第一章 青き誓い

1、従騎士セルゲイ・アルバトロス

 その時目映い光に薄闇を切り裂かれ、十七歳の逞しき少年、従騎士セルゲイ・アルバトロスは体ごと驚いた。


「うおッ!」


「支度はいいか?」


 腰掛けとともに転げ落ちそうなところを踏ん張ると両足の脚絆が、ヴァンブレイスが、そしてボディスがかちゃりと擦れあい文句を言った。鏡のように磨かれた銀色のヴァンブレイスに、いびつにひしゃげた翠の瞳とプラチナブロンドがくっきりと映り込む。


「おや、一人か。感心、感心」


 振り向くと、待機テントの入口、その逆光の中に見舞いに来てくれた男の微笑みがあった。

 陽光にも黒々と塗れたように輝くブルネットと言えば、彼しかいない。


「ど、ドーガスさん。なんで――」


「抜き打ち検査だよ。こんなところにまで女の子を連れ込んでいないかね」


 と、男はなめらかなバスバリトンでおどけて見せた。浅縹色の制服の腕を組んだ彼は、セルゲイの師でユスタシウス・ドーガス卿といった。がっしりとした幅広の肩には子爵の位とこのヴァニアス王国を守護するシュタヒェル騎士団の副団長という重荷が載っている。

 この立派な男こそセルゲイの主人だ。九歳の時に小姓として受け入れてもらったときから、テーブルマナーに馬術、武術、そして〈十戒〉など、騎士になるための教育を全て施された。実の父より若く、実の長兄より年嵩、セルゲイ少年がもう一人の父兄と慕う男、それがドーガス卿であった。

 セルゲイが従騎士になってからは、馬上試合があればいつでも進んで付き添って彼の身の回りの世話をしてきた。そんな自分が主人に呼び出しを受け、御前試合に出場する日が来るとは。


「御前試合の前に、集中を欠くことをしては困るからな」


 そう、セルゲイは間もなく行われる御前試合に向けて待機していたのだ。

 これはシュタヒェル騎士、もしくは神聖騎士の小姓や従騎士のうち、予選を勝ち抜いた代表者が年に一度日頃の訓練の成果を王侯貴族に披露するものであると同時に、叙任が期待される若き従騎士の紹介も目的とされていた。無名の若手にとって出場は大変な名誉である。


「し、しませんよ。そんなこと」


 思わず鷲鼻ごと視線を背けたのは、前夜に遊んだ娘を戯れに連れてこようとしていたからだ。


「するつもりはあった。そうだろう?」


 ドーガスは大袈裟に溜め息を落とし首を振った。師はなんでもお見通しなのだろう。


「さあ、時間だぞ。国王陛下がお待ちかねだ」


 セルゲイは鎧の身体を軋ませながら立ち上がると、左手に兜を、右手に長剣をとった。

 ん? なんか軽いな? 違和感を一瞬訝ったが、全身を覆う重厚な甲冑のせいにして騎士ドーガスの開けてくれた天幕をくぐる。そして二人は、ここ聖都ピュハルタに拠点を置く神聖騎士団の城、その中央にある広場を目指していそいそと歩きだした。

 前に出す脚が重たいのは甲冑のせいだけではない。


「陛下だけでしょう」


「いや、ちゃあんと王太子殿下もお越しだ」


「へえ。あの話、ただの噂じゃなかったんですね」


 セルゲイは思わず眉を上げた。

 今回の御前試合は、王太子グラスタン付きの騎士――王子近衛騎士を選定する特別なものだと囁かれていた。ヴァニアス国王ブレンディアン五世が一人息子に世継ぎの自覚を持たせたいと豪語したそうだが、肝心の王子は表にほとんど顔を出さぬゆえセルゲイは信じていなかった。


「噂なものか。国王陛下自ら私たちにご命令遊ばしたのだ」


「なるほどです。俺もようやくご尊顔を拝めるわけだ。実は女の子だったりして」


「口を慎め。不敬だぞ」


 悪態と静かな叱責の応酬がいつも通りで少し気が紛れる。

 とにかく、この御前試合で認められれば王太子の〈盾仲間〉という特別な騎士になる権利を得られる。他の従騎士は気合十分だったろうが、セルゲイはと言うとドーガス卿に欠席を許されぬままいやいや、そしていい加減に予選に参加しているうちに、あれよあれよと勝ち残ってしまった。出世欲より性欲の勝る自負あるセルゲイであるから縁遠い話だと何度も辞退したのだが、さる高貴な人物から推薦されてにっちもさっちもいかなくなり、今日を迎えてしまった。


「ほら。ふしだらで不敬の俺なんて王子近衛騎士に相応しくないですよ。フェネトの不戦勝でいいじゃないですか」


「そうは問屋が下ろさぬ。いかにお前がだらしなかろうと、試合には出てもらわねば」


「お世辞でも否定してほしかったんですけど」


「ならば、お前が強いのは夜だけではないとその腕で証明してみせるのだな」


 少年と主人は揃って口を尖らせた。

 セルゲイの相手となるフェネト・マロウ・デ・リキア――伯爵家の長男で二つ年上の彼とセルゲイはドーガス卿の門下生であった。彼も今頃支度を終えてテントを出た頃に違いない。

 高貴なる幼馴染みに対してセルゲイは商家の出身、少し身体が頑丈で、物覚えが悪くなくて勘が良いだけの野良犬である。

 小姓の時から寝食を共にした親友同士の戦いに全国民が注目している、と太字で一面を支配したのはセルゲイの実家――アルバトロス商会の看板商品の一つ、国民新聞である。


「私の楽しみを奪ってくれるな。弟子同士の御前試合だぞ。夢にも思わなかった」


 ドーガス卿は黒々とした太い眉を眩しそうに寄せた。


「俺は今からでも辞めたいですけどね」


「諦めるのだな。これは神子姫様の思し召しでもあるのだぞ」


 この神子姫こそ、セルゲイを推薦した人物に他ならない。彼女は国王の妹、王女ミゼリア・ミュデリアといい、神通力〈ギフト〉を持つために〈ヴァニアスの神子〉と呼ばれ国教スィエルの宗主として尊ばれている。その貴人直々に書面にて祝福されてしまっては、セルゲイ本人がいかに辞退を希望しても無理というものだ。


「神子姫様が〈殺撃〉をお好きだなんて知らなかったなァ。大胆。意外と加虐趣味なのかな」


 言った本人も面白くない冗談に、師から肘鉄の鋭い突っ込みが入る。


「セルゲイ。何度も言わせるな。緊張は減らず口の言い訳にならんぞ」


 そして今日の演武は〈殺撃〉が指定された。その技は剣を上下逆に刃の部分を両手で握って重心バランスを移動させて、柄の部分で相手を打撃したり、棒鍔を鈎のようにして相手を引っかけたりする、別名〈雷撃〉とも呼ばれる長剣術である。同時にそれに対するカウンター術も必要とされる。〈殺撃〉を用いれば、斧や棍棒のような強い打撃力を生み出すことができる。幸か不幸か、セルゲイの得意な分野だった。

 気づかぬうちに会場に着いていた。生唾を飲み込む。いよいよだ。


「祝福された私たちの晴れ舞台だ。気負うことはない」


「適当にやりますよ。だって、王子近衛騎士なんて肩書、俺には重すぎるんで」


 と、セルゲイは全身でただ一つ露出している首を回して見せた。

 すると、流れるような動作でドーガスが長剣を受け取ってくれた。それに合わせて兜を被る。


「お前はいつも自分を過小評価しすぎだ」


 下げた面頬に点々と切り取られた世界の中で、師が大きな口で微笑んでくれた。


「思うままに、思いきりやってこい。そのほうがすっきりするさ」

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