第12話 二人きりになりたい

 シエロは近くの小川に行って体を洗うことになった。

 彼が戻ってくるまで、ネーヴェはオリーブ畑で待つことにした。

 今年、植えたばかりのオリーブの苗は、まだまだ実を付けるには背丈が足りていない。しかし、去年の虫害が嘘のように青々としていて、ネーヴェは一本一本、幸せな気持ちで枝葉を確かめた。


「……聖下は、残念な方ですね。意中の女性と会うのに、あのような」

 

 初っぱなが馬糞スタートだったので、護衛として同行するフルヴィアは貴族の娘らしく憤慨した。


「そうかしら。シエロ様らしいと思うけれど」

 

 出会いが出会いだったので、ネーヴェは特に気にしていない。だいたいネーヴェ自身も、掃除が好き過ぎて残念な格好を見せたことがある。お互い様だ。

 それに、植物を育てるのに執念を燃やすあたり、一周回って、天使様らしいとも感じる。


「……待たせたな」

 

 オリーブ畑を見回っていると、水浴びして着替えたシエロが現れた。その斜め後ろで、修道士の男が荷物持ちをしている。一瞬、目が合ったが、ただの修道士にしては精悍で目付きの鋭い男だった。


「彼は、俺の護衛のテオという。お前の護衛に、余計な負担を掛ける訳にはいかんからな。念のためだ」

 

 テオは僅かに目礼する。寡黙な男のようだ。

 

「さあ、どこに行く? 市場か?」

 

 どこへでも連れて行ってやると、シエロは鷹揚に言う。

 それよりも、シエロ様の髪を整えたいわ……!

 ネーヴェは密かに不満を抱えていた。

 長い金髪を水に浸し中途半端にぬぐっただけのようで、生乾きの髪を無造作に紐で結んでいる。きちんとくしを入れて、かして差し上げたい。

 だが、夫婦でもないのに、人前で親しげに髪をいじるのは、よろしくない。前は、二人きりだったから出来たのだ。

 護衛に囲まれて、シエロと二人きりになれない。

 今さらながら、ネーヴェは自分の立場を不自由に思った。


「ネーヴェ?」

「……少し早いですが、市場に行く前にお昼にしませんこと。私、手作りのパニーニを持って来ましたの」

 

 手に持ったバスケットを掲げる。

 四人は、オリーブ畑を移動して、適当に座れそうな石を探した。

 

「陛下、私は携帯食を持参しています。手作りパニーニは、聖下と一緒にお召し上がり下さい」

 

 護衛のフルヴィアはそう言って遠慮する。シエロの護衛のテオも無言で少し離れた場所に陣取った。

 こちらの会話が聞こえそうで聞こえないくらいの、絶妙な距離だ。


「お前の作った食事は、相変わらず旨いな……どうした?」

 

 対面の石に腰掛けたシエロは、少し不機嫌なネーヴェに気付いた。

 表情に出にくいネーヴェの感情を、いつも彼だけは真っ先に察してくれる。


「……護衛を撒くのは、さすがに行儀が悪いかしら」

 

 ぼそっと呟くと、シエロはにやりと笑った。


「ふっ。意外と言い出すのが早かったな。大丈夫だ、ネーヴェ。代々の国王や王族に、護衛を撒いて困らせていない者はいない。俺が保証する」

 

 天使様の保証は信憑性が高いが、そもそも保証すべき事柄ではない。

 半眼になって呆れていると、シエロは食事を取るために身を乗り出す姿勢を装い、ネーヴェに耳打ちする。


「二人きりになりたいなら、そう言え。どこへでも連れていってやると、約束しただろう?」

「!」


 心臓が高鳴る。

 間近にシエロの、吸い込まれそうな蒼玉サファイアの瞳と目が合う。

 世間体も、取り繕うべき外面も、内から溢れ出す想いに比べれば大したことのないように思えた。


 連れて行って下さい。

 

 小さく潜めた声で応えると、シエロが悪魔のように笑った気配がした。

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