オリヴィエ

 ……片脚をうしなった吾輩は、ため息すら出なくなって、それでも腹が減ってきたので、なにか獲物を……とおもっても、走ることができなかった。

(接着剤を置いてってくれたら、枝をもっとうまく貼り付けられたのに)

 なんだか気分も下がり気味で、自分なりにそういう精神状態のことをなんと名付けていたかどうかまでははっきりとは思い出せない。おそらく、孤犬こけんにかかわる、といったようなフレーズだったかもしれない。

 けれどクヨクヨしたってはじまらない。どんなに小さなこと、ささやかなことであったとしても、なんらかの社会との関わり、社会との接点を持つことができたことは確かなのだから。もとより、自己犠牲とか、そういう崇高な哲理ではない。生まれつきの吾輩の性向たちのようなものだった。

 ところが、その小康状態をぬけると、一気にやってきたのはウツ的状態だった。(ひゃあ、自力で餌をれないとなれば、また、なにかと交換すれば……!)

と、そんなことまで考えはしたものの、持てざるものには、資産価値のあるものはほとんどなかった。

 すると、そこにワンワンクンクンと懐いてきたのは、メス犬だった。オリヴィエとでも呼んでおこう。

 オリヴィエは、くせ毛がからだを覆ったちぃちゃなやつで、目だけが異様にクリクリとしていた。

(ま、まさか、眼球が欲しいなんて言い出すなよ……!)

と、いきなり吾輩は緊張した。けれど相手はクンクンと一方的に懐いてきた。

(ははあん、こいつは……飼い犬だな。甘えればなんとかしてくれると思い込まされている他力本願思考のやっかいなやつだぞ。気をつけなくっちゃ)

 慌てて駆け出そうとした吾輩は、慣れない義脚ではうまく加速できず、コロコロコロンと転がってしまった。まさに、ことわざにある“”棚からボタいぬ”状態だった。それでもオリヴィエはクンクンをやめない。

「こっちは何も交換してあげられるものはないからさ」

 何度そう言っても、オリヴィエは吾輩は

から離れようとはしない。

「ね、お願いだから、あっちにいってよ」

「なに、それ?」

「いや、急に怒りだすなよ」

「だってね、あなた、レディに対して失礼すぎるでしょ? こっちがクンクンしてあげてんだからさ、あなたもクンクン返しをしなさいよ。それが礼儀というもんでしょ?」


 そうなのだ、飼い犬族はやたらとマイルールが多く、それを一方的に相手構わずに押し付けてくることが多いのだ。


「クンクン」


 しかたかく吾輩がクンクン返しをしてあげると、

「きゃあ、エッチ! スケベ! ど変態、ゲス野郎!」

と、騒ぎ始めた。

「どこにキスしようとしたのよ! 油断もスキもあったもんじゃない。だから、野良犬って大嫌い!」

「おいおい、嫌いならそっちからクンクンしてくるなよなあ。第一、吾輩は野良犬なんかじゃない。れっきとした自由けんだぞぉ」

「ふん、なによ、気取っちゃって、エラそうに……!」


 いきなりオリヴィエは、吾輩の鼻にくらいついてガリガリとかじり出した。慌てて吾輩は仕返しに相手のピンポン玉のようなしっぽをガブリ。

 すると、オリヴィエは、こちらの鼻をかじりとってコソコソと逃げていった。

 こんな予期せぬ出来事は往々おうおうにしてあるのだ。だから、いちいち、怒っていてはこちらの身が持たない。

 吾輩はかじられた鼻の代わりに、奪い取ったオリヴィエのしっぽを鼻につけた。


(ひゃあ、匂いも嗅げなくなったぞ)


 これだから、飼い犬のやつらの言動は鼻につくのだ……。


 

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