5、光と闇の姫君

 マルティータはエウリッグ姉弟と共にトルパツィオ島、エスメラルダ島と、彼のかつての〈ビュロウ〉を訪ねて回ったが、いずれも何者かに荒らされたあとで収穫はなかった。

 深い森の中にある長老とも呼べる大樹の洞に潜ったり、波の入り込む海の洞窟の影に仕掛けがあったりと、伝説の記された本よりも何倍もわくわくするような冒険がそこにはあった。

 旅装束の用意などないから、うさぎの巣穴のような洞窟の滑り台には躊躇したが、グウィネヴィアがかけてくれた魔法で保護してもらったので、ドレスは綺麗なままだ。

 エウリッグ――実際の年齢はヴァニアス王国を越えると言う少年は、小さく感心していた。


「ここまで〈ビュロウ〉が空っぽだなんて。僕の物語はとっくに風化した頃合いなのだが、誰かが勉強したらしい」


 三人は次なる目的地アンプラ=ペロ島まで船を使うことにした。

 元々、ペローラ諸島の往来にビザは必要なかったし、三人は見た目の年齢が近いので親戚だとひとこと言えばそれで乗船許可は済まされた。

 ペローラ諸島をぐるりと一周する定期船にダブルローズ金貨二枚で乗船する。

 妊婦がいたので個室は簡単にとれた。

 客室キャビンに入ったマルティータは、グウェンがハンモックに横たわるのを手伝ってやると、旅先で買った小さなトランクを椅子代わりに腰掛けた。


「残念でしたわね。貯めていた宝物がたくさんあったのでしょう?」


 ふいに頬をくすぐってきたのは、己の巻き毛だ。いつも視界の端で赤々とぎらつく。

 それはエウリッグの瞳も同じだった。


「仕方があるまい。人の世に放置しておいたのだから、人の物になったのだろう」


 と、言うものの、エウリッグ少年は見るからにがっかりしていて、マルティータもなんだか気落ちした。

 公女自身は欲深い人間ではないけれどこの世の金銀財宝が溢れるさまはぜひ見てみたかった。

 ほの暗く湿った洞窟の奥底で、自ら輝く黄金の宝の山を、さも柔らかなベッドであると言わんばかりに支配するドラゴン。あるいは、それらを屋根にして、もう一つの巣穴にして身体を丸めるドラゴン。いずれも物語のイメージとして普遍的だ。しかもそれが実在するのだという。

 黄金竜エウリッグの存在がそれを証明している。

 きっとドラゴンのお眼鏡にかなうようなマナに満ちた素晴らしい宝物ばかりに違いない。


「黄金に囲まれて住まうのは、どんなにか素敵なのでしょうね」


 憧れにうっとりとしたマルティータに、姉弟は渋い顔をした。


「……なんて。ごつごつして眠れないかしら」


 誤魔化しにグウィネヴィアの薄紫色の瞳を見つめると、彼女は深いため息をついた。


「そうなのよ」


 あてずっぽうが正解し、マルティータはきょとんとしてしまった。

 グウェンは続ける。


「金も銀も宝石も〈星〉タフティが変質したものでしょう。固くてしょうがないの」


 聞き慣れぬ言葉――〈星〉タフティにマルティータはしばし訝った。が、すぐに思い当たった。


〈星〉タフティとは、精霊の舟の?」


「ええ。マナの塊の」


 そう言う彼女の今の寝床は、ゆらゆらと幽玄で快適そうだ。


「それならとっても固いのでしょうね。庶民のベッドもそうだと聞くわ。厩のほうがまだましだって」


 マルティータが身を乗り出した時、船が揺れ、巻き毛もまた揺れた。

 妊婦のハンモックが大きく振れたのを、弟が立ち上がって止める。


「マルー。あなた、鋭いのね」


 そして、グウィネヴィアはとつとつと語り出した。


「わたしの国はマナに満ちていてね、マルー。宝石なんか身につけなくていいのよ」


 聞けば二人は天の王国を統べる竜の王族だった。

 しかも、グウィネヴィアはさる理由から堕天し、呪いによって、人間の姿で地上をさまようことになってしまった。そのうちに彼女は魔術師キールヴェクと出会って恋に落ちて、子宝に恵まれた。

 天界から姉の様子を見守っていた弟エウリッグにとって、いずれも姉の幸せに繋がることで、喜ばしいことだった。

 しかし、懐妊により、グウィネヴィアはどんどん衰弱していった。

 呪いにより人間の姿になってしまったグウェンだが、出産にはドラゴンの本来の食料である光のマナ――地上でそれを多量に摂取できる黄金とその輝きが必要なのだった。

 見かねたエウリッグが二人の元を訪れると、キールヴェクは混乱状態に陥り、ドラゴンに殺されると思い込んでしまい、何者かにドラゴン討伐を依頼したのだという。

 それこそが、サフィーラ島で起こった事件の真相だった。

 竜の姫君の堕天、運命じみた恋とすれ違い、竜にさらわれる人間の姫。


「本当のこと、なのよね?」


 竜の姫君が頷く。

 マルティータはくらりとした。それが動悸からくるのか、船の揺れなのかの判別もつかない。

 全てがお伽話のようだ。

 しかし、揺れる船内での悪酔い、庶民の不思議なマナーへの辟易、足の裏の痛み、口に合わない露天の料理などの全てが現実を証明してくれてもいた。

 図らずも聞けた身の上話で、船上の暇を潰すことだってできた。


「だから、こんなに素敵な髪をしているのね」


 手慰みにグウェンの絹のようになめらかな薄紫色の長髪を丁寧に編む。


「いた……」


 一瞬、指がぴりりと痛んだのにひるみ、よく見てみると、赤い傷から血が滲んでいた。

 どこでつけたかわからない。先日は足にも掠り傷をつくったばかりだ。


「しかし、君がいてくれて本当に助かった、マルティータ。人の神子よ」


 エウリッグが金色の目を細める。それはまるで沈み行く太陽のように赤く煌めいた。


「とんでもないわ。わたくしには何の力も〈ギフト〉もありません」


 マルティータが身体ごと恐縮すると、少年とその姉はきょとんと顔を見合わせた。


「マルー、あなた、人間の物差しで測っているんだわ」


「そんな。では、あなたがたにはわかるの? 何が見えているの?」


 無意識に、自分がくちびるを突き出しているのに気づいたマルティータは、くちびるを開いたり閉じたりさせて誤魔化した。

 グウェンはくすくす笑い、自らの手を愛おしそうに撫でた。

 そこには、金の台座にルビーがはめ込まれたマルティータの指輪が輝いている。


「あの時――この指輪をわたしにはめてくれた時、見えたでしょう? あなたの中のマナが、指輪を通してわたしに伝わってきた。だから今、楽に過ごせているのよ」


「それに僕の声を聞きとめた。僕は父さんに似て夜型だから、澄んだ心が闇に繋がっていないと話ができないんだよ」


 ドラゴンの姉弟は、マルティータを褒め称えるように微笑んでいる。

 少女は混乱のあまり手を止めてしまっていた。


「つまり、ええと、わたくしは……」


 黄金を通じて伝わるマナ、闇に心を繋ぐマナ。

 いずれかを持って生まれた者は神子と呼ばれるのを、マルティータはよく知っていた。

 けれど、そうだとすれば。少女の頭は不思議な興奮で満ちてゆく。

 火と水、風と土は互いに打ち消し合う性質があるという。

 いままでなぜ魔法の力が発現しなかったのも納得できる。


「昼と夜、光と闇。わたくしの中に、相反する〈ギフト〉の力がある……?」


 姉弟が揃って頷く。

 その時、船が大きく揺れ、ハンモックも一緒になって揺れた。

 グウェンがその勢いに乗じて、いたずらにマルティータを抱いた。


「マルー、不思議ね。わたしはドラゴンだけれど、人間の姿をしている。あなたはその逆――人間だけれど、とてもドラゴンらしいわ」


「そんなことを言われてもわからないわ」


「強欲で、無欲。深く愛していて、素っ気ない。淑やかで暴れん坊、知性ある愚者。お手本のような性格だ」


 エウリッグも口を揃える。


「理解者でわからずやでもある」


「子どもっぽいって言いたいの?」


 どう言われても言葉では理解したつもりだが、実感は何も伴わない。

 むう、とついにむくれてくちびるを突き出すと、なんだかとてもグレイズに会いたくなった。

 公女として、ふさわしい振る舞いを自らに課していたマルティータが、自分らしく振る舞えるのはグレイズの前でだけだった。実母にも乳母にも、わがままを言ったり、ふくれっ面もしたことはない。心を許した伴侶にだけ、心を裸にすることができた。

 ドラゴンの姉弟を守るため、その場で燃え上がった正義感に身を任せて飛び去ったことに後悔はしていない。けれど、夫への恋しさが日増しに募るのも本当だった。


「グレイズ様、わたくしのこと、お嫌いになったかしら」


「あら。聞いてみたらどう? エウリッグの鱗をあげたんでしょう?」


 マルティータは頷き、ツーピースのスカートのポケットから金色の手鏡を取り出した。

 それはサフィーラ島の上空でだだをこねたマルティータに、エウリッグがくれたものだった。


「どうやって使うの?」


「あの時、ちゃんと使えたじゃない」


「無我夢中で」


 マルティータは首を振った。


「耳でもなく、頭でもない。心を澄ますのよ」


 グウェンは乳母が赤子をあやすように、マルティータの身体を左右にゆらゆらさせた。

 彼女の胸に押し当てた耳からは、ゆったりとしたグウェンの、そしてとくとくと早い赤子の二種類の鼓動が混じりあって聞こえた。生きている音だ。耳から心に温かさを伝えてくれる。

 知り合ったばかりの友と、その娘のことが愛おしくてたまらなくなる。


「そうすれば、きっとあなたの大切な人に届くわ」


 身体を通して聞こえたメゾソプラノは、どこかさみしそうな響きがした。

 グウェンも、愛した方と離れているんだわ。

 彼女はマルティータの手を取ると、傷のある人差し指をそっと自身の目元に近づけた。

 アーモンド型の瞳孔が珍しい牡丹色の瞳から、温かいひとしずくが落ちて指に触れると、少女の赤い傷がみるみるうちに消えていった。

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