4,竜騎士と片脚の男

 釣りに出る者、煮炊きをし、うまそうに頬張る者、会話を楽しむ者、服を交換する者など、〈花の都〉カル・ナ・ブラーナがだんだんと活気づくのに、セルゲイは目を細めた。まるでお祭りだ。

 そうして生命の誕生を喜ぶ人々もまた、誰かに望まれて生まれてここまで生きてきたのだろう。それは失った友人たちも、おそらくセルゲイ自身も。

 そう考えると鼻のあたりがつんとしてきたので、セルゲイは顎を水平線に向けた。

 もしかしたら。騎士は自分の想像力を呪った。俺の家族も今、同じ気持ちをしているんだろうか。

 九つになったセルゲイがドーガス子爵の元に送り出されたとき、自分は家族から棄てられたのだと思った。要らない子だと思うからこそやんちゃも繰り返した。その孤独感を埋めたくて師や同門生、または女の子など、いつでも誰かの隣を求めたのかもしれない。しかしどうだろう。本当に忌み子として棄てられたのなら、家族は子爵家を度々訪れたり、ましてや御前試合に応援など来ないはずだ。だめだ。セルゲイの目じりから熱いものがつうっと落ちていった。

 水平線にほど近いところで空色が白く溶けている。

 まばゆくて、それでいてどこまでも透明に見える。キールヴェクの髪にそっくりだ。

 彼のように恐れようが騎士のように怯えまいが、死の瞬間はある日突然に与えられてしまう。

 それがいつかは誰にもわからない。生とはかくも不確かなものなのか。


「俺、なんで生きてるんだろう。笑えてるんだろう」


 それで、やりきれなさがぽつりと口から出てしまった。


「あら、笑っていいのよ。おめでたいんだから」


「アン」


 焚き火を囲み向かい合って腰を下ろしているユラムの、そして、いつの間にか現れていたアンの視線が騎士の額に刺さっていた。

 里の喧噪から少し離れたここは、少しの静謐さに守られていた。だからかもしれない。喉に詰まっていたもの、胸にわだかまっていたものを吐き出してしまったのは。


「俺さ、親友の人生を壊して、同僚の友だちを亡くして、主には真実を言わないで。国家元首の命から背いて。正義だの、騎士の十戒だの言うくせに、人生ずっと間違ってばっかりだ。〈鯱〉の奴らと変わんねえ。こんな俺だからデ・リキア卿に裏切られて利用されたんだ」


 気づけばセルゲイは、本音をひっくり返していた。零すどころではない。

 セルゲイが俯いた先でぱちりと焚き火が爆ぜて、黒く炭化した薪が崩れ落ちた。


「あんた、それでよく生きてるわね、セルゲイ」


「どっちかってーと、まだ死んでないだけだ」


 騎士が自嘲に頬を歪めると、アンは目に見えて焦った。


「違うわよ。えっと――」


「よく、腐らず真面目に生きてきた。そう言いたかったんだろ、アン?」


「そう、そうよ!」


 うんうん、と頷く海賊娘の隣で、ユラムは自分の膝に肘を預けた。


「オレもあるぜ。裏切られて、心をずたずたに引き裂かれたことが。お前みたいな正直で責任感のある男は、そんなことはしないんだろうな」


 焚き火に青い目を焼きながらユラムが流し目をくれて、セルゲイはどきりとした。


「か、買いかぶりすぎだって」


「いや、お前こそが本物の騎士だよ」


 騎士が本心から恐縮すると、ユラムは拾った小枝を焚き火の中に放り投げた。

 炭が爆ぜて、新入りを激しく歓迎する。


「騎士なんて奴ぁ、そのうち正義を忘れて名誉にしがみつくんだ。金の臭いがぷんぷんする書類上の栄光によ。けどお前は違う。善悪を常にはかっている。それがいいんだ。常に正解なんか選べない。選べるはずが無いんだ。選んだあとしばらく経って、あれは正解だったと思えればいいほうだ」


「そっか」


 セルゲイが素直に感心すると、ユラムは俯いたまま金の前髪を丁寧に耳にかけ直していた。

 その仕草と彼女の切れ長の目元に見蕩れてしまう。睫毛など、金の針のようだ。

 太陽のような金髪と、海の瞳。誰にも媚びることのない、凛とした佇まい。

 それがとてつもなく輝いて見えるのは、彼女が女であると知ったからだろうか。

 そしてこの既視感はなんだろう。わからない。とにかく瞳が吸い付いて離れない。

 よく見れば、日焼けした肌はぱんと弾けそうな若さを湛えている。

 いくつだろう。ぼんやりと考える。そういえば、年齢を聞いていない。自分と同じぐらいか。

 セルゲイが一心不乱に見つめていたユラムの、細い喉が低く掠れた。


「神様の気まぐれにいちいち付き合ってられない。けど、生かされているとは思う。あの日、オレとアンを出会わせてくれた。契約ができた。だからオレは今、こうして生きている」


「契約――?」


 耳慣れない言葉と、ぱん、という少し軽めの破裂音が同時に聞こえた。


「なんだ!」


 セルゲイが首を回し、女海賊たちが慌てて腰を浮かせた。

 騎士が水平線に目を凝らすよりも先に警告が飛ぶ。


「〈鯱〉だッ! 〈海豹女セルキィ〉号へ急げ!」


 確かに水平線の上にぽつんと、ごま粒ぐらいの黒い点が見えた。


「逃げるのか!」


 ユラムとセルゲイが噛みつきあう。


「馬鹿言ってんじゃねえ! 守るんだよ! アン、キール呼んでこい! 魔法でマストを治させる!」


「あいあいさ!」


 騒然としだした〈花の都〉カル・ナ・ブラーナの真ん中に、ユラムが〈海豹団シールズ〉を集めて指示を出した。

 女海賊たちの半分がその場から船に、もう半分は〈ビュロウ〉に向かった。

 厄介事が船に乗って間もなくやってくる。

 そして、上陸させてしまえば、サフィーラ島の悲劇が再び起こるだろう。

 あの時と同じく、平和なオパーラに彼らを招いたのは他ならぬ自分たちだとしか思えない。


「また、俺のせいか」


 セルゲイがだらりと落とした両腕を、突如現れた逆巻く風が包み込む。

 風の精霊が慰めてくれているのか。


「ヴィンドゥール。いるなら逆風であいつらを追い返してくれよ――」


「騎士よ」


 錯覚を覚えた瞬間、声がした。風の精霊か?


「僕が時間を稼ごう」


 セルゲイが見上げた先で竜が飛び、身体と同じ黄金の瞳を光らせていた。エウリッグだ。

 彼は巨躯にもかかわらず、ふわりと騎士の隣に降り立った。


「この〈ビュロウ〉は最後の砦。姉さんがある程度回復するまで、島ごと守らねば」


「違う。奴らの狙いはお前だ、エウリッグ。むざむざ死にに行く気か!」


 ドラゴンの顔色は窺えない。だが、少しの沈黙が彼の覚悟をありありと物語った。


「ならば、なおさら行かねばならない」


 セルゲイは、思わずエウリッグの身体に触れていた。

 そして、長い鼻先の根元にある、星のような瞳をまっすぐに見上げた。


「オーケー。なら、話がある」


***


 セルゲイは〈ビュロウ〉の入り口に仲間を集めて、〈鯱〉を迎え撃つための作戦を共有した。


「お、墜ちないか!」


 まるで自分のことのようにすくみあがったのは、グレイズだ。


「そんな、ドラゴンは馬ではないのだぞ、セルゲイ!」


「ご安心なさいませ、グレイズ様。セルゲイ様はなんでもお達者ですから、大丈夫ですわ」


 震える夫の隣で明るく言うのはマルティータだ。彼女の一歩後ろでイーリスも頷く。


「ええ。マルティータ様がおできになったのよ。騎士ならば余裕でしょうね」


 侍女の重圧的な物言いに、セルゲイは苦笑いを浮かべた。

 だが、彼女の両手が揉み合わされ、くちびるが震えているのに気づいて、少し嬉しくなった。

 彼女なりに心を寄せてくれているらしい。ひょっとして脈ありか?


「『王子近衛騎士セルゲイ・アルバトロス。ヴァニアス史上で初めての竜騎士』と。やっぱり紙が足りないよ!」


 と、嬉しそうに悲鳴を上げているのは、もちろんレイフだ。

 こんな時にまで未来に思いを馳せられる彼こそが、平和のよすがだとさえ思えてくる。


「じゃあレイフ、お前のゴーグル、借りるぜ」


「いいとも! でも返してくれよ。ロフケシアに帰ったら博物館に展示するんだから!」


 セルゲイは硝子と銅でできたゴーグルのベルトをぎゅっと引き締めた。

 出っ張った鼻の付け根の具合が悪いので、ちょうどいい角度を探す。


「それで、脱出は間に合いそうか?」


「もちろん! キールや魔法使いのみんなに頑張ってもらうよ。ねっ」


「うん。まかせて」


 レイフに話を振られて、キールヴェクはしっかりと一つだけ頷いた。

 杖をぎゅうっと握る彼のアクアマリンの瞳に、硬質な光が差し込んでいる。

 セルゲイが初めて見るそれは、きっと、彼の覚悟なのだろう。

 家族を守るという、父親の自覚が芽生えたのかもしれない。いいぜ、そういうの。


「アハハ!」


 一方でユラムは思い切り破顔し、からからと笑っていた。


「しかし、アルバトロスか!」


「鳥の名前で悪かったな」


 口を曲げるセルゲイに、彼女はコケティッシュなウインクを飛ばしてくれた。


「いや、いい。気に入った。お前は絶対に墜ちない! オレが保証する!」


「なんだよ、それ……」


 まだどこか腑に落ちないが、彼女の太鼓判はなぜか嬉しくてまんざらでもない。

 グレイズは思い詰めたような顔で、騎士の前に進み出た。


「セルゲイ。私は、ずっと不安だった。父上に逆らい、マルーを追いかけることが果たして正しいか、つい先ほどまで自信がなかった。ましてや勇気なんて。しかし――」


「そんな、今生の別れみたいに言うなって、グレイズ」


 グレイズの隣に新妻が寄り添う。素敵な二人だ。


「この笑顔を見るため、守るためにここまで来た。来られたのだと今は思う。私に正義を重ね、信じてついてきてくれた仲間を、お前を今度は私が信じる。セルゲイ、お前がいてくれたから、私は勇気を出せたのだ。だからお前も、お前の正しいと思うことを貫くんだ」


「まだ、何も終わってねえよ。礼はそのあとだ」


 王子と騎士は拳をぶつけあった。


***


 セルゲイはエウリッグにまたがり、ともに空へと飛び立った。

 風は当たるというより、押しつけられると言ったほうが正確で、呼吸をするのも難しい。

 しかも、馬のように重心がまっすぐに大地に落ちるわけでは無い。エウリッグが飛ぶ角度や高さを変えるごとにセルゲイの身体はあちこちへ引っ張られる。黄金の鱗は硝子よろしくつるつるとしているし、鞍もないので馬のように太股でしっかり挟み込んでも摩擦が起こらない。

 乗ってようやく、マルティータの勇気がどれほどだったかを思い知らされた。こりゃ、グレイズにもやらせたほうがいいな。殿しんがりを務める主君を思って、騎士はニヤリとした。竜の首に巻き付けたロープをぎゅっと握って〈鯱〉の旗を翻す海賊船〈海の神〉号ディア・ナ・ファーラジャ目掛けて飛ぶ。

 ものすごい勢いで近づいて、船首と平行になって飛ぶ。

 エウリッグが威嚇に歯を見せると、見張り台の海賊が腰を抜かしたのが見えた。


「〈鯱〉の男たちよ! 引き返せ! オパーラの〈ビュロウ〉は〈海豹〉が占拠した! 無駄な争いはよせ!」


 同じ台詞を何度か叫ぶが、船長のクリフォードは一向に顔を見せない。

 エウリッグの翼の先から生えているかぎ爪が、帆とロープをいくつか傷つけた。

 その衝撃で飛行の角度が少し変わり、エウリッグは水面すれすれまで落ちた。

 時折打ち寄せる高波を切っても、レイフのゴーグルのお陰で、水しぶきも平気だ。

 高きに低きに、自由に船の周りを飛ぶ黄金の竜を〈鯱団〉ミョルモルキラーズは及び腰で見つめるだけだったが、船長クリフォードの怒号が上がると、慌てて武器を取り直し、矢と鉄砲を竜へ放った。

 だが、何も怖くはない。揺れる船上から常に座標を自由自在に変えるドラゴンへ矢を当てるのは至難の業だ。運良く矢が掠ったとしても、エウリッグの身体は〈ウィスプ〉の塊で守られているのでほとんど傷はつかない。そうして避ける間にも、エウリッグの爪や足が海賊船の命とも言える帆やマストを痛めつけていく。

 こうしていれば、物語の恐ろしいドラゴンのように、口から焼け付く炎を吐き出さなくとも、ドラゴンが人間よりも丈夫で強い生物であると身をもってわからせることができるはずだ。

 これが、セルゲイの狙いの一つだった。賭けでもある。船乗りとして生きて帰りたければ、乗組員たちは船長命令よりも船を守らねばならない。諦めてくれよ。

 しかし、クリフォードの怒号は止まらない。

 ついに〈鯱〉の男たちは銛や槍を持ちだして、ドラゴンに向かって投げ出した。

 中型の海洋生物も射止める巨大な武器に、セルゲイはひるんだ。

 セルゲイの祈りは届かなかったようだ。


「もう、もたない!」


 ドラゴンの言葉がして、騎士はエウリッグの首に両腕を巻き付けて念じた。


「〈ビュロウ〉から離れすぎた。このままでは墜ちてしまう」


 出発するまえにマルティータから聞いた通り、本来は天界の生物である竜にとって、地上は生命力のマナを消耗しやすいというのは、本当のようだ。


「……わかった!」


 セルゲイが感謝の気持ちで頷くと、エウリッグは大きな鼻息を吐き散らかして、よろめきながら海賊船に尻を向けた。

 こうなれば、上陸に備えるほかない。


***


 レイフと魔法使いたちの支度が調っていることを祈って、セルゲイとエウリッグはオパーラ島に降り立った。海賊船〈海豹女セルキィ〉号のマストと帆は綺麗に直っていて、甲板にちらほらと人の姿が見える。セルゲイの到着を合図にして〈海豹女セルキィ〉号は波止場を離れた。


「クソ! 物わかりの悪い〈鯱〉どもだよ!」


 望遠鏡を覗き込んでいた航海士アンが悪態をついたのが風に聞こえた。

 グレイズやユラムに住民の避難を任せたはずなのに、〈花の都〉カル・ナ・ブラーナにはまだ人が残っていた。数人どころでは無い。

 セルゲイはたまらずエウリッグから飛び降りて、ゴーグルを首元へ下げると立ち尽くす老人の腕を掴んだ。


「爺さん! 何で逃げねえんだよ!」


「わしらは、旅の目的地――死に場所として〈花の都〉カル・ナ・ブラーナを選び、ここでその時を待っていた」


 彼のしなびた腕には、なにかの刺青の跡がぼんやりと残っている。


「神のために海に入るのも、海賊に殺されるのも、どちらも同じ死だ」


「じゃあ、なんでグウェンの子どもを喜んだんだよ! 助けてくれたんだよ! みんなで飯をうまそうに食ってんだよ! 爺さんの身体が、霊魂スィエルの器が生きたいって思ってんだろ! 勝手に死ぬなんて許さねえ!」


 セルゲイは、自分でも驚くほど哮った。荒らげた息がどこか清々しくもある。

 しかし、初対面の相手に言い過ぎたのも事実だ。

 騎士は老人を突き放し、〈鯱団〉ミョルモルキラーズが上陸するまで〈花の都〉カル・ナ・ブラーナに残っていた住人に声をかけてまわった。

 その途中、戻ってきたレイフに彼らを任せるとセルゲイは再びエウリッグの背にまたがった。


「何度も悪いな、ユーリ」


 くるる、とドラゴンの太い喉から愛らしい声が聞こえた。


「それは僕のことか?」


「ああ。呼びにくくてな! いいだろ!」


「懐かしいな。昔、姉さんがそう呼んでくれていた」


 セルゲイが明るく吠えると、エウリッグも天に向かって高らかに鳴いた。


「では僕も呼びやすくさせてもらうよ、セルジュ」


***


 武器を手にした海賊たちはすぐに上陸した。

 相も変わらず飛ばされる矢と銛とをひらひらかわしながら、竜と騎士は人気の無いほうへと誘導した。そうしているうちに、ある者は躓き、ある者は穴へ落ち、蔓でできた網につるし上げられるなど、空ばかり見ていた海賊たちは続々と罠にかかった。

 セルゲイはそれを空から気分よく見下ろした。

 遍歴学生レイフの調査で明らかにされた地形や植物、キールヴェクの土の力を利用して、あらかじめ罠を仕掛けておいたのだ。


「船長はリーダーだが王様じゃない。だから、乗組員は船長に忠誠を誓わないのさ」


 と、ユラムが教えてくれた通りならば、たとえ〈鯱団〉ミョルモルキラーズといえどもクリフォードのために命は張らないはずだ。〈金の林檎ウーラ・オルガ〉亭で筋肉男がグレイズたちを深追いしなかったのも頷ける。

 彼らが欲しいのはドラゴンの首かもしれないが、それと引き換えに死ぬつもりはないだろう。

 何かしらの理由をつけてドラゴンを追えなくすれば、野心の塊であるクリフォードだけが、こちらへ向かってくるはずだ。

 宝物は、命あっての物種。セルゲイもユラムと同じ意見だ。

 続々と頭数を減らす〈鯱団〉ミョルモルキラーズを置いて、セルゲイとエウリッグはすり鉢状の山の中央に降り立った。妙に頂点の低い山は、過去の火山噴火で削られたものらしい。

 そのカルデラと呼ばれる窪地の真ん中には小さな池が、その淵にはユラムが待ち受けていた。

 彼女は頭目争いのけじめをつける為にここに残った。


「いよいよだな」


 ユラムはこぼれていた金色の髪を耳にかけ直した。


「ああ」


 セルゲイはエウリッグから飛び降りた。


「見届けてくれ、セルゲイ」


「いいぜ。くそ野郎をぶっ飛ばした証人になれるなんて光栄だ。な、ユーリ」


「セルジュの言う通り。僕も生きたまま君のトロフィーになりたいからね、ユラム」


「じゃあ、今度はオレを乗せてくれよな」


「喜んで」

 二人と一頭が肩をすくめあっていると、ふいに日が陰り、青空が濁った。

 流れる雲の足元を見ると、男が二人、こちらに向かってくるところだった。

 二人? セルゲイが顔を歪め訝しんでいるうちに、池を挟んだ向こう側で〈鯱〉の男たちが立ち止まった。

 クリフォードの四角い額の上で、芋虫のようなぼうぼうの太い眉が動く。

 会うのは二度目だが、その顔はよく覚えていた。もちろん、あの金属製の偽足もだ。

 しかし、クリフォードの隣にいる身なりのよい男は、誰だかわからない。

 仮面をつけていて顔立ちも不明、そして彼もまた片足が義足であった。

 と、クリフォードが剣で肩を叩きながら、前に出た。


「ドラゴンを料理するにゃ、ちょうどいい台所だな、ユラム。料理上手、良妻賢母の器だぜ」


「オレは誰の嫁にもならねえよ。下ごしらえされるのはお前だ、クリフォード」


 仮面の男は黙っている。

 だが、セルゲイとエウリッグの挑発と罠に引っかからずここまで来たところを見ると、他の〈鯱〉とは違うらしい。


「俺ぁな、さっきまで迷ってたんだ。ドラゴンなんかほっぽって、こいつをヴィルコに見せちまおうかって」


 そう言いながら、クリフォードは背負っていた大剣を引き抜いた。

 その剣は鞘に収まっているのに黒々とした目に見える瘴気を放っている。


「あれは父上の牙! どうりで僕の〈ビュロウ〉に無いと思ったんだ……!」


 エウリッグの焦る声が心に伝わってくる。

 クリフォードからも、その見るからに重たそうな剣からも離れているはずなのに、セルゲイは何か嫌な臭いを嗅ぎ取った。残飯の山とも便器とも違う、しかし不浄な匂いだ。

 セルゲイの隣でもユラムが顔をしかめている。


「闇の魔剣ドラハダシアか!」


「そうだ! でも決めた。魔剣でこの海をいただき、ドラゴンの霊薬で金を稼ぐ……どっちのお宝も俺がいただくぜェ!」


 クリフォードは魔剣を思い切り引き抜いた。

 その瞬間、剣から滲んでいた闇が海賊を包み込み、種のように一点に固まりながら闇を広げはじめた。まるでそこから夜が生まれているようだ。

 闇は雷雲まで呼び出し、厚い雲はやがて青空の全てを覆い尽くした。

 真っ黒な雲の固まりから、霧が晴れるようにして現れたのは、肉を腐らせた鳥のような化け物だった。翼はあれどもひどく折れ曲がっている。死せる竜が墓場から蘇ったような佇まいだ。


「マジかよ……!」


「ハハハ!」


 騎士が強大な魔法の力に立ち尽くしていると、からからと明るい笑い声が弾けた。

 仮面の男だ。癖のないブロンズの髪が、闇の風にゆらゆらと揺蕩っている。


「人生で一度きりのショーだ! 楽しもう、セルゲイ!」


「貴様! なぜ俺の名を!」


 彼もクリフォードよろしく、ひょこひょことぎこちない歩き方をしている。

 だが、彼がかばっているのは右足だった。

 セルゲイの心臓が、ぎゅっと縮こまる。誰かに掴まれたみたいに息ができない。


「片脚の男に気をつけよ」


 場違いなほど静かな神子姫の声が、セルゲイの耳元に蘇る。


「違う、片脚の男は、クリフォード……」


 セルゲイはかたかたと首を震わせた。


「デ・リキアって男だ」


 キールヴェクが神子姫に続く。セルゲイが知る限り、デ・リキアの名を持つ男は二人いた。

 先程までは、アルケーオのほうを犯人だと思っていた。そう信じたかっただけかもしれない。


「嘘だ、嘘だって!」


「現実だよ、セルゲイ」


 仮面の男は、聞き慣れた朗らかな声で言う。


「僕の目が見えないのも、右足が使い物にならないのも」


 立ちこめた暗雲から、ざあ、と静かな雨がセルゲイたちに降り注ぐ。


「小心者の王子の悲劇を『ルスランとリュドミラ』をなぞって演出したのも。小汚い魔術師に二重スパイをさせてドラゴンを狙っていたのも、僕だ。全て現実さ」


 濡れそぼった男の仮面がつるりと落ちた。彼は仮面の下に眼帯を付けていた。


「受け止めたまえよ」


 そこによく知った顔が現れた。海色の瞳の彼は、ブロンズの髪を優雅にかきあげた。

 彼の服が張り付いた足、その片方がやけに痩せ細っている。つまり義足だ。

 二歳年上の同期、去りし日々に共に研鑽を積んだ友人。未来ある従騎士の一人だった男。

 この世にたった一人の、親友。


「フェネト……!」


 降りしきる雨の中、フェネト・マロウ・デ・リキアはセルゲイに切っ先を向けた。


「ああ。お前の相手は僕だ、セルゲイ!」

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