第66話 救ってくださらなくても結構ですわ
乱暴に腕を引かれたと思ったら、冷たい石畳に投げ出される。
先ほどまで地下の閉鎖的な空気の中だったが、今は森の匂いのする風が吹いている。遠くにある窓からは、月光が室内に射し込んでいた。ここは古城の地上階層だ。
「……氷薔薇姫。近くで見ると、ますます美しいな」
黒いローブをまとった中年の男が、倒れ伏すネーヴェをのぞき込んでいる。
何回か、王城で姿を見たことがある。
彼が、魔術師ガイウス。
ネーヴェは体勢を立て直そうとするが、途端に手足に黒い影から伸びた手が絡みついた。弓矢や短剣は近くにないようだ。であれば、会話による引き伸ばしだけがこの身を守る盾だ。
薄暗い室内のあちこちに、黒光りする昆虫がうごめいている。かさこそと虫の這う音にぞっとしたが、落ち着いて声を上げる。
「偉大な魔術師殿に、挨拶を申し上げたいのですが、よろしいですか」
ネーヴェは歪んだ笑みを浮かべるガイウスを見上げた。
視界の端に、床に転がるエミリオの姿が映る。彼は生きているのだろうか。ここで戦いがあった形跡か、抜き身の剣が床に落ちている。もちろん、手が届かない位置だ。
「ほう! 氷薔薇姫は、礼儀が分かっているようだ」
偉大とおだてられ機嫌を良くしたのか、ガイウスは会話に応じた。
「我は、延命の魔術師ガイウス! 氷薔薇姫よ、そなたは生贄とするには惜しい器量よの。我の妻となるか? 我に仕えると約束するなら、特別に命を救ってやろう!」
救っていただかなくても結構だとネーヴェは思ったが、この状況を打破する手がかりが見つかるまで、少し会話を引き伸ばす必要がある。
「ガイウス様、頭の良いあなた様と違い、私は卑小の身、あなたのおっしゃっていることが理解できず混乱しております。生贄とはなんでしょう? あなたは、いったい何をしようとされているのですか?」
「ふむ。説明してもそなたが理解できるか……我は、不老不死の研究をしている。世の中には、不老不死が実現するという伝説、あるいは不老不死を実現している幻の種族がいくつかある。神の園に実る黄金の林檎。命を凝縮して作るという賢者の石。そして、神の末裔あるいは代理人を名乗る天使たち」
語ると長くなりそうだ。
ネーヴェは「失礼」と割って入った。
「魔物の虫は、ガイウス様が召喚なさったのでしょうか。虫は、不老不死と何か関係があるのですか?」
中断されたガイウスは、少し鼻白んだが、すぐに答えた。
「直接、関係はないな。この地で、我が手足となる魔を召喚しようとしたが、できなかったので仕方なく、あやつらを召喚したのだ」
「偉大な魔術師様にも、できないことがあるのですか」
「ふん。この地では、人を害する魔術の使用が制限されておる。
ガイウスは話すうちに腹が立ってきたのか、苛々と足踏みした。
「……少し話過ぎたな。氷薔薇姫よ。決心は付いたか?」
胸元で、シエロにもらった白い羽の首飾りから光がこぼれている。目立つように付けるのは恥ずかしいので、服の下に付けていたのだ。おかげで魔術師からは見えない。淡い光は、ネーヴェを励ますように輝いている。
その光に勇気をもらい、胸を張って答えた。
「ええ。決心が付きましたわ」
「我に従うか?」
「いいえ」
「?!」
きっぱりはっきり答えてやると、魔術師は唖然とし、次に怒りの表情になった。
「おのれ、考える猶予を与えてやったものを! 手酷く立場を思い知らせてやろうか?!」
「ええ、ご説明ありがとうございました。ガイウス様が無力だということが、よく分かりました。人を害する魔術は、禁止されているのですよね?」
ネーヴェはにっこり微笑んで言う。
今まで伝説の中の天使は、直接自分と関係のある存在ではなかった。彼が何をしているか、自分たちの生活とどのように関わっているか、まるで実感が無かったのだ。
しかし、今ようやく分かった。
フォレスタは天使によって守られていた。あの男は、目に見えない部分で陰日向に、この国を支えてきたのだ。
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