4、海賊ユラム
「喉が渇いたろう。これはオレのおごりだ」
と、ユラム・ディーアは言い、ウエイトレスに酒瓶を持ってこさせた。
セルゲイたちは寝込みを襲われた不安と戦いの興奮とで寝付けなかったので、パブの片付けを少し手伝ったあと、彼らの晩酌に付き合っていた。
周りではウエイトレスたちが割れたグラスや食器、倒された椅子や机を、てきぱきと慣れた手つきで片付けている。驚くことに、怪我人はいなかったようだ。
女たちの胸元にはルジアダズ海賊団の証であるオリーブと女神の刺青が、そして人魚もとい海豹の刺青があった。
レイフの事情聴取にも納得する。なんで最初に気づかなかったんだろう。
「しかし、ホント、助かったよ」
「助かった。ともすれば命はなかった。この礼はどうすれば……」
「いいよ。あいつらがオレたちの領域を侵した」
セルゲイがさっぱりと、グレイズが丁寧に礼を言うとユラムはクールに返した。
「逆に迷惑をかけたな。金のことは気にせず休んでいけ」
長く豊かな金髪と切れ長の青い瞳が悩ましげな色男に身体ごとしなだれかかるのは、アンという名の娘――セルゲイが兼ねてから気になっている、あの豊満な身体のウエイトレスだ。
ミルクティー色のソバージュをとがった耳にしきりにかけながら、彼女が言う。
「あの鯱野郎、エスメラルダはとっくにあたしたち〈
そう言う彼女の声は高く、小麦色の肌はつやつやだ。十代に違いない。
桃やさくらんぼよろしく熟れて弾けそうなほっぺたとくちびるが美味しそうでたまらないが、悔しいかな、それはユラムに向かって羽ばたいている。
セルゲイは少しむっとしながらゴブレットをあおった。
「噂をすればなんとやら。本当にユラムに会えるとはな」
「まあ。そんなに有名でいらっしゃるの」
面白がって握手を求めているレイフの隣でイーリスが黙々とグレイズのシャツを繕っている。
「海賊たちがペローラを我が物顔で闊歩しているだなんて、てっきりお伽噺だとばかり思っておりましたわ」
侍女のお高くとまった発言に、アンが鼻に皺を寄せた。
「は? 何様のつもり?」
「アン、お嬢さんに失礼だぜ」
ユラムはすらりとした指でパートナーの顎をまるで飼い猫をあやすようになぞった。
「イ、イーリス殿。刺激するのはよせ」
そう言う王子は、緊張で小さく縮こまっている。本物の海賊に怖じ気づいているらしい。
「ただの感想ですわ。失礼など、なにも」
注意された侍女は、反省の色なく目を細めるばかりだ。どっちが主君だか。
セルゲイは堂々としたユラムの佇まいと見比べて半ばあきれながら主君の背中を軽く叩いた。
ユラムは背筋を伸ばしたグレイズをくすりと笑い飛ばして、優雅に頬杖をついた。
男のくせにやけに色白で睫毛が長くて、流し目が様になるのが無性に腹立たしい。
彼のような男を水もしたたるいい男、あるいは美少年と呼ぶのだろう。
「で、なんで
「それは……」
グレイズが青い瞳をまたたかせながらセルゲイの様子を窺ってきた。
「言っていいのか?」
「彼らは私たちを助けてくれた」
お人好しかよ。そうやってすぐに人を信じる。
騎士は大きく息をついてから、グレイズ王子とマルティータ姫の物語を話して聞かせた。
そもそもの発端であるヴァニアス国王の野望――息子の茶番をきっかけに戦を起こし海賊団を討伐してペローラを支配したがっている旨も、風の噂と枕詞をつけて、ついでに伝えた。
意外なことに、二人の海賊は親身になって話を聞いてくれた。
アンはぷっくりしたくちびるを子どもっぽく尖らせて憤慨し、ユラムは長い腕と足とを組み直しながら真剣に耳を傾けてくれた。
「ひどい話! あたしだったら絶対やだ!」
「なるほど、それでドラゴンを。国に戻ったら真っ先にクソ親父を斬るべきだな」
二人が揃って憤慨してくれるのに頷きながら、セルゲイは思い切って尋ねた。
「それで、人の庭でクソ茶番打っといて悪いんだけどさ、サフィーラ島に火をつけた海賊ってお前たちなのか?」
「セルゲイ!」
「違う」
目に見えて慌てるグレイズを、セルゲイとユラムは無視した。
「あれは
「どうしてそう言い切れる?」
「〈
と言って、ユラムはアンを抱き寄せた。
羨ましさに眉をひそめたセルゲイの隣で、レイフが嬉々とした声を上げている。
「ルジアダズ海賊団が二分されたのは、本当だったのか! 結局、二代目が決まらなかったのかい?」
「いや、決めるところさ。今もオレとクリフォードで頭目争いの真っ最中」
なるほど。セルゲイとグレイズが顔を見合わせて肩をすくめると、ユラムは嫌な顔一つせずに説明してくれた。
「こちらも身内のくだらねえ話さ」
ある日、くたびれた頭目ヴィルコ・オルノスは彼が納得するお宝を提示した者にルジアダズ海賊団を継がせると言った。
血気盛んなクリフォードは、ペローラ諸島に古くから言い伝えられてきた伝説の生き物ドラゴンの首を取ると豪語し二代目を継ぐと宣言、団員の半分の支持を集め
逆にユラムは、対抗馬として残り半分の団員に推される形で〈
「だから君たち〈
レイフがひとりでに膝を打っていると女海賊たちが頷いた。
「ああ。〈鯱〉の奴らに情報を与えたくなかったし、島民にも迷惑になるだろう。これはオレたちだけの争いだ。巻き込むわけにはいかない」
「ホラ! ユラムってホント、優しいのよ!」
うふっ、とまるで自分のことのように誇らしげにするアンが可愛くて、かえって小憎らしい。
「それで、君はどんな宝を探して献上するつもりなんだ、ユラム?」
少しずつ慣れてきたらしいグレイズが前のめりに問うと、色男はふっと微笑んだ。
「まだアイデアがない。だが、話していていいことを思いついた。アン、地図を」
恋人が地図と、気が利くことに海図も一緒に開いて並べると、ユラムはセルゲイたちのゴブレットを一つずつペローラの島々の上に置きはじめた。
「こんなふうに、伝説の通りならば各地に点在しているはずのドラゴンの巣――〈ビュロウ〉を暴いて、そこからお宝をいくつかくすねればいい。例えば、闇の魔剣ドラハダシアだとか、古の魔術書だとか。老いぼれを納得させるには十分だろう。ただ、東のサフィーラとトルパツィオ、西のラジュール、リュビム、南のクリスタリーンとペクェノ=ペロの六か所はすでにヴィルコの代で発見されている。残すは――」
「北のアンプラ=ペロと……オパーラの二か所だね。そうだ、そのほうが道理にかなっている。しかし、〈鯱〉のクリフォードはなぜドラゴンの本体を狙う? そっちのほうが何倍も何十倍も難しいだろうに……」
レイフは引き継いだとおもいきや、ぶつくさと独り言を続けていた。
理解が遅れたセルゲイは、置いてけぼりを食らっていた。
しかし、地図を眺めているうちに同じ音の綴りを見つけることができた。
不思議な呪文は全て島の名前だった。グレイズも理解に鼻を鳴らしている。
だが、オパーラという島だけは、地図の端っこに別枠で描かれているだけだった。
王子と騎士が揃って鼻を鳴らす手前で、侍女がくちびるを尖らせた。
「何も不思議じゃありませんわ。男の方って、そういう無謀さを、勇ましさだと思っていらっしゃる節があるもの。真の勇者には思慮深さこそ必要だとわたしは常に思っていますけれど」
と、話が深まっているところで、イーリスは自慢の武器円月輪で縫い糸をプチンと切った。
侍女の言葉にどきりとしてセルゲイは身体を固めた。
その隣で、グレイズも居心地を悪そうにしているのに気づくと、肩から力が抜けた。
確かにこの点については主君のほうが反省すべきだ。
「そこで相談なんだが、どうだ、王子様。オレたち〈
「それは……!」
グレイズは息を飲み、セルゲイを見た。
青い瞳が明らかに揺れて、顔が再び緊張にこわばっている。
決断に慣れていない彼のこと、騎士の意見や後押し、あるいは代理の返事をうっすらと期待しているのだろう。
ユラムはそれを見てなお続ける。
「これまで、誰一人としてドラゴンに繋がる手がかりをもっていなかった。お前を除いてな。お前が持っている〈ウィスプ〉だが、そこの学者の言う通りに本物ならば、〈ビュロウ〉へのコンパスになるはずだ。クリフォードに先んずることができる」
だが、セルゲイは思い切って主君から視線をそらした。頷きも微笑みもせず。
傷つけたかもしれない。迷うかもしれない。
セルゲイが選んで欲しい選択をしてはくれないかもしれない。
だが、これは彼の妻を助ける彼の冒険だと思えばこそ、突き放した。
それに、一介の騎士でしかないセルゲイに、全員の命運を左右する決断はできない。
グレイズは、騎士の視界の端で思い詰めたような顔をしていた。
だが次の瞬間には、鼻をユラムに向け直した。
「ユラム。君は私に、海賊になれと言っているのか?」
慎重な言葉選びだ。しかし、芯はある。
ユラムは眉をぴくりともさせない。
「違う。単純な協力さ。お前たちは、ドラゴンを捕まえて嫁さんを取り戻したい。オレたちはクリフォードにドラゴンを殺されたくない。ついでに、ドラゴンのすみかを暴いてお宝を頂戴する。ほら、きれいに利害が一致するだろ?」
「なるほど」
グレイズは頷いたあと、口を開いた。心なしか背筋がピンと伸びている。
「君の言う通りだ、ユラム。だが、君たちが私を裏切らない保証はない。さきほどのごろつきよろしく〈ウィスプ〉を奪えば君たちだけで〈ビュロウ〉に行けて宝を占有できるのだから」
セルゲイはどきりとした。
猫背の王子が交渉の場で相手に揺さぶりをかけるだなんて、考えてもみなかった。
しかも海賊相手に!
王子の意外な一面に、騎士は思わず生唾を飲み込んだ。
刹那、ユラムはきょとんと青い瞳を丸めた。
次の瞬間には吹き出し、腹を抱えて笑った。
「いいね。ただのぼんぼんかと思ったが、案外救いようがありそうだ!」
痛快な一言だった。だんだんこの美男子のあけすけな物言いに慣れてきただけかもしれない。
ちらりとグレイズを見ると、彼は困惑の笑みを浮かべていた。
成功を確信できないのか、それとも単純に小馬鹿にされたと思っているのか。
王子の手前で、海賊船長は景気よく手を叩いた。
「そのままでいい。これからも都合のよすぎることは疑ってくれ。だが、これだけは信じて欲しい」
ユラムは不敵に微笑んで、優雅に背もたれに体重を乗せた。
「オレはあんたを助けたい。クソ親父に振り回されちまった気の毒なあんたたちをな」
その肩に、アンが甘くしなだれかかった。
「ユラムって、意外とロマンチストなのよ」
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