Side: リエル

 ネーヴェが去った後、シエロは手で顔を覆って、落ち込む様子を見せた。


「……」

「兄さま……?」

 

 どうやら本気で意気消沈しているらしい。

 こんなシエロを見たのは初めてで、さしものリエルもどう声を掛けるか考えさせられた。

 ネーヴェとの会話を聞くに、シエロは本気で人間の女を好きになったようだ。ただし、当の女性ネーヴェには拒否されている。しかも、非常に理性的かつ冷静に、だ。

 リエルにとっては願ったり叶ったりの状況だが、調子に乗って「そら見たことか。兄さま、人間なんかより僕ら天使と仲良くしようよ」と言えば、その瞬間に激怒されると容易に想像できる。リエルは、そこまで愚かなつもりはない。

 リエルは、シエロと仲良くしたいだけで、追い詰めたい訳ではない。

 

「本気で、あの女王に惚れているの……?」

「そうらしい……」

「らしいって」

「最近、振り回されてばかりだ」

 

 弱り切っているシエロに、思わず天使らしく助言したくなるが、思いとどまる。僕は、あの女を引き離したいんだぞ! 引き離した方が兄さまのため……だよな。自信が無くなってきた。


「兄さまは神海に行って、何をしたいのさ」

「上層界に、太陽神の遺産を探しに行く」

「太陽神の遺産? 何に使うの?」

「豊穣神を復活させる」

 

 シエロの行動力には、驚かされてばかりだ。

 こっそり豊穣神の復活を企てていたのだと聞かされ、リエルは仰天したが、同時に自分にだけ話してくれて良かったと思う。他の天使には聞かせられない。リエルとて古代神の復活に反対したいが、それよりもシエロの方が大切だった。


「兄さまの寿命を削るのは反対だけど、古代神をうまく使って負担を減らすのは良い考えだと思う。人間は、もうちょっと自立すべきだ」

 

 リエルがそう言うと、シエロは驚いたように目を見張った。


「人間の自立、か。そうだな」

「ふっ、兄さまは、僕を人間嫌いの天使だと誤解してるだろ」

「違うのか?」


 違わない。他力本願な人間たちが、大嫌いだった。

 しかし、願いを自力で叶えようとする人間は、嫌いじゃない。

 

「あの女王は、自分のためじゃなくて、僕の民のために祈った。そして、僕と兄さまの関係改善を願った。そういう人間を、僕は軽蔑したりしない」

 

 これでも清く正しい天使様なのだ。

 守るべき道徳は知っているつもりだった。

 リエルは、翼を消して地面に降り、シエロの前まで歩いた。

 彼を見上げて、片手を差し出す。


「仲直りしようよ、兄さま」

「!」

「僕は、兄さまのしたいことに協力する。あの女王のことも、しゃくだけど認めてあげるよ」


 その方が、シエロと仲良くなれそうだ。

 打算込みの笑顔を向けると、シエロは苦笑した。雨の日の海のように暗かった瞳が、少し明るくなる。感情を映す蒼海のような瞳。どんな宝石よりも美しい。

 兄弟は、ゆっくり手を重ねる。


「だから、帝国を守るのを手伝ってよ。一応、ここも兄さまの故郷だよ」

「交換条件は、それか」


 仕方ないなとシエロは承諾する。

 昔から、シエロは理由が無ければ手伝ってくれない。逆に言えば、理由があれば協力してくれるので、リエルは毎回シエロに付きまとって、頑張って理由を作るのだった。

 兄さまは、押しに弱い。

 あの女王に教えてやってもいいかもしれない。


「仲直りするなら、俺を兄だと言い張るのを止めてほしいものだが」

「嫌だね。シエロ兄さまは、シエロ兄さまだ!」

 

 苦い顔をする彼の腕を抱き込んで、リエルは子供のように無邪気に笑う。

 優しくて綺麗なシエロ兄さま。

 あなたは、ずっと僕の太陽あこがれだ。

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