第34話 魔物の気配

 シエロは礼拝堂に入ってすぐのところで、ネーヴェを待っていた。

 急いで王城に駆けつけたのか、作業着の上に高位司祭のローブを引っかけただけの格好で、髪も結っていない。


「アウラからの客人はどこにいる?」

 

 彼は険しい表情で聞いてきた。


「まだ客間にいらっしゃいますわ。お会いになりますか」

 

 ネーヴェが答えると、シエロは「いや」と首を横に振る。


「城内に魔の気配がする。そのアウラの王子は、おそらく魔物が化けた偽物だ」

「!!」

 

 人払いしていなかったので、シエロの言葉を聞いてしまった護衛の近衛騎士フルヴィアと、宮廷付司祭アドルフは驚愕している。


「せ、聖下。本当ですか」

 

 アドルフの声は裏返っている。


「俺が偽りを口にすると?」

「いいえ! ですが、真実なら大変な事です!」


 その通りだ。本物の王子は、どこへ行ってしまったのだろう。


「魔物ですって?! 即刻、正体を明かし断罪せねば!」


 フルヴィアは腰の剣を抜きかねない勢いだ。

 

「待ちなさい」

 

 ネーヴェは冷静にフルヴィアを止める。


「今、アウラの王子を斬ることはできません」

「陛下?!」

「既に国を挙げて歓待してしまったところです。王子が偽物と公表するのは、我が国にもアウラにも良くありませんわ」

 

 魔物を迎え入れてしまったことを公にすると、フォレスタの威信に傷が付き、ネーヴェの責任も問われる。また、アウラに不信を抱く者も出てくるだろう。これから交換留学の話をするのに都合が悪い。

 シエロは考え込むネーヴェに顔を寄せ、周囲に聞こえないよう小声でささやいた。


「俺はセラフィを追う。アウラ側と話すのに、あいつの力が必要だ」

「!」

「しかし、セラフィは僅差で国外に出てしまったようだ。気配が遠い。俺が戻るまで、フォレスタを頼めるか?」

 

 間近で、シエロの眼差しとネーヴェの視線が交差する。

 彼はアウラの守護天使セラフィを捕まえて、解決に協力させるつもりなのだ。

 それは天使であるシエロにしか出来ないことだった。

 シエロが国外に出ている間、国を守れるのはネーヴェだけだ。


「お帰りをお待ちしておりますわ」

 

 ネーヴェはシエロを見上げながら小さな声で答える。

 何故か不意に、彼の口付けが欲しいと感じた。

 いまだ手を繋ぐ以上の事は何もやっていない、彼との関係は呆れるほど清廉だ。

 もっと近付きたいと願うのは、我が儘だろうか。

 出会った頃、髭で隠している素顔が見たいと思った。天使様だと知った後も一緒にいたいと密かに願い、確かな約束が欲しかった。そうして婚約までしたのに、まだ不安を感じている。自分でも呆れるほど貪欲だ。

 天使と人間だからと、一歩引いて接するシエロがもどかしくてならない。

 きっと自分たちは、互いに最後の一歩が踏み出せていない。後戻りできない境界線を越えることを、ためらっている。

 シエロはこちらを見下ろし蒼瞳を細めたが、それ以上何をすることもなく、体を離す。

 そして、身をひるがえして礼拝堂の奥、関係者のみ出入りできる裏口の方へ、一人歩きだした。


「アドルフ、陛下をお守りしろ」

「え?! は、はい。分かりました!」

 

 何をすれば?! と宮廷付司祭アドルフは、おろおろしている。

 去っていくシエロの後ろ姿を見送ると、ネーヴェも礼拝堂から出た。


「フルヴィア、急ぎアイーダを城に連れてきてくれる? 魔術に詳しい者の知見を聞きたいの」

「はい、かしこまりました!」

 

 サボル侯爵の娘で友人のアイーダは、魔術に詳しいので、魔物への対処について具体的な助言をくれるかもしれない。ネーヴェは、近衛騎士のフルヴィアを、王都にあるサボル侯爵の別荘へ向かわせた。

 シエロが戻ってくるまで、何かしら理由を付けて、アウラの王子を名乗る魔物を閉じ込めておかなければならない。

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