第20話 通りすがりのバカンス客ですわ
「俺も行く」
「シエロ様」
天翼教会から少し離れたところで、シエロが待っていた。
修道院で住民の相手をしているはずの彼が、なぜここにいるのだろう。
「港で騒ぎが起きていると、住民たちが訴えてきた。診療どころじゃない。それに―――」
シエロは何故か眉間に皺を寄せた表情で、つづけた。
「俺のいない時に、危険な場所に行くな」
その言葉に、ネーヴェはまたたきした。
「私は今、独占欲を向けられているのでしょうか」
かつての婚約者の王子にも、そのようなことを言われたことがない。
物語の中の
「はぁ……」
シエロは額に手をあてて、溜息を吐いた。
「ともかく、行くぞ」
「はい」
言い争っている時間はない。
ネーヴェとシエロは、女性騎士フルヴィアを護衛に伴い、総監ノニウスが宿泊している花街近くの高級宿に向かった。
「街の衛兵は、何をしているっ! 僕は尊い身なのだぞ!」
ネーヴェが現場に辿り着いた時、ノニウスは宿屋に立てこもっていた。
宿屋の周囲では、軍人とシオタの住民が取っ組みあっている。
「シオタから出て行け、ごくつぶし!」
「偉そうに命令すんな!」
「お前ら平民の癖に、貴族に逆らうか?!」
シオタの住民は海の男なだけあって、気概十分だ。
軍人相手に、一歩も引かない。
混乱と喧騒の中へ、ネーヴェは平然と歩み寄る。
同行する女性騎士フルヴィアの鞄の中から、雄鶏のモップが顔を出し、コケコッコーと甲高く鳴いた。
「今、朝じゃないのにニワトリの鳴き声がしなかったか」
喧嘩していた男たちは、時間外の雄鶏の鳴き声に驚いて、拳を止める。
「―――そこまでです」
男たちが止まったタイミングを見計らい、ネーヴェは静かに言った。
民衆の視線が、突如現れた、ベールをかぶった
「あんたは……」
「丘の上の聖女様だ!」
シオタの住民が歓声を上げた。
丘の上の聖女?
ネーヴェは不思議に思って、横目でフルヴィアを見た。ネーヴェに忠実な女性騎士は「ご存知なかったのですか」という目でこちらを見ている。
「この場は、私がおさめます。道を開けなさい!」
気を取り直して命ずる。
冷厳とした声を聞いたシオタの住民は、姿勢をただした。もとより、命令慣れしている軍人も、咄嗟に敬礼し、道を開ける。
ネーヴェは宿に入って階段を登り、ノニウスがいる二階を目指す。
堂々としたネーヴェの態度に、誰も道をふさがなかった。
「お、お前は誰だ?!」
部屋に入ると、狼狽したノニウスが叫ぶ。
ノニウスは気の弱そうな若い男で、服装は貴族らしく立派だが、顔色は青白く不健康そうだ。軍人の癖に、鍛えていないことが、傍目にも分かる。
「私は、通りすがりのバカンス客ですわ」
ネーヴェは、しれっと答えた。
「バカンス客ぅ?!」
ノニウスと周囲の護衛たちは目を剥いた。
ふざけた返事だと怒りたいが、目の前のベールをかぶった貴婦人は、何か得体のしれない気配を発していて、うかつに文句を言うのをためらわせる。
緊迫した空気の中で、ふぅっと息を吐いたシエロが、上着を片袖脱いだ。
上着の下から、白い翼が広がる。
「身の証は、これで十分だろう」
翼を見たノニウスが、間抜け顔をさらした。
ベールの下で、ネーヴェも動揺する。
こんなところで、天使だと明かして大丈夫なのだろうか。確かに、ここには関係者しかおらず、住民は見ていないが。
天使を従えるのは王族だけだ。
目の前の貴婦人が、どこかの国の王族だと気付き、ノニウスたちの態度が一変する。
「た、大変、失礼いたしました!」
ノニウス以外の護衛たちは、膝を折って最敬礼する。
帝国は確かに最強の国だが、だとしても他国の王族に偉そうにできるのは、帝国でも王位継承権を持つような者だけだ。ノニウスも周囲の護衛も、そこまでの権限はなかった。
「ノニウス様、北の戦線は膠着状態と噂で聞きました。こんな場所で、のんびりしておられてよいのでしょうか」
必要以上のいさかいを起こす必要はない。ネーヴェは、幼子に対するよう、ゆったり丁寧に話しかけた。
「私は……戦いが苦手なのです」
ノニウスは縮こまり、恥ずかしそうに答える。
「名ばかりの総監という立場を与えられ、皇位継承権のある兄に、雑用を押し付けられました。船の清掃をしろと命じられたのを、恥ずかしくて
「それでシオタの若者を?」
「はい。人手を増やせばよいかと考えたのですが、私の浅慮で、このような事態に……あの、今回の件は内密にしていただけますか」
ネーヴェの口から、帝国の上層部に話がいくのを恐れているのだろう。
最初の高慢な態度から打って変わって、ノニウスは殊勝な態度だ。
「ノニウス様が、シオタの街の若者を徴収しないなら、私は何も申しませんわ」
ネーヴェはおっとりと、しかし明確に、条件を突きつけた。
ノニウスは慌てる。
「し、しかし、それでは私の面目が立ちません!」
「ノニウス様、お兄様から命じられたのは、船の清掃であって、若者の徴収ではないでしょう。それに普通、船の清掃とくれば、次は物資の調達でしてよ」
きょとんとするノニウスに、ネーヴェは子供に言い含めるように、戦争における物資調達の重要性を
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