2、御前試合

 神聖騎士団の闘技場にて、全身を鎧に包んだ二人が立ち会う。

 兜を被る前にちらりと見たところ、特別にあつらえられた貴賓席に国王が、そしてその隣に黒い頭の少年がちょこんと座っていた。あれが。頭の位置からすると小柄ではないのだが、今にも消えてしまいそうなこぢんまりとした印象がした。親の過保護が加速するのも頷ける。

 アルバトロス家の両親と二人の兄もいるに違いないが、どこで見ていたかは後日新聞記事で明らかになるだろうから、敢えて探さずにおいた。

 友と対峙するのは初めてではない。しかし目前に立ちはだかるブロンズの髪の青年の、なんと立派なことだろう。胸を張り顎をそびやかし英雄然としている彼に対し、まるで自分は悪役の気分だ。

 どうせ俺は野良犬だよ。小さな溜め息とともにセルゲイの屈折はとどまるところを知らない。

 適当にやって、いい感じにフェネトを勝たせてやって、さっさとパブに行こう。

 セルゲイには不要に思える式次第が粛々と進められ、決闘者たちが現れると、観客たちの歓声が否応なしに高まった。

 かき消されてしまった号令に合わせて二人は剣を引き抜き、構え、交わらせた。

 試合が始まってすぐ、セルゲイは異変に気づいた。振った感じが違う。

 続くフェネトの一撃の重たさと、自分の長剣からした軽薄な音で、確信した。


「嘘だろ!」


 これ、レプリカだ! セルゲイは愕然とした。

 他でもない己の身体が握る長剣の重さや重心の位置を憶えているので間違いようがない。

 俺が間違ったのか? 混乱する頭で咄嗟に思う。しかしテントには、剣は一本しかなかった。

 公正を期すため、神聖騎士団がテントと装備を用意する手筈となっていたので、誰かが間違ったのかもしれない。

 確かに、日頃の訓練や練習試合では万一を避けるために専用のレプリカ――柄が軟鋼製の剣が用いられる。他の従騎士エスクワイア同様、セルゲイもレプリカの扱いのほうが身体に馴染んでいる。

 しかしそれでは騎士や剣術の凄味に欠けるという騎士団長デ・リキアの提案のもと、今日は特別に全てが鋼製の本物の長剣を使用することになっていた。

 実際、剣を斧のように振り下ろす〈殺撃〉の凄まじい衝撃で、練習の時にレプリカを何本も折ってきた。つまり、今手にしているレプリカは〈殺撃〉に適さない。

 だから、セルゲイとフェネトはこの数週間、慣れぬ本物を握ってこの日のために準備を続けてきたのだ。少年の手にできた無数の豆がその証拠だ。

 でも、こんなときに間違うか?

 王子の〈盾仲間〉を選出する御前試合を知らぬ者はいないはずだ。では、誰かが意図的に?


「フェネト! 待て! 剣が! やりなおそう!」


「集中しろ、セルゲイ! 試合中だぞ!」


 親友は容赦なくセルゲイに〈殺撃〉を叩き込もうとする。

 振り下ろされる勢いに腕と剣本体の重さが加味されて、いつもの防御ではかなわない。

 こちらも腕と重心を用いて、相手の攻撃を受ける。

 その衝撃を受け止めるだけで精一杯で、こちらから攻撃に出る隙を食われている。


「僕に勝ってみたまえ、セルゲイ!」


 フェネトが海色の瞳をぎらつかせて打ち込んでくる。何度も、何度も。


「難しいだろうがな!」


 それこそ、こちらの長剣をへし折るつもりがあるのだろう。

 爵位ある騎士団長を父に持つ誇り高き優等生のフェネトのこと、騎士の戦いのなんたるかを、そして己の実力を観客たちに見せつけたいはずだ。もちろん、国王と王太子にも。

 その意気込みはよくわかる。彼はそういう生真面目な向上心の持ち主なのだ。


「馬鹿野郎!」


 しかしひとたび勝負が始まれば、セルゲイにも勝利への炎が灯るというもの。

 ここで無様に泥にまみれるつもりなどさらさらなくなるのが常であった。

 試合の果てに得られる栄光など知ったことではない。

 ただ、ひたすらに勝利が欲しい。戦士としてのプライドはセルゲイにも備わっていた。

 だが技術の上では拮抗しているからこそ、剣の材質によるハンデは殊の外大きい。

 下手をすればセルゲイの命に関わる。まだ十七だ。こんなところで死ぬつもりはない。

 加えて、本物に対し、レプリカの剣がいつまで保つかもわからない。

 セルゲイは、もう何度目かわからぬ相手の容赦ない〈殺撃〉を全身で受け止めた。

 友の重たい一撃にレプリカがしなる。やはり心許ない。

 狙われた首を兜が守ってくれたが、その代償に大きくへこんだ。それを脱ぎ捨てる。

 命の危機をすぐ傍に感じて、セルゲイは腹をくくった。


「覚悟決めろよ!」


 何が起ころうとも、揺るがぬ友の信念に答えるべきだ。

 己の命と戦士の誇りを守るためにも。

 だから、本気のカウンターに出た。

 フェネトが柄と剣身を握る第二の構えをとった瞬間、セルゲイは両手で自らの剣身を掴んだ。

 そして、フェネトが剣を突き入れてくる隙を狙い、大きく振りかぶった。

 大きく外側から狙った〈首打ち〉の一撃がフェネトの首を確実に捉える。

 友の首に引っかけた柄は、たちまち彼の頭を大地に叩きつけた。

 甲冑を纏った人体が大地に打ち付けられた拍子に、レプリカも砕け散り、重たく濁った音が練習場に響き渡った。


「ほら! 勝ったぞ! これでいいかよ!」


 セルゲイは吠えた。難所の攻略か、勝利の昂揚か。甲冑の中で全身の血が沸いている。

 あっという間の逆転劇に、場内が静まりかえり、そして沸きに沸いた。


「血が!」


 だが一つの悲鳴をきっかけに、勝利の興奮は一瞬にして別の物に変わり果てた。


「なんと野蛮な」


「ひどい! あそこまでしなくてもいいでしょうに!」


 あちこちから起こった非難の声で、セルゲイは初めて気づいた。

 対戦相手が倒れた地面に、赤い血だまりが広がっている。


「フェネト!」


 セルゲイは脇目も振らず友に駆け寄った。海色の瞳からも血が出ている。


「お前、大丈夫か! しっかりしろ! フェネト!」


 呼びかけるも返事はなく、つまり意識がない。


「フェネト!」


***


 そこからは、ほとんど記憶が無い。観客の罵詈雑言も遠く、何を言われたかは定かではない。

 騎士ドーガスがすぐに来てくれて、引き剥がされたセルゲイの目前で、フェネトが担架に載せられ運ばれていった。

 テントに運ばれた彼は、その場で神子姫に治療と祈祷とを施されたという。

 地面に叩きつけられた衝撃で兜の面頬が壊れ、フェネトの右目に突き刺さっていたようだ。

 フェネトは神子姫の神秘の力――治癒の魔法により奇跡的に一命を取り留めたそうだ。

 しかし、試合が原因で右目の視力を、頭を強打したために右足の自由を失ってしまった。

 力を尽くしてくれた神子姫への感謝と、彼女がセルゲイを推薦しなければという、複雑な気持ちでいっぱいだ。俺が御前試合にさえ出なければ、こんなことには。


「ありがとうございます。ドーガスさん」


 セルゲイは暗がりの中、鉄柵越しに頭を下げた。

 少年はあれから神聖騎士団の牢屋に拘留されていた。裁判があるとすれば絶対に有罪、だが相手を死に至らしめなかったので死刑は免れるだろう。

 けれど、牢屋の中で未来など見出せはしない。ここで一生、ドブネズミと友だちだ。


「俺、フェネトに合わせる顔ないっす。ドーガスさんの顔にも泥を塗って……」


「いや。誰もお前がレプリカを使っているとは思わなかったのだ。あのとき反撃に出なければ、お前が死んでいたかも知れない」


 師はすべてわかっていてくれた。恩を仇で返されても尚、優しき理解者であった。


「それならそうと言ってくれれば試合をやり直したのだ」


「言いました。でもフェネトは……」


「そうか。あいつはこの試合に賭けていたからな……」


「……フェネトが勝てばよかったんだ。あの時、死ぬべきは俺だったんじゃないかって」


「それは違う。勝負こそ楽しみにしていたが、命のやりとりなどする場ではない。私はお前たち二人が生きていてくれてよかったと、心から思っている」


 師の温かな言葉が自責に乾ききった心にしみてしみて、目頭が熱くなる。

 両膝に顔を埋めると、親元を離れた九つのときを思い出した。

 あのときよりも大きく逞しく成長したはずなのに、やっていることはあの頃と変わらない。

 思いつきに任せて行動して、失敗する。何度も叱られてきたのに。


「セルゲイ。……残念だが、お前の除名が決まった」


 沈鬱な宣言は、牢屋の固くて臭う枕の上で何度も夢に聞いたものだった。


「そっすよね」


「すまない。私の力が及ばず」


 だから平気とばかり思っていたが、実際に耳にすると存外辛いものだった。鼻を啜る。

 いいんだ、別に。セルゲイは投げやりに思った。もう、落ちるところまで落ちたらいい。


「はーぁあ!」


 ただ一つの灯り、騎士ドーガスの持っているランタンの光すら跳ね返さない漆黒の天井に、絶望を放り投げる。別に理想や夢を持って騎士を目指しているわけじゃなかったし。


「いやあ! 戻ったら親父にどやされるなァ! アハハ!」


 人間、笑えばなんとかなると言ったのは実父だった。

 だから今もそうしてみたのだが、絞り出した笑い声のなんと滑稽で空虚なことだろう。


「ドーガス卿」


 そのうち、師も他の従騎士に呼び出されて、去って行った。

 詫びるように太い眉を傾けて去った彼の表情が名残惜しくて、また泣けてきてしまった。

 いいんだ。一人だから。そう思うと思い切り泣けた。

 親の期待、師の恩、友の夢。すべてを裏切りぶち壊した最低な男――己を哀れんでもよいのは、他でもない自分だけなのだ。そう、言い聞かせながら咽び泣いた。

 頭痛の訪れとともに涙も引き、ぼうっとしていたセルゲイの耳に、静謐な足音が聞こえた。

 ゆっくりと近づいてきたそれは、ほのかな橙色の灯りと長い影を伴って近づいてきた。

 そして事もあろうに、セルゲイの牢の前で止まった。


「セルゲイ・アルバトロスだな」

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