第21話 喧嘩は初めてですわね

 総監ノニウスが、若者の徴収を撤回したという噂は、シオタの街中を駆け巡った。

 ネーヴェたちは、歓喜にむせぶ住民にもみくちゃにされる前にと、急いで崖の上の修道院に引き上げた。

 修道院に住民たちが押し寄せてきたら、と心配したネーヴェだったが、不思議に修道院は静まり返っている。


「人除けの結界が張られているな」


 シエロが呟く。


「それは、どなたが……?」

 

 ネーヴェは聞いたが、シエロは難しい表情のまま答えない。

 

「……」

 

 先ほどから、護衛の女性騎士フルヴィアが、ネーヴェに何か言いたそうだ。

 彼女は、シエロの正体が天使だと知って、動揺しているらしい。


「おかえりなさい、ネル様」


 崖の上の修道院の前で、騎士たちが出迎える。

 留守番していた男性騎士のステファンとニーノは、困った顔だ。


「ちょっと、私達では手にあまるお客様がいらっしゃっています」

「リエルか」

 

 シエロは来訪者の正体に気付いたらしい。

 足早に修道院の裏へ歩みを進め……途中で、ネーヴェを振り返った。


「お前も同席してくれるか」

「良いのですか?」

「俺とリエルだけだと、話がおかしくなる可能性があるからな」

 

 兄弟仲が微妙だと、シエロも自覚しているらしい。

 いいのかしらと思いながら、ネーヴェはシエロに同行した。

 修道院の裏は、海に面した崖っぷちだ。

 雲を割る陽光がスポットライトのように、白い翼を広げた少年を照らし出している。

 

「シエロ兄さま」

 

 リエルは振り返り、泣きそうな瞳で、シエロを見る。


「兄さまは、なぜ神海に行くことを、その女には話して、僕には話してくれないの? 僕らは、たった二人の兄弟じゃないか」

「泣き落としは止めろ。それに、ネーヴェのことを、その女と呼ぶな。俺は……お前のそういうところが気に入らない」

「!」

 

 だがシエロの方はそっけない。

 初っ端から、不穏な空気だ。

 ネーヴェは、シエロの容赦のない言葉に、優しいばかりではないのだと、彼の新しい面を見た気持ちになった。


「それは、こっちの台詞だよ。兄さまは、なんで人間とばかり仲良くするのさ! 同族の僕らには見向きもしない! おかしいよ! 人間とは寿命が違うだろう。一緒に生きていくのは、僕らなのに!」

 

 リエルは眉を逆立てて叫んだ。

 彼の気持ちが痛いほど伝わってきて、ネーヴェは胸を押さえる。リエルには、同情の余地がある。シエロと、リエル。二人の譲れない想い、それゆえに関係がこじれてしまっていることが、第三者のネーヴェにはよく分かった。


「俺は―――」

「ストップですわ、シエロ様」


 シエロが決定的な亀裂を生む言葉を口にしてしまう前に、ネーヴェは急いで割り込んだ。


「リエル様に、すべてを話してください」

「だが、それは」

「順番が違いますわ。シエロ様は、私と出会う前から、計画を進められていたのでしょう。私のことは、後付けの理由ですわ」

 

 天使を引退したいと言っているシエロだが、本気で引退したいなら、すぐにでも方法はあるはずだ。引退できないのは、フォレスタの民を大切に想っているからだった。

 唐突にネーヴェは、シエロに反感を覚える。境界線を越える最後の一歩を踏み出せないのは、お互い様だと理性では分かっているのに、彼に八つ当たりしたくなった。

 

「私とシエロ様は、一緒には生きられませんわ。リエル様の仰る通りです」

「ネーヴェ!」


 シエロが怒っているような声を上げる。

 あなたのそんな顔を見るのは、はじめてですわね。

 ネーヴェは、少し愉快な気持ちになった。さて、あなたは私の反抗をどこまで許してくれるのかしら。


「ご兄弟で、喧嘩をしないでください。卑小な人間わたしの願いを、天使様は叶えてくださいますよね?」

 

 そう願うと、シエロは不満そうな表情になり、リエルも困惑しているようだった。


「分かった。だが、お前とは後で話がある」

「私はありませんわ」

 

 ネーヴェは軽やかにシエロの追及をかわし「お邪魔しました」と言って、その場を離れた。

 建物の中に戻ってくると、女性騎士フルヴィアが、気遣うようにネーヴェに声を掛ける。


「ネル様、シエロ様のことは……」

「あの方は天使様でしてよ。私が好きになって良い相手ではありません」

 

 ネーヴェは、自分でも思ってもいないことを呟く。

 かがんで足元に来ている雄鶏のモップを撫でた。


「だいたい、引退に付き合うという約束しか、しておりませんのに。いつの間にか、好きだの惚れただの、そんな話になってしまって」


 一緒に引退して、畑を耕そうと約束した。

 しかし、シエロがネーヴェを一番に優先して、彼が大事にしている国や民を放り出すのなら……ネーヴェはそんなことを望んでいない。

 同時に相反する気持ちもあった。

 彼のことが好きだ。彼を自分だけのものにしたい。

 シエロからの執着を、嬉しく感じる自分がいる。いつの間に、こんなに欲深くなってしまったのだろう。

 

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