Side: バルド
大陸の西を支配するオセアーノ帝国は、噂よりだいぶ弱かった。都市こそ立派な建築で、城壁は見事なものだったが、戦士の練度が低い。俊敏かつ柔軟に動く
帝国は、本気を出していないだけだろうか。
「総司令! 周辺の略奪を行っていた部隊が、敵国の皇子を見つけて殺したそうです。
「おお、でかした。この調子で、どんどん敵地を荒らしてこい! 敵の将軍より上位の貴人を殺した者には、褒美を取らせる!」
次々あがってくる部下の報告は順調さを示すものだった。
油断するまいと己に言い聞かせていたバルドだが、ここに至り、帝国の軍隊は弱いと確信する。
「ふん。帝都オセアーナとやらも、この分では大したこと無さそうだ」
帝国の大都市ヴェルナを打ち破り、バルトは勢いに乗っていた。
次は、半分の兵でも勝てるだろうと目算する。
「おいフレースヴェルグ、俺は兵の半数を率いて進軍を再開するぞ。お前は、ヴェルナで待っていろ」
ヴェルナを拠点として確保しておこうと、フレースヴェルグに留守番を申し付けた。
「良いですが、私も少し留守にしますよ」
しかし、フレースヴェルグは何やら用事があるらしい。
「どこか行くのか」
「竜殺しの天使とやらが、近くにいるようなので、先に片付けておこうと思いまして」
邪竜ニーズヘッグの脅威を重く見た帝国は、竜殺しとして有名な天使を前線に引っ張って来ているらしい。すぐ邪竜を倒されると思えないが、念のため邪竜と鉢合わせする前に始末したいとのことだった。
「土地勘のあるシュレジエンに誘い出し、罠にはめて殺します」
「それは別に構わんが、捕虜交換は良いのか? 帝国は交換に応じると言って来ているが」
フレースヴェルグは、一人の女に血道をあげている。捕虜交換で、その女が返ってくるかもしれぬと、喜んでいたはずだ。
しかし、フレースヴェルグは険しい顔で「あれは偽物です」と断じた。
「心配しなくても、捕虜交換の時にはヴェルナに戻りますよ。形だけでも応じ、奴らの目前で偽物のエイルの首を
「ふむ。そうなると、あの女天使を差し出さなくても良い訳だな!」
あの美女を抱くことができるかもしれない。
バルドは浮き浮きし、出発前に地下牢の女天使ジブリールを訪ねることにした。
「おい、帝国の女天使! お前はもうすぐ、俺のものとなるぞ!」
「……」
ジブリールは、瞳を閉じたまま、動かない。
地下牢の停滞した空気は、そこだけ浄化されているようだ。女天使は静謐な空気に包まれており、バルドのだみ声は一切聞こえていないようだった。
構わず、バルドは続けた。
「フレースヴェルグに聞いたが、竜殺しの天使とやらは、お前の息子らしいな!」
「……」
「残念ながら、フレースヴェルグの奴が、先にお前の息子を殺すと言っている。親子の生き別れは、俺も心が痛む。案ずるな、俺の権限で息子に会わせてやろう。フレースヴェルグに遺体の一部を切り取って持ってこさせ、一番にお前に抱かせてやる!」
そうしたら、いくら冷静な天使といえど、泣きわめくはずだ。
バルドは、彼女の絶望した表情を思い描き、残虐な衝動に酔いしいれた。
「もうすぐだ……もうすぐ、大陸の西端に辿り着く。その時、俺は大陸の西を支配する偉大な王として、平原を渡る
高笑いを上げながら、地下牢を去っていくバルド。
それを見送ったジブリールが薄目を開ける。
「……何か、人の子が大声で話していたな。眠くて聞き取れなかったが……我が息子を、フレースヴェルグが殺す……?」
彼女は、不思議そうに呟いた。
「助言した方が良かったのだろうか。堕天したフレースヴェルグごときでは、到底あの子には勝てぬと。あの子は親の欲目を抜きにしても、
敵味方関係なく慈愛の心を持つ天使ジブリールは、敵であるフレースヴェルグの心配をする。
しかし幸か不幸か、その呟きを聞いていたものは、誰もいなかった。
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