7、騎士の宝、海賊の宝

 突如溢れ出た熔岩で、ボルカン山の中、カルデラのすり鉢状の底がひび割れ、崩れている。

 中央にあったはずの水たまりはもはや無く、熔岩の熱で白く熱い蒸気に変化していた。

 暗く分厚かった雨雲は溶岩の色を映して、世界に赤い色をまき散らしていた。

 天変地異、地獄絵図、この世の終わりのような風景に、セルゲイは顎を落とした。

 あと、なんだっけ。グレイズがいて、俺が死んでた? まだ状況が飲み込めない。


「行くぞ! 立てるか!」


「あ、ああ」


 グレイズが肩を貸してくれるのを、セルゲイは流れるままに受け止めた。

 そして四人は濡れた山肌を登りはじめた。

 身体は重たく、頭はまだぼうっとしている。死んだなら、ここは地獄か?

 空を切り裂くようなおぞましい悲鳴が轟いたのに、一行は驚き振り向いた。

 そこでは、クリフォードだった化け物が大地の裂け目に足を取られ、弾けるマグマによって身体を焼かれていた。屍肉の焦げる臭いがあたりに満ちていくのに、セルゲイは顔をしかめた。

 夢に匂いはないから、これは現実だ。多分。

 一方で、勝者となった黄金の竜エウリッグは強大な炎の力を喜んでか、大空へ飛び上がり旋回していた。

 終わったのか。セルゲイは、はっきりしない頭でそう思った。

 いつか、どのときかは定かではないが、ユラムがフェネトに啖呵を切ったあたりで、意識を失ったような気がする。まさか、ユラムがフェネトの妹とは、そしてアンがユラムの眷属、水の精霊ヴァトゥンとは、夢にも思わなかった。意識が朦朧とする中で聞いたので、やっぱり夢かもしれないけれど。

 そういえば、あんなにレイピアでずたずたに刺されたはずなのに、心以外の身体のどこにも痛みが無い。記憶の通りなら、セルゲイを痛めつけた言葉や剣は本物だった。

 痺れてもいない。呼吸も驚くほど簡単で、胸いっぱいに空気が取り込める。

 だが腕や足を覆う装備はぼろぼろである。もう使い物にならないだろう。


「そうだ、フェネト――!」


 セルゲイがぐるりと首を回した後方に、男が一人、よろよろと歩いていた。

 フェネトは顔と片足とを庇いながら、今にも倒れそうだ。

 溶岩に追いつかれるのも時間の問題だろう。


「ほっときな、あんな奴!」


 騎士の背中を押してくれる少女が吐き捨てた。アンだ。


「ああ。助ける価値なんか無い。オレとお前を憎んで、憎しみ抜いて、殺そうとした奴だ」


 ユラムも口を揃える。そうだ。事実、彼女はデ・リキア家から抹消され、セルゲイも社会的に、そして今も抹殺されそうになった。


「けど……」


「けど、じゃない。お前は生きるんだ」


「そうだよぉ」


 セルゲイの脚が迷いに止まるのを、二人の女海賊がぐいぐいと押す。


「諦めろ。あいつは家族でも友だちでもない。そう、オレはけじめをつけた。だから、あいつもけじめをつけるべきだ」


 アンとユラムは、セルゲイが滑る斜面を転ばないよう、懸命に押してくれている。


「帰ろう、セルゲイ」


 グレイズもそうだ。


「セルゲイ、お前に教えて欲しいことがたくさんあるんだ。馬術も、剣術も、どんなエールがおいしいのかも。夜遊びだって、騎士の〈愛の歌ミンネ〉だって」


 彼も本当は〈ビュロウ〉でマルティータやグウィネヴィアを守る大将を努めていたはずなのに、こうして助けに来てくれた。

 騎士が腕を回した肩には、いつの間にかしっかりと筋肉がついていて、あの頼りない猫背は厚くなり、しゃんとして、今やセルゲイの身体を支えるまでになっている。

 セルゲイは、こみあげる思いと背後から押し寄せる熱気に目をしばたたかせた。


「グレイズ」


「なんだ。辛いか?」


 身体に直接感じる王子のハイバリトンは、見違えるほど豊かに響きが増している。


「俺、やっぱりだめだ」


「もう少しだ。諦めるな。お前は生き返ったんだ」


「そうじゃない。俺、やっぱり自分に嘘はつけない」


 騎士はおもむろにグレイズの身体を剥がすと、斜面に勢いよく倒れ込んだ。


「セルゲイ!」


「馬鹿野郎! 死ぬ気か!」


 上方から滑る騎士を呼ぶ声がする。

 しかし、振り向く時間も惜しんで、セルゲイは踵を斜面に立てた。

 岩風呂のような熱気の中、ひび割れた地面を飛びに飛び越える。

 そして、顔を庇いながらふらふらと歩くフェネトを見つけた。


「フェネト!」


 彼は一瞬、歩みを止めた。セルゲイを見て、ひどく驚いたらしい。

 だが、騎士を認めてすぐに顔を背けた。


「今、行く!」


「来るな!」


 セルゲイが友と思っていた男は、彼に背を向けた。


「危ない!」


 フェネトが向きを変えて歩き出し、右足を落としたそこは赤い暗闇だった。

 足を踏み外して大地の亀裂に落ちそうになる。

 その瞬間、セルゲイは身を投げ出してフェネトの腕を掴んだ。

 かろうじて掴めたフェネトの手からレイピアが墜ちて揺らめく溶岩に音も無く一瞬で溶けた。

 ものすごい熱気に、顔が焼かれてしまいそうだ。


「お前に助けられるぐらいなら、死んだほうがましだ!」


 騎士はからからと笑って強がった。

 わかったのはもちろん、彼が友だちだったからだ。

 そう、確かに友だちだったのだ。


「俺のこと、そんなに嫌いだったんだな。知らなかったよ」


 じわりじわりと、手が滑る。セルゲイは握る手の汗を呪った。


「九つの時から知り合いなのにさ。水くさい」


 フェネトは黙っている。


「俺、馬鹿だからさ。言われないとわかんねえから。ドーガスさんにもすごく怒られてたろ。すぐ調子に乗って、失敗して、怒られて。それもすぐに忘れて。それはお前が一番よく知ってるじゃないか」


 彼も腕を伸ばしてくれれば、助かる可能性がある。


「あと、言ってなかったっけ。俺、お前の事本気で尊敬してた。上品でさ、でも誰よりも努力家で。親父さん、厳しいからなかなか認められたかったんだよな」


 しかし、彼は左腕をだらりと落としたままだ。


「……行けよ」


「もっとケンカすればよかった。いや、これから、ケンカしてみたい。さっきは一方的だったからな」


 セルゲイはくしゃりと笑って見せた。

 だが握力は限界を迎えようとしていた。


「お前は俺のこと嫌いだろうけど、俺は、大好きだからさ」


 セルゲイが伏せていた地面が傾きだした。

 その時、騎士の左腕にかかるものがあった。フェネトの腕だ。


「お前のそういうところ……」


 彼は、熔岩の赤にブロンズの髪を燃やしながら言った。


「本当に、大っ嫌いだ……!」


 元親友同士は手に手を取り合い、大地の裂け目から脱出した。

 雨に濡れていた地面はいつの間にか乾いていて、そこを駆け上がる。

 右目を庇うフェネトを引き上げ、協力しあいながらボルカン山の峰にたどり着いた二人は、振り返って息をついた。さきほどまでいたカルデラには、赤黒い岩漿がゆるりと渦巻いていた。

 熱気はオパーラの島を覆っていた暗い雨雲さえどかしている。

 その空の青さを喜んだドラゴンが、セルゲイめがけて勢いよく滑空してきた。


「ユーリ!」


 両腕で顔をかばったセルゲイは、気づけば空の上にいた。

 ドラゴンの前足に腹をぐっと掴まれて、ピックアップされたらしい。助かった!


「ハハハ! どうだ、俺の勝ちだ! 俺たち生き残ったぞ!」


 隣では、フェネトが声も出せずに固まっている。


「いい顔してるぜ! なあ、フェネト!」


***


 カルデラをたっぷり満たした熔岩は、運がよいことに、ボルカン山のすり鉢の外へ溢れることは無かった。それを〈海豹女セルキィ〉号と〈海の神〉号ディア・ナ・ファーラジャに伝えて、セルゲイとエウリッグ、フェネトはオパーラの港で仲間たちを待ち受けた。

 船から真っ先に降りてきた〈花の都〉カル・ナ・ブラーナの住人たちは、青空の下で、生き延びて故郷に戻れたことをたいそう喜んだ。

 その中に、セルゲイが叱り飛ばした老人がいた。

 今気づいたが、白髪交じりの彼はワニア民族ではなかった。瞳の色も茶色だ。


「死ぬ気でいたが、わしもまだまだだったということか」


「ああ。もう、くたばってくれていいぜ、クソ親父」


 と、凛々しい女の声がした。顔を見なくてもわかる。ユラムだ。


「クリフォードのやつは死に、オレはお宝を持ってきた。安心して隠居しな」


 水先案内人のパンメルを引き連れたユラムが、老人の肩を小突いた。

 しなびかけている老人の肩には、うっすらと刺青の跡が見える。

 それは、ユラムやパンメルとお揃いの、オリーブと女神の図案だった。


「あなたがヴィルコ・オルノス……!」


 セルゲイの隣にいつの間にかやってきていたグレイズが、驚きで顎を下げていた。


「ずいぶん悩んだよ。あんたを納得させるお宝なんて、そうそうないから。でも、オレはこれに間違いないと思う。パンメル」


 男装の麗人が形のよい顎をしゃくると、パンメルは腕に抱いた赤子を差し出した。

 あの、よく泣きよく笑う、母親と冒険を重ねてきた勇気ある男の子だ。


「ほら。あんたの宝物だよ」


 ヴィルコが表情を固める。


「パンメル、お前……」


「で、さ。あたいもあんたのお宝にしてくれると嬉しいんだけど」


 セルゲイとグレイズが見守っていると、ルジアダズ海賊団の頭目は、元々皺だらけだった顔をさらにぐしゃぐしゃにして、涙も鼻水も流しっぱなしのまま赤子を受け取った。


「ちゃんと洗わないと、嫌われるよ」


 ひょっこりと頭を出して警告したのは魔術師キールヴェクだった。

 彼の言う通りだったのかもしれない。

 息子は父親を嫌がって泣きはじめた。ごま塩の顎に蹴りさえ入れている。

 それを見て、誰とはなしに笑い声が上がった。

 まるで奇跡のような晴れ晴れとした気分で、セルゲイは黄金のドラゴンの首筋を撫でた。

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