Side: フレースヴェルグ
シエロとの待ち合わせの日時は、月の無い夜を指定した。
新月の夜は、魔物の動きが活発になる。
フレースヴェルグは、多数の魔物を呼び出して、シュレジエンの跡地に配置した。天使を取り囲んで確実に殺すためだ。
「月は無いが、妙に星が明るいな……」
違和感を覚えたが、気のせいだと思い直した。
今のシュレジエンは亡国の廃墟で、人里から離れている。空が明るいのは、人家の灯が無いせいだろう。
待ち合わせの目印にしたのは、翼が欠けた古い
彫像の下で準備を整えて待っていると、星明りを受けて夜目にも眩しい白い翼が見えた。
フォレスタの守護天使だ。
罠だと察しているだろうに、のこのこやってきたらしい。
「待っていましたよ」
フレースヴェルグが声を掛けると、シエロは平静な顔をこちらに向けた。
翼をさらした天使の姿は、全身に淡い光を帯びている。その姿を見て、司祭服ではなく、騎士が身に着けるような服装で剣を帯びていることに気付いた。
「面白い恰好をしていますね」
「ネーヴェが、騎士服の方が似合うとうるさいからな」
さらっと
この分だと、彼が女王に懸想しているという噂は真実のようだ。
「寿命の異なる人間との恋をまっとうするつもりですか?」
「ふん、その話に付き合ってやってもいいが、周囲に配置された魔物がうるさいな。俺がどう答えても、お前は俺を殺すつもりだろう」
罠には気付いているらしい。
気付いているのに、天使が優位な空から、地面に降りてくるとは、無防備なことだ。
「さあ、殺すとは限らないですよ。あなたが私の側に来るのなら、話は別です」
フレースヴェルグは昏い笑みを浮かべた。
汚れのない白い翼が憎らしい。この男が地べたに這いつくばり命乞いをする姿が見たい。
「人間の寿命を延ばす方法を知りたくはないですか? あなたの大事な人間と、永遠に生きる方法を」
もしくは、自分と同じように堕天してしまえばいい。
人間を殺させれば良いのだから、簡単なことだ。
「必要ない」
だが、返ってきた答えは想定外だった。
天使の声音は、鋼を叩いた音のように硬く澄んでいる。
「さっさと戦いを始めろ。お前が正しいか、俺が正しいか。戦いに勝った方が決めればいい」
「は……?」
フレースヴェルグは、耳を疑った。人間の戦士ならともかく、道徳と慈愛を尊ぶ天使が、戦闘狂のようなことを言い出すとは。
星明りに照らされた若い男の顔をまじまじと見つめる。
天使らしい清涼な美貌だが、騎士服も相まって、鋭い威圧感が全身から発散されている。翼が欠けているという奇妙な共通点もあり、彼は古い
束の間、呆気にとられたフレースヴェルグだが、すぐ我に返る。
「なら、お望み通りにして差し上げましょう!」
フレースヴェルグが腕を上げて合図すると、黒い網のような結界が天蓋を覆う。空中戦が得意な天使を空に上げず、地上で戦わせるための罠だ。この罠の中では、天使の得意な風の魔法などが無効化され、魔物を一気に片付けることは難しくなる。
無数の魔物が、そこかしこから湧き出して、シエロを取り囲んだ。
迫りくる魔物を、シエロは剣を抜いて冷静に切り捨てる。
その動きは流麗で、舞でも舞っているようだ。
次々と魔物を切り捨てていく天使の姿を、フレースヴェルグは不安を抱きながら見守った。
このまま消耗させて殺すつもりだった。
しかし、いくら魔物を斬っても、天使の動作に疲労が見えない。
まさか、用意した魔物が全滅する訳がない……。
実は、シエロの前にいるフレースヴェルグは幻影だ。
本体は結界の外にいる。戦ってぼろぼろになる天使を、外から高見の見物しようと考えていたのだ。
しかし時が経つにつれて、焦燥が湧くのは、フレーズヴェルグの方だった。
「この程度か」
用意した魔物が残り少なくなってきた。
自身が切り捨てた魔物の屍骸の真ん中に立つシエロは傷一つなく、その姿は天使らしく輝いている。
ありえない、もうすぐ夜が明けるのだぞ―――!
「暗黒の雨よ」
焦ったフレースヴェルグは奥の手を使う。
それは、漆黒の天蓋から毒の雨を降らせる、必殺の堕天使の魔法。
「天の雷よ」
しかし、罠の中で佇む天使は、空を見上げて聖なる奇跡を願う。
闇の天蓋の魔法の中では、天使の力を発揮できないはずなのに。
星空から降る落雷が、偽りの黒い天蓋を吹き飛ばす。
「そんな馬鹿な」
茫然とするフレースヴェルグの前に、雷で罠もろとも残りの魔物を全滅させたシエロが、ふわりと着地する。
妙に明るい星空を背に、純白の片翼が、ばさりとひるがえった。
「お前の、その、翼は」
天使の翼は、飛行のためのものではなく、奇跡の力の具現だ。
翼を片方失うということは、天使の力を半分失うのと同じ。翼を傷つけられると、天使はその力を大きく損なう。
だとしたら、目の前のフォレスタの天使は、いったいなんなのだ。
片翼とは思えない、両翼あるのと同じ、いやそれ以上の奇跡の力を振るう。
「夜明けだな」
剣をこちらに突きつけたまま、シエロは空を見上げた。
「捕虜交換の日だ。いや、蛮族の敗走の日、か」
「何を言っている」
「俺は、
明けの明星から視線を戻したシエロは、淡々と続けた。
「
罠に嵌められたのは、一体どちらなのだろう。
まさか、誘い出されたのは、こちらなのか……?
フレースヴェルグは受け入れがたい現実を悟りつつあった。
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