7,卑劣なる〈鯱〉
セルゲイたちは、〈
この島の街コロアも、エスメラルダ島のブロシャデイラよりも規模が大きく、開放感がある。建物はペローラの他の島々と同じく色とりどりで、しかしどこか都会的だった。行き交う人々の装いも洗練されているように見える。栄えた光景にセルゲイの地元であるヴァニアスの港町セウラが重なる。そういや親父たち元気かな。
アンプラ=ペロの波止場には、確かに鯱の旗を翻すガレオン船が停泊してあった。
話に聞いた
それを後目に、地味な色のマントを頭から被ったグレイズ一行は進んだ。
警戒にひりつきながら歩いていると、魔術師がひらりと躍り出た。
「おいら、様子を見てくるよ」
「キール、お前また勝手に!」
声を荒らげたセルゲイから逃げるようにして、魔術師は雑踏に紛れ込んでしまった。
「なんなのアイツ」
「あれこそ、『魔法使いは嘘使い』と言う、ことわざそのものですわね」
揃って腕組みをするアンとイーリスの腕を、パンメルが掴む。
「あたいらは裏通りを行くよ。ブランカス遺跡にはそっちの方が近い」
***
よく眠りよく笑う赤子を背負ったパンメルを先頭にして、一行は遺跡に急いだ。
セルゲイは、隣り合ったパンメルをちらりと窺った。
日に赤く煌めくブロンズの髪、夜空の裳裾のような深い青の瞳。
ふうわりとした柔らかそうな頬に、十代特有のあどけなさも滲んでいる。同い年だろう。
マリとパンメル、名前も少し似ているではないか。
意識すればするほど、そんな気がしてくる。きっと。いや、絶対そうだ。
この機を逃せば、いつ尋ねられるかわからない。騎士は思い切って口を開いた。
「な、なあ、パンメル」
「なにさ?」
怪訝そうな様子にひるんでいる暇はない。
「フェネト、って名前に、聞き覚えはないか?」
「ないね」
想像以上にさらりと答えられてしまって、セルゲイは肩透かしを食らった。
「ふ、ふうん。家族とか、兄弟とかは?」
「いないよ。でも家族になりたい人がいる」
あっけらかんとした答えが嘘には聞こえなくて、セルゲイはついに黙りこくった。
***
人目につかぬよう街を出ると、鬱蒼とした森が彼らを迎えた。
ペローラ諸島全域に言えることだが、森はどこか湿っぽい空気に満ちていて、むうっとした緑の重たい匂いそのものに包まれる感じがする。ヴァニアスにあるどの森とも違う匂いだ。
セルゲイは、つんとしていて清涼、爽やかなのが森の香りだとばかり思っていた。
そして、やたらと羽虫の類いが多い。木の下では小さな虫が雲のように集まっているし、何か針を持っていそうな大きな虫が、興味を持ってこちらに突然飛んでくる。それらが顔や肌に張り付くむず痒さも不快だった。セルゲイは呪詛をいくつも飛ばしながら、一方のグレイズやイーリスは、短い悲鳴を上げながら虫を払っていた。
それを見た海賊たちは肩をすくめて、口を揃えて静かに、と注意するのだった。
ぶうん、と耳元で羽音を鳴らした虫を払った拍子にレイフのほうを見ると、彼は器用に羽の付け根をつまんで虫を捕まえていた。虹色に光る眼球らしき物がついている身体が長い虫だ。信じられないことに、ともすれば口に入れてしまいそうなほど、顔に近づけて観察している。遍歴学生の異質さはこれまでも目撃してきたし枚挙に暇が無いが、これにはさすがに驚いた。
森に――主に昆虫たちに――一進一退しているうちに、突如として白い柱が見えてきた。
濁った話し声が聞こえて、男たちが姿を現した。
「
ユラムが鼻と口を覆っているバンダナの中から短く言って、身を低くした。
セルゲイたちも彼に倣う。草木の先っぽに頬や首元をくすぐられるが、声は押し殺した。
そして、背後で動いた気配に敏感に反応した。
「グレイズ」
騎士が腕で制すると、王子はむっとした顔で浮かせていた腰を下ろし、剣を鞘に収めた。
「中にマルーがいたらどうするんだ」
「無謀と勇敢は違うって、イーリス殿に言われたろうが」
と、セルゲイが言った傍から、侍女も屈んだ。同時に、ふふ、と可憐な笑い声が降る。
「嫌だわ、わたしったら」
「しっ!」
アンの短い叱責に、一同は口をつぐむ。
すると、遺跡の中からぞろぞろと男たちが出てきた。
彼らの歩みはのろい。なぜなら、両腕に宝物をたくさん抱えていたからだ。
まるで働き蟻だな。と、セルゲイはこっそり思いながら、口を開いた。
「いいのか、ユラム?」
「何が?」
「お宝、持って行かれちまったぞ」
「くれてやるさ」
中を覗き込むと、静けさに満ちている。
石を削り出した古い燭台には皿とロープのランプがつけっぱなしだ。
踵の音がやけに響く遺跡を、警戒しながら進む。しかし人や生き物の気配は無い。
ただ、ゆらゆらと光るランプに導かれるようにして、セルゲイたちは遺跡を進んだ。
最終的には盗掘のお陰か、道に迷うこと無く最奥にたどり着いた。
白亜の石が積まれた石作りの壁が途切れたそこには、埃っぽい洞穴が広がっていた。
そして、金銀財宝の類いは全てなくなっていて、代わりに人が一人倒れていた。
「キール!」
セルゲイが見たところ、魔術師はひとしきり乱暴されたあとだった。
「お前、なんでこんなところに――!」
「待ってたぜえ」
セルゲイが駆け寄ろうとすると、がらがらした低い男の声が洞窟いっぱいに響いた。
「クリフォード……!」
真っ先に海賊の居場所を突き止めたのは、やはり海賊だった。
ユラムは口元のバンダナを首元へ下ろすと、洞窟の暗がりへ曲がった剣を引き抜き切っ先を向けた。
するとそこから、重心が傾いた男の影がゆっくりぴょこぴょこと歩み出てきた。
剥きだしで浅黒い日焼けした腕には見たことがある刺青――剣と錨が重なる鯱の刺青がこれ見よがしに入れられていた。肩の付け根から鉄の腕輪巻き付いた手首にまで何頭もの鯱が泳いでいる。彼の左足、その膝のすぐ下には、脛の代わりに太い金属の棒が刺さっていた。
「片脚の、男……!」
セルゲイは、気がつけば歯を強く噛みしめていた。
神子姫ミゼリア・ミュデリアが警告したのは彼に間違いない。
クリフォード――片脚の海賊男は鼻で笑った。
「やりあおうってなら、いいぜ。エスメラルダじゃ、子分を可愛がってくれたらしいからな。一緒に運動してやるよ。泣かせてやるぜ。今にするか、それとも夜にするか?」
「ふざけるな!」
ユラムが荒々しく吠えるのをクリフォードは虫をはねのけるように軽く片手であしらう。
そして彼は健常な人と同じぐらいの歩く速さで倒れるキールの前に立ちはだかった。
その両手からは腕輪と鎖で繋がっている曲刀がそれぞれに垂れ落ちている。
「こいつの命が惜しけりゃドラゴンの鱗をよこせ、王子様」
クリフォードが髪と同じアーモンド色の瞳を歪めて顎をしゃくった相手は、なんとグレイズだった。
「お前なんで、鱗とグレイズを知ってるんだよ!」
そう、セルゲイと同じことを仲間たちも思っているに違いない。
これはエスメラルダの〈
「おっと。そこの学生、あとネエちゃん。飛び道具は捨てな」
ごそごそと動いているレイフを牽制した。
遍歴学生は小さく肩をすくめて、拳銃を足元に置いた。だが、侍女は従わない。
「イーリス殿」
「魔法使いですよ。嘘をついているかも」
ヴァニアス王国には古くから〈ギフト〉持ちを詐称する人が絶えないことから「魔法使いは嘘使い」という差別的な慣用句があった。
グレイズはほんのわずかに首を振った。
「頼む」
グレイズが短く命令してようやく、彼女はしぶしぶベルトをはずし、円月輪を壁のほうへ投げ捨てた。
「他の長物はいいや。ガキが力で俺にかないっこねえからな」
片脚の海賊はそう豪語すると、分厚い手のひらをグレイズに差し出した。
「なあ、王子様よ。そこのひよっこユラムから俺に鞍替えしな」
「グレイズ! ダメだ! 罠だ!」
「我が君、いけません!」
セルゲイがイーリスと同時に王子を見る。
彼は背筋を天へ、くちびるを真一文字にきりりと引き締めていた。
そしてそのまま、ちらりと騎士を見た。
その冷たく静かな表情に、セルゲイはぞくりとした。
普段の彼の瞳が麗らかな春の青空だとするならば、今は凍み付いた冬の空のようだ。
それに気づいたのはおそらくセルゲイだけだ。火の粉が降るように騎士の肌がちかちかする。
ラ・ウィーマ村が襲われた時――あの時もグレイズの瞳が燃えていた。
彼の怒りの炎は赤でなく、より高温である青で燃え上がる。
「返事はねえのか、ああ?」
グレイズが黙ったままなのに耐えきれなかったらしい。クリフォードが続ける。
「ほら。喜べよ。〈海豹〉にできないことをやってやろうってんだ。俺たち〈鯱〉が嫁さんをさらった憎きドラゴンをぶっ殺してやる。お宝は山分けでお姫様も無事。最高の『めでたし、めでたし』ってやつをくれてやるよ」
「ほう」
グレイズのハイバリトンが胸にほど近いところで短く鳴った。
低く、冷ややかな初めて聴く声に背筋が凍りそうで、セルゲイは思わず息を詰めた。
「クリフォード。お前はドラゴンに出会ったことはあるか?」
「あるわけないだろ」
冷笑する海賊に、グレイズは顎をしゃくり上げた。
「私は一太刀浴びせた」
「けど殺せなかった――」
「ああ。だからこそ、相手の強さを知っている。だがお前は刃を向けるどころか出会ってすらもいないのに勝てると、なぜそう言えるのだ?」
グレイズはゆっくりとクリフォードに向かって歩み出した。
「そりゃあ、俺たちゃ勇気ある海賊だからな。それに、強い。絶対に負けることは無い」
「素晴らしい自信だ。羨ましいよ」
グレイズは一呼吸置いた。
「しかし、それは本当に自信なのか? 本物の勇気なのか?」
「あん?」
グレイズの足が止まる。
「他者の命を弄ぶことを勇気と呼ぶのか、と問うている」
「訳わかんねえこと言ってんじゃねえ。いいから俺の手下になれ。聞いてンのは俺だ」
王子から期待した答えがすぐ出てこないのに、クリフォードが見るからに苛立っている。
セルゲイはじりじりと靴底を摺り、気づかれないようグレイズを追っていた。
ちらとイーリスと目が合う。
彼女もまた、王子が注意を引いてくれているのを、うまく利用している一人だった。
グレイズは、いつもの猫背が嘘のように凜然としている。
「私はドラゴンが恐ろしかったよ。遠くから見て、真っ向から対峙して、とてもかなうわけがないと思った。目と鼻の先に突きつけられた鼻先、そこにある牙の並ぶ口にひとのみされれば命は無いと」
カカ、とクリフォードがせせら笑う。
「お前、棒無しじゃねえのか?」
「そうだな。私の
それを、グレイズは小首を傾げて受け止めた。
「騎士の十戒を知っているか?」
「ハァ?」
「優れた技術を持て、勇気をもって弱者を救え。いつも正直に高潔たれ、誠実であれ。慈悲深く寛大であれ、信念を持て。常に礼儀正しく、無私にして崇高な行いに身を投じよ」
グレイズはまるで、あらかじめ演説を用意していたかのように流暢に語る。
「私も騎士の一人だ。常にそうありたいと思っている。反対に、過信や他人の命を弄ぶ暴力は大嫌いだ。許せない」
そして唐突に、グレイズは一際声音を明るくした。
「つまりクリフォード、君のことが気に食わない。謹んでお断りする!」
「てめえ……!」
グレイズの明朗な宣言に、クリフォードは顔を真っ赤にした。
「こっちが黙って聞いてやってりゃよォ、偉そうに!」
そして両腕を跳ね上げて二本の剣を宙に浮かせて握り、グレイズの喉元めがけて突進した。
「オラ! 死ね!」
間に合うか! セルゲイも同時に駆けだした。
あと一歩の距離が足りない。あるいは足がほんの一フィート短いせいだろう。
主君の前まではたどり着けそうもない。
時間が引き延ばされたかのように、相手の動きがゆっくり、かつ明瞭に見えているのに。
これまでか。
諦めの気持ちが生まれかけた時、硬質な金属音が洞窟内に散らかった。
グレイズの目の前に、クリフォードがいる。
王子は自身の剣で海賊を受け止めていた。彼の懐を守ったのは彼自身の長剣と技術だった。
グレイズは、右手は柄を逆手に、左手は剣身をそれぞれ握りしめている。
それはセルゲイがもっとも得意とする、〈殺撃〉を受け止める防御の型そのものだった。
「来いッ!」
グレイズは折りたたんでいた両肘を思い切り伸ばしてクリフォードをはねのけながら叫んだ。
セルゲイを呼んでいる。直感的にわかった。
騎士は、グレイズが海賊との間に作ったわずかな隙間に身体を滑り込ませた。
左腕で盾を突き出し、右腕の長剣でクリフォードの左手の曲刀を巻き取り、手から落とす。
そしてユラムが、がら空きになった男海賊の首元に長剣をぴたりと当てた。
「チェック」
三人の剣士に睨まれたクリフォードの背後ではイーリスとアンが動乱に乗じてキールヴェクを助けていた。
完全に逆転だ。
グレイズは早々に剣を納めて魔術師に駆け寄り心配している。いつもの王子だ。
「独りじゃなくて、あの筋肉だるまでもいたら、互角だったんじゃねえの?」
セルゲイが皮肉に口を曲げると、クリフォードもだるそうに口を開いた。
「誰が独りだって?」
「うわっ!」
それと同時に、グレイズが尻餅をついていた。女たちもなぜかその場で立ち止まっている。
「どうした!」
セルゲイが一瞬気を取られた隙に、クリフォードは腕輪でユラムの剣を滑らせて退いた。
なぜか上げられなくなった足を見ると、大地から伸びてきた蔓がセルゲイの足に巻き付いていた。ユラムたちも同様らしい。犯人は自明だ。
「キール、お前!」
裏切った魔術師キールヴェクはグレイズの胸元から〈ウィスプ〉を奪うと、〈鯱〉の頭目に駆け寄った。
「これが金の〈ウィスプ〉です! これでドラゴンを――」
「おう、よくやった」
クリフォードは差し出されたペンダントをキールヴェクの手からもぎ取ると、彼を足蹴にして高笑いした。
「あんがとな、王子様。ドラゴンの首も、血も骨も全部煎じて霊薬にして売ってやるから楽しみにしとけよ。この〈ウィスプ〉も高く売れるだろうな。ああ、それから――」
片脚の男はひょこひょこと歩きながら、洞窟の出口に行くと、振り向いた。
「嫁さん、可愛いんだってな? 気に入ったら、もらってやるよ」
「クリフォード! 貴様ッ!」
グレイズが吠える。
怒りに顔を歪めて立ち上がろうともがく彼もまた、蔓に絡め取られていた。
その蔦を魔法で生み出したキールヴェクは、地べたに這いつくばりながらも追い縋っている。
「なあ、おいらをグウェンのところに、連れて行ってくれるって……」
クリフォードは王子と魔術師を無視して、美青年に眉を傾けた。
「ユラム、いい加減男の真似はよせ。そもそも、てめえら女たちが徒党を組んだところで男にかないっこねえんだ。諦めな。海豹は鯱に食い荒らされるのがおちなんだ。海賊の掟を知ってるだろ。男しか団長になれない。お前にゃ最初から資格がねえんだよ。あがくな、女風情が」
そして片足の男はひょこひょこと去っていった。
誰も、クリフォードを追う者はいなかった。
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