第60話 却下だ

「却下だ」

 

 背後でシエロが冷え冷えとした空気を発する。


「お前のような脳筋に、ネーヴェはやらん」

「……何様だてめえ」

 

 どうやらグラートは非常に短気なようだ。

 すぐさまシエロと睨み合う。

 これは一体どういう状況かしら。シエロ様が怒っているのは……もしかして私のため?

 ネーヴェは困惑する。


「おほん。グラートよ、その辺にしておけ。ネーヴェ姫が困っておるぞ」

 

 バルドがわざとらしく咳をし、二人の男の殺気を散らした。

 

「ネーヴェ姫、婚約申し込みは早すぎた感があるが、一応うちの馬鹿孫について考えてくれんかの」

「それは……」

「我が侯爵家なら、君を万全に守ることが出来るだろう。孫のグラートも馬鹿だが誠実な男だ。のぅ、悪い話ではないだろう」

 

 ネーヴェは思わずシエロを見た。

 シエロは深海色の眼差しを細め、冷たい表情でわざとらしく視線を逸らす。その仕草に、胸を痛める自分がいる。


「……考えさせてください」

 

 弱々しい声で、ネーヴェは答えた。

 

「うむ。ワシはネーヴェ姫のファンじゃから、無理じいはすまい。クラヴィーア伯爵への書状は、返事をもらってからにしよう。グラートよ、勝手に先走って文を送らぬように」

「う……分かったよ、爺様」

 

 バルドは年上の貫禄で、やんわりと場をまとめた。

 たしなめられたグラートは、ばつが悪そうに後ろ頭をかいている。素直で実直な男だ。誠実かどうかは付き合ってみないと分からないが、そもそも貴族同士の縁談で、変な癖もなくちょっと短気なだけの男は上物の部類だ。掃除にも付き合ってくれている時点で、悪くないと思う。

 シエロの考えは分かる。フォレスタでずっと暮らすなら、侯爵家は良い後ろ楯になる。ネーヴェがグラートを選ぶなら、彼は邪魔しないだろう。シエロはネーヴェの幸せだけを願ってくれている。

 だが、その優しさは万人に向けてのものだろうか。自分だけ特別だと思うのは、自惚うぬぼれだろうか。先ほど「お前のような脳筋にネーヴェはやらん」と言ってくれた時は嬉しかった。

 求婚の衝撃で、ネーヴェは当初の目的を忘れてしまった。

 掃除が終わったこともあり、自然な流れでバルドの屋敷を出る。

 帰り道も、シエロは馬車に同乗する。

 行きよりも馬車の中の雰囲気が重い。

 項垂うなだれているネーヴェを横目で見て、深い溜め息を吐き、シエロは言う。


「……一つだけ言っておく。誰かれとなく触らせるほど、俺の髪は安くない」

「!!」

 

 行きに馬車の中で、シエロの髪をゆるくひとまとめにし、紺色の飾り紐でっていた。

 その紺色の紐が視界の端で、ひらりと揺れる。

 思考を見透かされた気がした。ネーヴェは恥ずかしくなり、意地を張って視線を逸らす。フォローは嬉しいけれど、見透かされたくはない、そんな複雑な乙女心だ。

 実はシエロの方は、ネーヴェの思考を見透かした訳でも、彼女を喜ばせてやろうとした訳でもない。彼はただ、自分は天使としてではなく男としてネーヴェを見ていると伝えたかっただけだった。

 二人の会話は、一見噛み合っているようで、微妙に噛み合っていない。だが、馬車の空気は、ほんわり暖かくなる。二人は顔を背けたまま、別れるまで一言も喋らなかった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る