そして、今は……

 吾輩の前に道はなかった。そもそも、宙にふわふわと浮いていたからだ。

(ひゃ、こ、これが、噂の転生への道……?!)

 伝説では、最期の審判というのがあって、生前の行いであるとか、犬社会への貢献度、影響度合い……といった判定項目(合計108項目あるというのが、一般的な認識だった)があるらしかった。

 ところが、ふわふわ浮いていたとおもったら、急に動きが停まった。

 静止したのか、急速回転のあまり静止したように感じただけなのかはわからない。

 すると突然、神々しい声がまばゆいばかりの光のたばととめに聴こえてきた。


『……あなたには、変態、ストーカー、どエッチ……といった被害報告が複数寄せられています。尻尾をかじるなどの暴力威嚇行為も仕出かしていますね。その一方で、食材用に耳を提供したり、歩行用にみずからの脚を供出するなどの善行も記録されています。なかなかユニークな一生でしたね。また、どちらかといえば、孤高の自由けんを気取りながらも、社会に溶け込めなかった面もあります。ということで、総合的に判断させていただき、来生では、特別にあなたには、社会性と協調性を付与してさしあげることに決定しました……』


      ○


 冒頭で述べたように、いま、吾輩は、犬ではない。前世の犬だった頃の記憶が完全になくならないうちに書き留めておこうとおもったのだが、いよいよ、思い出せなくなってきた。

 ま、それはそれでいい。

 せっかく生まれ変わったのだから、余計なものを背負い続けることはないのだ。できるだけゼロリセットでいきたいものだ。

 心底、そうおもう。

 いま、吾輩は、より人間社会の情況、心理などを観察できるポジションにいる。すぐ近くに、心友ともいうべき作家先生がいることも影響しているようだった。

 あるとき、その作家が、

「キミから聴いた前世の話……書きたいなあ。え……? もうほとんど思い出せなくなった? ほんと? 出し惜しみしてないかい……?」

と、妙に低姿勢で頼ってきたり、突然、突き放したりしてくるような不思議な関係だが、吾輩は近所付き合いもいいほうで、自慢するわけではないけれど、おさげ髪の女の子たちからは人気の的だ。

 新聞での連載がはじまった作家は、冒頭にこう書いた。


 『吾輩は猫である。名前はまだな………』


 そして。


 近所の子どもたちは、吾輩を指差して……


「ねえ、この黒猫さん、不思議なのよ。ほら、耳が長くてウサギさんに似ていて、ピエロ鼻だしね。それにね……いつも、ワンワンって吠えてるの……!」



              ( 了 )







 

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吾輩は犬である 嵯峨嶋 掌 @yume2aliens

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