第61話 好いた男性はおりますわ
バルドに会いに行った当初の目的、国王の依頼もとい、商人アントニオの相談のことを思い出したのは、宿に帰ってからだった。
「……まあ、グラート様と面識ができましたし、良かったことにしましょう」
いきなり求婚してきたくらいだ。
面会を断ったりしないだろう。
ネーヴェは偶然の出会いを利用することにした。書状を出して、正式にフェラーラ侯グラートに面会を申し込む。
グラートは今、王都に近いサフワノの街に滞在している。王都の祖父の家には、お忍びで訪れていたようだ。そこでネーヴェと出くわした訳である。
サフワノは交通の便が良い、街道沿いの街で、グラートはそこにフェラーラ侯爵家の手勢を数百人連れてきていた。表向き、国王に陳情したい民たちを連れてきたと言っているが、実質、兵士を率いての
さすがフォレスタ建国から続く、武闘派の名門貴族。やることが過激過ぎる。ネーヴェも王子にクラヴィーアを攻撃され、似たような事をしようとしていたが、クラヴィーアは弱小貴族なので、ここまで大胆不敵なことはできない。
ネーヴェは護衛としてカルメラや少数の兵士を連れ、馬に乗ってサフワノに向かった。
サフワノに近付くと、殺気だった兵士たちが出迎えてくれる。
カルメラがさっとネーヴェの顔を隠す布を取り去り、叫んだ。
「者共控えよ! 氷薔薇姫のお通りだよ!」
いささか芝居じみた演出だったが、兵士たちには効果があったようだ。
冷厳とした美貌を目の当たりにした男たちは、雲上人を見たと感動してさざめきあった。
「氷薔薇姫様……!」
「あの北部リグリスを救ったという……」
「……我らも救って下さるのだろうか」
こちらへ、とグラートの元まで案内される。
グラートはバルドの屋敷で会った時と違い、鎧を着て滞剣していた。若くても雄々しい威厳を放ち、統率者の風格を
ネーヴェは密かに緊張したが、それを表に出さぬよう注意し、背筋を伸ばして彼と向かい合った。
「私がここに来たのは、国王陛下の指示のためではございません。フェラーラ侯グラート様、フォレスタの未来のために話をいたしましょう」
「……この国の未来、か。面白い誘いだ」
二人はそれぞれ少数の側近を連れ、余人に聞かれないよう、古い教会の跡地に移動した。建物のあった痕跡である、四角い石積みだけが残る場所だが、小さな天使像が石壁の上に置かれ、石には平和を願う文言が刻まれている。会談の場所にふさわしいと思われた。
「爺様の屋敷では、世話になったな。あんたが噂の氷薔薇姫とは、思わなかったぜ」
瓦礫の上に腰掛け、グラートはざっくりした口調で話し掛けてくる。
その気安さに甘える形で、ネーヴェはさっさと本題に入ることにした。
「私は、商談に参りましたの。南のプーリアン州でローリエを収穫して、帝国に売り出したいのですわ」
「ローリエ? 雑草みたいに道端に生えている木だろう。何の役に立つんだ?」
「ご存知ないのですか」
グラートは植物に詳しくないようで、不思議そうにしている。
ネーヴェはローリエの効能を教えてやった。
「ローリエは、肉や魚の臭み消しに使う香草ですわ。料理に使うだけではなく、実は万能薬でもあります。傷口にローリエの葉を貼ると、膿んだ傷や炎症が治まります。ローリエの実を砕いて葡萄酒や蜂蜜と一緒に飲むと、胃腸の病に効くのですわ」
「なんだそれは?! あの木は、そんな凄いものだったのか?!」
あまり一般でも知られていない効能を解説すると、グラートは驚いた。
「ローリエを販売する許可をいただけるなら、リグリス州で今秋収穫された小麦やオリーブを、格安でプーリアン州に運ぶ手配をいたしましょう」
サボル侯爵の娘アイーダの協力は取り付けている。
帝国でローリエを高く売れるかは賭けだが、もし上手くいかなくても、今フェラーラ侯を止めて内乱を防ぐことには意味がある。フォレスタの民が団結しなければ、この危機は乗り越えられまい。
ネーヴェは、
そのことに気付いたグラートは息を飲み、額の汗をぬぐった。
「ふーー……。あんたは本当に凄い女だ。弓達者なだけではなく、頭も回る。なあ、本気で、俺のところに来る気はないか」
グラートは真剣な顔つきをしている。
悪くない男だと思う。脳筋だがネーヴェのことを尊重している。家柄も申し分ない。きっと、第三者から見ると、とてつもない良縁だろう。
しかし、ネーヴェは首を横に振る。
「グラート様、せっかくの申し出ですが、辞退させてください」
「何故だ? 好きな男でもいるのか」
そう問われ、どう答えるか悩んだ。他の男相手なら、適当に誤魔化していたかもしれない。しかし、グラートはネーヴェに好意を持ってくれている。それならば、こちらも真剣に答えなければならない。
「……ええ。好いた男性は、おりますわ」
思い浮かぶのは、風にひるがえる淡い金髪と、こちらを見返す底が見えない深海色の眼差し。
男の正体を知りたくて、しかし知りたくなかった。想いを寄せることが許されない相手だと、分かっていたからかもしれない。
だが、そろそろ認めなければならないだろう。
ネーヴェは、あの正体不明な天使に惹かれている。
「あの司祭か? 婚約でもしてるのか?」
グラートはこちらの事情を知らない。だが、バルドの屋敷でシエロと顔を合わせている。「ネーヴェはやらん」と言っていたことから、すぐネーヴェの言っている相手が誰か気付いた。
「いいえ」
シエロは、ネーヴェのことをどう思っているのだろう。
思わせ振りな言葉は掛けられているが、あれは小娘をからかってやろうという意図かもしれない。伝説が真実なら、彼はフォレスタ建国から生きている天使だ。二十歳にもならない娘など、恋愛の対象にならないはず。
けれど、この胸の痛みも、彼を想う気持ちも、手放す気にはならない。
「グラート様、もし聖堂から天使をさらうのに協力して欲しいと私が願ったら、どうされるおつもりですか?」
脈絡ない質問に、グラートはきょとんとした。
頭をかきながら言う。
「悪いが、分からねえ。だが、禁忌に触れるほど覚悟があるかって例えなら、そうだな……とりあえずネーヴェ姫、俺はまだ、あんたに求婚するのは早いってことは分かった」
「理解いただけて、何よりですわ」
「最初の商談の件は、乗った。だが、国王陛下に従った訳じゃねえ。あんたの目指している場所が見たいからだ、氷薔薇姫」
商談は成立した。
これで内乱は避けられたと、ネーヴェは密かに安堵する。
北と南の侯爵家が、彼女の仲介で手を組んだ。きっとこれをきっかけに、物事は良い方向に動いていく事だろう。
しかし、立ち上がった二人の頭上、秋の澄んだ青空の彼方で、黒雲がうごめく。
それは、例の魔術師が呼び集めた、虫の魔物の群れだった。
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