた。

 だけども、玲香はこれまで大きな炎上はしたことがなかった。

 いくら耐性があろうとも擁護のコメントを覆い隠してしまうほどの罵詈雑言の集中砲火は人の想像の手に及ぶものではない。

 決して、人が真摯に受け止めて向き合える類のものではないのだ。


「……うぅ」


 彼女はネットという魔物を過小評価していた。


「……私は、何も悪いことなんてしていない。大丈夫、私は。誹謗中傷されるような謂れは、ない。こんなところで俯いていたらダメだよね。大事なファンの子たちもいるのだもの」


 それでも、玲香は気丈に笑い声を浮かべながら軽快な着信音を鳴らしたスマホへと手を伸ばす。


「あっ、そっか……私、もう配信サイトの通知は切っていたっけ」


 玲香のスマホに表示されていたもの。

 それは見ず知らずの誰かから送られてくる感想ではなく、自分の友だちである蓮夜から連絡が来たことを知らせるものだった。


「ふふっ」


 淀みない動きでスマホを操作し、蓮夜から送られきたチャットに目を通して玲香は自然と笑顔を漏らす。

 送られてきたのは嬉しそうに五百円玉を握りしめている彼の写真であった。

 蓮夜だけは、一度も今回の炎上騒動について玲香の前で触れたことはなかった。


『何?その五百円玉』


 玲香は緩んだ表情のまま返信を送り返す。


『久しぶりの参拝客が御守りを買っていてくれたのだよ!』


『おー、それは良かったね』


『これで僕の生活も幾分かマシになる。それで?神薙さんは今、何をしていたの?』


『私はね、これから夜ご飯を作るところ』


 そのまま玲香はスマホを手に持ち、蓮夜とのやり取りを行いながら再びキッチンの方に戻ってくる。


『おぉ!良いじゃん!僕もこれから夜ご飯を作るところだよ!』


『そうなんだ。何を作るの?』


『それはもちろんハンバーグっ!』


『またハンバーグ?昨日も、それまた昨日もハンバーグじゃない?そんなにハンバーグ好きなの?』


『好きになった!ハンバーグは良い……奇跡の食料だ。何せお腹にたまるからね!』


『確かに、結構ハンバーグってお腹にたまるよね』


 既に熱愛報道に関しては事務所を通して事実無根との声明を出し、動画内で自分の言葉も使って話している。

 このまま炎上は鎮火していつもの日常に戻ることができる。

 そう信じながら玲香は蓮夜と文字でのチャットを続けるのだった───


 ……

 

 ……………


 …………………


 同時刻のとある神社付近にある小屋において。


「んー、ハンバーグうまぁー」


 日本政府から貰ったハンバーグを異常なまでに小分けして食べるという異常なまでに悲しき行為をしながらも満足しそうにしていた蓮夜が急に首をかしげる。


「って、あれ?」


 その理由は、これまでテンポよく自分の送るチャットに返信してくれていた玲香からの返信が止まったからである。


「忙しいのかな?」


 一度、スマホを置いた蓮夜は食べ終えた食器を片付けていく。

 その後、蓮夜は山の中に流れている綺麗な川で体の穢れを落とし、体を拭いてから再び家に戻ってきて寝るための布団を引いていく。

 既に暖かさも柔らかさも喪失してしまった布団を敷き終えた蓮夜は再び視線をスマホの方に送る。

 未だに、玲香からの返信はなかった。


「っとと」


 蓮夜は実にたどたどしい手付きでスマホを操作しながら再度、玲香の方へとチャットを送る。

 だが、それでも玲香からの返信はない。


『ん?』


『えっ?これが既読無視?』


『大丈夫?』


『どうしたの?』


『……本当に大丈夫?』


『おーい』


『とりあえず僕は寝るね。おやすみ、また明日』


 ■■■■■


 ───更に続報が飛ぶ。

 

『これ、本当なの?それじゃあ、レイナは私たちに嘘ついていったこと?流石にそれはないわー、ちょっともうファン辞めるかも』

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