第三章 勇気、凜々として
1、〈花の都〉へ
〈
たどり着いたアンプラ=ペロ島のエウリッグの〈ビュロウ〉には、まだ財宝が残されていたからだ。そこでしばらくグウィネヴィアを休ませることができたし、マルティータは念願の宝の山に出会った。おびただしい量の金銀財宝が無造作に積まれているのは、まるで夢のようだった。そのどれもが、光の差さぬ洞窟の奥、遺跡の中で自ら輝きを放っている。
一目見れば全てを手に入れたくなるような気がしていたのに、いざその輝きを目の当たりにすると、黄金の光を一身に浴びて微睡みたくなった。
「温かい。お日様みたいね」
と、気づけば言ってしまっていたのを、竜の姫が大きな腹を撫でながら笑った。
「そうなのよ」
二人の姫君はくすくす笑いあった。
そしてマルティータはグウィネヴィアに、グウィネヴィアはマルティータにそれぞれ似合いそうな首飾りを選んでは、首にかけて遊んだ。
それは、幼い子どもが花輪を作って掛け合うのにそっくりだった。
まるで、昔からこうしてきたような気がするから、不思議だ。
その傍で本来の姿に戻ったエウリッグが、微笑みながら微睡んでいた。
***
翌日、異変はあった。
「いけない」
エウリッグが縦長の瞳孔をぎらりと開き、みじろぎをした。
それと同時に、なぜだかマルティータの肌も粟立った。
それは、明確な悪意を向けられた時に感じるぞわりとした悪寒に、とてもよく似ていた。
さらに少女は〈ビュロウ〉を目指す無数の人間たちの浅ましい思いを直感的に感じた。
足音はまだ聞こえない。耳の奥でちりちりとくすぶるそれにマルティータの首筋がこわばる。
「何かしら、この嫌な声は」
土を乱暴に踏むざわめきに、怒りや焦燥感に任せて振り下ろされる踵の想像がつく。
「海賊だ。あまり耳を傾けるんじゃない。心が濁る」
孵化した小鳥が卵へ戻るように、エウリッグは翼でその身を包むと、光と共に小さくなり、人間の少年に姿を変えた。
「ここも無事とはいかなかったか」
言葉にしがたい感覚に身体を震わせていたのは、ドラゴンの姉弟も同じだったらしい。
一同は名残惜しみながら、手早く逃げる支度を調えた。
マルティータはグウィネヴィアのために、宝の山の中からほんの小さな宝箱を探し出して、その中に指輪や首飾りをひとつかみ入れると、彼女の鞄の中にねじ込んだ。
ブーツの靴紐をきっちり結び立ち上がったはいいものの、ブランカス遺跡の道は一本きりだということを思い出した。まっすぐに引き返せば海賊たちと鉢合わせるだろう。
「どうしよう、見つかってしまうわ!」
逃げ道がすでに失われていたことに気づいて、マルティータはパニックに陥りそうになった。
「大丈夫よ。闇のマナを利用するの」
その少女の肩に、温かい手のひらが乗せられた。グウェンだ。
「そんな、わからないわ」
「だだをこねるのはやめにして、練習してみましょうよ」
諭すように言われたが、マルティータはわがままを言ったつもりは毛頭ない。
なぜなら自分には魔法を操る〈ギフト〉など備わっていないのだ。
いや、光と闇の力があると友だちは教えてくれたけれど、それがなにか掴めてすらいない。
それも相まって、むすっとしてしまうと、グウィネヴィアは瞳をひらめかせた。
きらりと輝いたのが信頼の光だと、マルティータにはわかった。
「目に見えているのは光、目に見えないのは闇。だから、闇を身体に巻き付ければいいの」
マルティータが焦りと不可解にくちびるを突き出しても友人は根気よく説明してくれた。
「つまり、ええと、夜に手を見ても、暗くて見えていない。あのときの感覚かしら」
少女は曖昧なイメージを手で掴むつもりで繰り返した。
真昼の空に星が輝いても、昼を支配している光のマナに負けてしまう。
反対に、闇夜の中で井戸を覗けば、そこは闇のマナに満ちていて何も見えない。
黒いもの、黒いもの。
マルティータが必死になって思ったのは、恋人の髪だった。
日に透けず、夜空に溶ける、漆黒の髪。愛しい人の色。
「その調子」
ぎゅっと目をつむって意識を集中させていると、グウェンの声があった。
「近いわ」
竜の姫が真剣に頷いている。なぜか、見ずともわかる。
「生き物は、その量に差はあれど、生きているだけで
「夜を纏うの。マントのように」
姉弟が親身になって教えてくれた通りにすれば、遺跡に満ちている闇のマナに紛れ込めて、海賊たちには見えなくなるのだという。
うまくいかなかったら? と反論する時間はあまり残されていなかった。
泥に足を汚した海賊たちが〈ビュロウ〉に間もなく到着するだろう。
マルティータも肌感覚で察知していた。
「……やってみるわ」
夜の気分、もの寂しい気持ち、夢に隣り合い黒く染まる身体。
ベッドに入って蝋燭を吹き消したあとのあの穏やかな気持ちを強く念じながらマルティータたちは〈ビュロウ〉から出た。
両手を友人たちがそれぞれ握ってくれている。人間よりも優れた能力を持つドラゴンの姉弟のことだ。仮にマルティータが失敗していたとしても、うまくカバーしてくれるだろう。
そう信じて、恐怖に震える胸を張った。
ランタンの明かりが下卑た笑い声と共に近づいてくる。
ひょこひょこと奇妙に揺れる人間の影もある。
いよいよだわ。
少女は深呼吸をして瞳を閉じ、静かな夜を身に纏った。
わたくしの髪は天蓋のカーテン。瞳は銀の月。吐息は夜風。
慎重に歩く三人と、片脚の男率いる海賊たちがすれ違う。
誰も三人には気づかず、石の燭台にランプをともしたり、何かをくちゃくちゃとかじったりしながら洞窟へ向かっている。
永遠のように長い時間が過ぎて、ようやく列が途切れると思ったその時だった。
「デ……!」
マルティータは息を飲んだ。その口をエウリッグが咄嗟に塞ぐ。
その時、最後尾にいた男が振り向いた。
彼は少女の喉が鳴った微かな音さえも聴きとめたらしい。
焦りと恐ろしさにマルティータが固まると、身なりのよい男は首をひねってから去った。
髪や髭、身体も清潔で香水を振りかけている赤毛の男は、いかにも貴族然としていて、海賊たちとは異質な取り合わせだ。彼の上等な着物の下にも海賊たちと同じ刺青があるのだろうか。
どうして。王太子妃の手がまだ震えている。あの方がペローラに? 一体どうやって?
深まる謎を追いかける余裕はない。いつもそうだ。
とにかく、危険を伝えねばならない。洞窟から出たマルティータは急ぎ〈ウィスプ〉――愛する人と同じ異名を持つドラゴンの鱗をぎゅっと握りしめ、声をかけた。
「グレイズ様。アンプラ=ペロの〈ビュロウ〉はすでに失われてしまいました。海賊に鉢合わせぬよう、オパーラでお会いしましょう。わたくしたちは先に参ります」
***
満月が頭上に昇り〈
彼と飛ぶときずっとそうしてきたように、彼の二本の角にバスタブの繋がった太いロープをしっかりと結びつけ、マルティータとグウィネヴィアはそこに乗り込んだ。
少し当たりの強い風によろめきながら飛ぶのを、マルティータは心配するしかできなかった。
彼も彼で、栄養が足りないに違いない。以前聞いた、そしてマルティータの想像した通りならば、エウリッグには闇のマナが必要なのだろう。
黄金で無ければ、それは何から得られるのだろうか。
少女は揺れるバスタブの中で、毛布ごとグウェンを抱きしめながらずっと考えていた。
晴れた星空を滑空するほうが力を消耗せずに済むのだろうか。
すると突然、靄に包まれた。気温もぐっと下がったようで、とても寒い。
バスタブに固く冷たい物が当たって音がする。おそらく雹だ。
マルティータはグウェンごとバスタブの中に倒れこんだ。
母なる海よ、父なる大地よ、精霊たちよ。
わたくしたちに、そしてグレイズ様に、困難を乗り越える力と勇気をお与えください。
少女は口を固く引き結んだまま、強く思った。
***
それから、どれぐらい経ったかわからない。
とても愛らしい幼子の夢を見た気がする。
彼女の声は子どもらしいあどけなさに澄んでいて、瞳はルビーの色。
黎明と黄昏の世界で、炎の娘、手足のある鳥、水の髪もつ娘や小人など、不思議な友だちと遊ぶ彼女が、マルティータを見た。
彼女の髪もまた、移ろう黄昏の空と同じ、魔法めいた鮮やかな色をしていた。
子どもの手には、赤毛のプリンセスの人形が大切そうに握られていた。
「このこのね、髪を切るの」
***
マルティータは、はっと瞳を見開いた。
浅い呼吸しかできないので、まだ空の上だとわかる。
グウェンの鞄に手を突っ込み、さきほど手に入れた宝箱を開ける。
「あった!」
少女は黄金のはさみを手にし、自身の二つのお下げを耳の下で切り落とした。
それから、その長い二房を掲げて立ち上がった。
そうするとちょうど、ドラゴンの顎の下に頭が当たった。
「エウリッグ! 髪は女の命! わたくしの命のかけらをあなたに差し上げます!」
飛行の轟音の中、マルティータの叫びは、音としては聞こえていなかっただろう。
しかし二人の強い思いは共鳴すると、少女はよくわかっていた。
ドラゴンは口で息をするように顎を下げた。
そこに入れればいいのね。
マルティータは、食べられないとはわかっていながらもおそるおそる手を伸ばした。
尖った歯の隙間から巨大な舌の下に髪の房を押し込む。
少女がバスタブの中に再び座るのと、エウリッグが顎を閉じるのはほとんど同時だった。
ごくりと、とても低い音でドラゴンの喉が鳴った時、彼の四肢がピンと伸びた。
鱗の金も光を放つ。翼までもがカーテンのようにまばゆく真っ白に輝いた。
エウリッグがあちこちにばらまいた光は、雲を払い、晴れ間を呼んだ。
マルティータは巨大な魔法を目の当たりにしてぞくぞくした。
深い青――愛する人の瞳と同じ紺瑠璃の海の真ん中に、ぽつりと白い島が見えた。
さきほどまではまるで見えなかった。魔法の雲そのものに隠されていたようにも思える。
「オパーラよ!」
身体を起こしたグウェンが、隣で指をさす。
「わたし、戻ってきたんだわ」
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